【ちよだプラットフォームスクウェア】19周年記念イベント後編
前編は下記からご覧ください
トークセッション
後編は、登壇者の方によるトークセッションの様子をお届けします。
イベントの表題でもある「再生と循環」「都市と地方」についてまずは、
内田氏の「都市における場から/場で何を始める?」をテーマに置き、
「どんな都市だったら通いたくなる?」からセッションされました
トークテーマ①「どんな都市だったら通いたくなる?」
「東京という場所はプレイヤーがそろっているし、力がある人が集まっている。今後、都市と地方の連携が進み、東京から海藻文化を広げることができ、都市と地方どちらでも活躍できることが一つの強みだと思う。」と友廣氏は語る。
それに続き弊社の丑田は
「東京だけでも地方だけでも解決できないことをお互いが共創して行う。これが”地方×都市”=循環につながるよね。」と語る。
また、1児の母である内田氏からは親目線でのこんな意見が。
「自分の子どもが健やかに過ごせる環境で暮らしたい。どんな存在でも受けれ入れてくれる場所ならいいな。」
東京といっても千代田区はいわゆる「オフィス街」、そして世田谷区・杉並区などは「住宅街」と言われているが、今後極端に「働く場」と「住む場」と分けていくのは厳しいと登壇者たちは語る。
なぜかと言うと、「機能的につらくなってしまう。」から。
住宅街だけに特化した地域は、日中は人が外へ出てしまい夜に帰ってくるだけの場となり、その結果高齢化が進み若者の働く場・姿がなくなることで地域産業も発展していかないから。
「これまでの東京は鉄道発達により、郊外から通える都市構造になっているが、海外は全くの逆。鉄道発達の先に何があるかを大事にしている。どうやって働く場をつくるか、衣・食・住をどうMIXさせるかを考えているのだ。」と内田氏は語る。
トークテーマ②「今後神田(東京)で実現できたら面白な!と思うことは?」
友廣氏からは、海藻の料理開発する場が欲しい!
に続けて「ここちよプラの”地方と都市をつなぐ”という取り組みは、当時は新しかったが、今後ここ神田という場所でどういう役割を果たしていくのか?」と友廣氏は質問した。
「地方と都市が連携することが普及し始め、次のビジョンに変わっていく時だと思う。今後は、都市と地方を行き来する仕組みをつくることが大事だと考えている。」と丑田は話す。
一方山川氏からはこんな発言が。
「東京という街が帰ってくる場所になってきた。今後地方に移住する予定だが、いざ東京から地方に移住するには勇気がいる。もちろん自然も大事だが、カルチャー、人、お店、交通面の充実も大事だと思う。それが東京にはそろっているから、地方から帰ってきたくなる場所になってきていると感じる。」
友廣氏「うっしー(丑田)が1番都市と地方の連携をしてるよね。今後の都市と地方をアップデートする立場にいるから、何でもできるんじゃない?」
丑田「都市と地方を行き来し遊動しながら、複数のコミュニティに参加する人が増えていくはず。そのインフラとして「学び」が大事だと考えていて、五城目町の教育留学を活用して都市の親子が2拠点教育をはじめたり、地方から都市に学びに来る取り組みとして、ちよプラでも長野県の自治体から研修生の受け入れや、地方から都市のレストランで学ぶシェフの滞在を行っている。
支援や連携という関係を越えて、「循環」する環境を整えていきたい。」
内田氏「これまでも多くの実験を行われてきたのに反対されてしまう要因には、今までの家族構成や、教育の構想の中で考えているからだと思う。私たちのマインドセットは変わっているのだから、今ある仕組みを解体して全く新しいモデルの場として経験・体験できる場として生まれ変わる。
また分野だけで立ち上がるのではなくて、地域ごとに立ち上がればエリアカスタマイズができ、理想のエリアになっていくんじゃないかな。」
山川氏「物を捨てずに再活用できるルートが構築され、さらにサーキュラーセンターができれば大きなものが作れると思っている。まずは、この千代田区で実験できればさらに面白い町になると思う。」
丑田「社会的実験は、神田地域が再開発するときに余白ができるから、そこで瞬発的に動くことができるかもしれない。そしたら、サーキュラーセンターをつくろう!」
山川氏「それいいね!!!」
内田氏「例えば、家族ごと暮らせて、世代も混ざって暮らせる場。起業家さんも商店の人もいる柔軟に住める場所が欲しいかも!」
山川氏「学校のために移住するのはハードルが高いけど、その地域に行けば親も子も両方面白くてユニークな体験ができるともっとライトに移住を考えることできるし、人が集う可能性が広がると思う。」
皆さんの柔軟で奇想天外なアイディアが飛び交う中、話は江戸時代生活市場の話に。
過去、神田は江戸三大市場として、地方からたくさんの食材が運ばれてきました。今もこの仕組みを利用できるとなると、川から海藻が集まって東京の小学校、保育園に食育されていく関係が構築されるかもしれない。
すると友廣氏から、「小学校の給食で青のりを取り扱ってもらうことが決定した。生産者にとって消費地が一つあることは本当に強みになる。しかも子どもたちに食べてもらい、教育の一環として海藻を実際に獲るところにつなげたり、SDGsのいい教材として学校と連携していきたい。」
山川氏「今は各々小さいエリアで動いているけど、大きなエリアだったらもっといろんなことができるし、今日のメンバーがホンキで動いたら短期間でものすごいものが作れるんじゃないかとわくわくする。」
内田氏「ここ神田が行政も民間も含めて実験できる場になったらいいね。」
丑田「東京1の寛容さとローカルな部分が残っていて余白がある神田が、そんなエリアになったら、あと20年は秋田から通うね。(笑)」
そんな近い将来!?に向けた期待や願望が飛び交ったトークセッションは大いに盛り上がり、このセッションをきっかけに、なにか新しいプロジェクトが始まりこの神田エリアがもっと面白い町になっていくそんな気がしました。
最後に質問タイム。
ウェブセミナーをご覧いただいた視聴者さんからの質問です。
「内田さんの話に励まされました。最初の物事を起こすきっかけはどうやれば始まりますか?」
内田氏「いろいろなところから始まると信じている。仲間も増え、企業と一緒になってそれぞれがみんな手をつないで発信できればどこから始まっても日本やグローバルな事業になると思う。」
山川氏「情熱が灯っているいる人がいない限りプロジェクトは前に進まないと思う。」
友廣氏「意外と気持ちはあるのに、1人ではできないと思っている人が多いが、2人目を見つけた瞬間に動き出すこともあるので、あきらめずに頑張ってほしい。」
と御三方から熱いアドバイスをいただいたところで、第1部トークセッションが幕を閉じました。
この後は、第2部グルメセッションへと続きます。
第2部 グルメセッション
トークセッション終了後、ちよプラ1階のしまゆしの場をお借りして、グルメセッションとしてビュッフェ形式で豪華な料理を堪能しました✨
と、グルメセッションの前に弊社取締役の寺本より「ちよだA級グルメの発足」について説明しました。
今回の料理人は、ポコポコキッチンの石丸敬将さんです。
今回のテーマ、「再生と循環」への気持ちも込め石丸さんよりご挨拶いただきました。
今回ご用意していただいた料理は、全部で10品!
どれもおいしそうなお料理ばかりでした✨
◎あっこ柿と酒粕マヨネーズのサラダ
◎地魚のなめろうwith GABUGABUのバゲット
◎宮崎牛と根菜のチャプチェ
◎熊肉とだまこもちのデミグラス煮込み
◎蝦夷鹿のスーヴィドとさわもだし ハニージンジャーマスタードで
◎黒ごま素麺とトッチ牡蠣のオイル漬け
◎ホッケの一夜干しとすじ青のりのおにぎり
◎さとう菓子店の酒粕キャラメルケーキ
◎宮城さん家のおおまさり
◎堀たて秋田県五城目町のすごい量の落花生を茹でて
石丸さんのお料理を堪能しながら、登壇者の方々とさらに詳しいお話や、お仕事につながるお話などもされ、会場はわいわい大盛り上がりの様子でした。
するとここで、石丸さんより今年7月の秋田の豪雨災害で全国から頂いた支援米を使用をして作った米粉のカステラについての紹介が!
会場にいらっしゃった多くの方がお買い求めになりました✨
そして最後は、ちよプラの位置する神田錦町3丁目町会の町会のみなさんによる神田一本締めで19周年記念イベントを締めくくりました!
東京・神田錦町に位置するちよプラ。今後も引き続き様々な地域・世代との共創を行い、新たな取り組みを進めてまいります。
「再生」と「循環」から描く都市と地方の未来像に向かって、今何ができるのか、何をすべきなのか研修生として向き合う時間になりました。
都市だけで解決できない課題を地方と共に解決していく。そのためにはまず都市と地方が連携し仲間を増やす。
そして、登壇者の方々から伝わってきたのは、情熱と本気で取り組むということ。
今までの取り組みを加味しつつ、新たな取り組みに挑戦することが大事ですが、何事にも本気で取り組まなければ、人の気持ちは変わらないし物事も進まない。
今回の周年記念イベントは、どの世代の方にも響く内容だったと思います。
多くの方に届くことを願って。。
ちよプラとは?
ちよだプラットフォームスクウェア(通称ちよプラ)は、様々な世代と地域が共創しながら新たなビジネスや文化を生み出していくシェアオフィスです。フリーアドレス制/個室制のオフィス入居・会議室の貸し出しを行っているほか、旬の野菜を育てている屋上庭園や周辺の中小ビルと連携した別館「ANNEX」、”人と事業と文化がそだつビル”「錦町ブンカイサン」など、常に変化し続ける環境づくりを進めています。
この記事を書いた人:宮澤