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この夏の終わりに想うこと

〜2020年コロナ禍の春夏、私的まとめ。新たな季節に向けて〜

2ヶ月ほど前、会社から解雇を言い渡された時、私はただただ混乱した。コロナの影響で仕事が減っている実感はあったけれど、まさか解雇されるなんて。咄嗟に友人に連絡していた。「どうしよう。」私はまた会社から放り出されるのか。背筋がゾワっとした。同時に色々な事がフラッシュバックした。

以前にも、勤めていた会社が倒産して離職を余儀なくされたことがあった。好きな仕事で、苦労を共にした同僚とこれからもっと頑張りたいと思っていた時だったのでダメージは相当なものだった。あの頃自分が感じていた悲しみも大きく深いものだったが、実際はもっと深刻に傷ついていたのだろうと思う。     その直後に就いた仕事は2ヶ月も続かなかった。精神科で自律神経失調症と診断され、休職した後に退職した。その後長い間もがきつづけて、ようやく手に入れた職場だった。                              あっという間に半年が過ぎ、コロナで在宅勤務に移行したなか2年目を迎えた。仕事を続けてくることができて純粋に嬉しかったし、もっと頑張ろうと思っていた矢先だった。私は再び会社から不要宣告を受けることになってしまったのである。

頭の中でベートーヴェンの『運命』冒頭部が繰り返されていたあの時、「どうしよう…」と心の声をぶつけた私に友人が返した言葉がずっと心に残っている。 「やるべき仕事がそれじゃなかったのかもしれないね。」          その瞬間は冷たく聞こえたのだが、この数ヶ月を振り返って妙に納得してしまった。私は在宅で仕事をする中で、ずっと家にいながらできる仕事が向いていると感じていた。通勤電車の人混みやオフィスでの雑音などに感じていたストレスが無いのは快適だった。いずれはもっと直接的に人を癒したり元気づけるような仕事ができたら素敵だなと考えるようになっていた。             医療現場の最前線に立つ人たち、人種差別反対のデモに参加する人たち、選挙に参加する重要性を唱える人たち、希望の歌を作り届ける人たち……さまざまなところで闘う人々を見ながら、気づけば感謝と祈りを胸に涙したり笑ったりする毎日。そんな中で私自身の存在意義ってなんだろうと思うことも多々あった。もっと人の心に触れ、愛情を分け合う働きをして生きていきたい。地球に、他人に、自分に優しい行動・考え方をもって人生を歩みたい。            心の奥ではすでに新しいステージを思い描いていたのだ。

幸い実家暮らしということもあり、今は心のままに語学と簿記の勉強、読書、料理などしながら日々を過ごしている。                   先日ある本を読んで自分がHSP(Highly Sensitive  Person)であるという事を知った時は衝撃だった。自分が今まで他の人と違うと感じて辛かった事や生きづらかった事が、生まれながらの性質によるものだったとは。          これを知ったことはとても幸運だった。前述した自律神経失調症になった事を文章にしていた時で、当時の苦しみが自分の性質による部分があったのだろうと認識することができたのである。嫌な人間だと自分を責めたり普通でないと嫌ったりする必要ないんだと涙が出て、痛みも恨みも浄化することができた。

3月頃から断捨離を始めたことも大きな一歩だった。在宅勤務への期待もあったのだが、不要な物とサヨナラしたい欲が沸々と私を突き動かした。去年から『QUEER  EYE』を観ていた影響もあると思う。過去の自分との健全な決別と自分を高める環境が必要だと感じた。                    私にとって断捨離はとても苦しい作業だった。写真や手紙を見ると昔から人付き合いが苦手だったことを思い出しては落ち込んだし、物を捨てる度に罪悪感が生まれた。必要な物を整理する行為も苦手だった。だが時間をかけて少しずつ、この作業に向かい合っている自分が好きになっていった。久々に自分のために頑張れた気がした。                             時間はかかったが、今でも片付いた部屋をキープできている。断捨離と同時に食後の歯磨きと1日1回のフロスの習慣がついただけでも大きな成長だと思う。

今回の離職はきっと良い機会だったのだと今は思っている。春からの自分の中の変化、コロナ禍で自分と向き合い考えてきた人生の意義、突然の解雇、自分の性質への気づき。全てが偶然のようで、一本に繋がる必然だったのだろう。   そして今、私は夢を叶える軌道に乗っている。この春夏、いやこの2年間の出来事を胸に、この先何があってもきっと自分を信じていけるはずだ。夢を叶える道筋は定まっていないが、とにかくやりたいことをやってみようと思う。途中で繊細な私の本能が色々な心配を始めても前ほど恐れることはない。感受性の強さも才能として活かせたら良いと思う。私はこのままでも素晴らしい人間だ。

今年も元気で夏の終わりを迎えられたことに感謝している。いつも気にかけてくれて助けてくれる友人に、この春から夏にかけて私に起きた全ての出会いに感謝している。


本当は昨日のうちに書き上げられたらよかったのだが、手直しに時間が掛かってしまった。今日から9月、新しい季節が始まる。毎日を精一杯過ごす中にきっと素晴らしい贈り物があるだろう。

こんな取り留めのない言葉たちだが、誰かに届いていたら嬉しい。      それでは今日も、素晴らしい1日を。

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