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[ショートショート] 愛は犬の末裔だった―不機嫌な許嫁― [シロクマ文芸部]

 愛は犬の末裔だった。

 犬というのはかつてこの地上に多く生息していた中型の哺乳類である。

 同じくこの地で繁栄していた人間の友として広まった種族であるが、人間の絶滅と共にその姿を消した…と思われていた。

 だが愛の先祖は代々密かに犬の血を受け継ぎ守って来た。

 愛が成人に達した十六の時、父はこう彼女に告げた。

「この世には、犬の血を引く家系が八つ残っている。我が橋田家もそのひとつだ。お前は今日から真田家の次期当主 正美殿の許嫁として品定めの儀へ出向いて来い」

 愛は最小限の荷物と共に実家を追い出されてしまった。

 自分がシクソリアンではなく、犬の血を引く者であることは幼いころから聞かされて知っていたが、許嫁の話は初耳だった。

 …てゆうか、真田家って何? 正美って誰??

 愛たちは、見た目はシクソリアンと同じだが、哺乳類なので雄雌が交わることで体内に子を宿し命をはぐくむ仕様を引き継いでいた。
 系外惑星からやって来たシクソリアンにとって、それはおぞましいことで、憎悪の対象とされてきた。

 現在、地上の哺乳類のほとんどが全滅してしまったのも、遥か昔に地球にやってきたシクソリアンたちのやったことなのである。

 犬たちは懸命に生き延びた。長い年月をかけてその姿を変え、今ではすっかりシクソリアンの中に溶け込んでいる。

 もしも素性がバレれば酷い差別を受け、百年前に制定された倫理法案を無視して虐殺が行われる可能性は大いにあった。

 だから秘密は絶対。愛は命じられたとおりにひとまず真田家とやらに行かねばならないのだった。

 真田家はシャトルで数十分走った先にあった。
 山の中腹にそびえる豪邸だった。

 シクソリアンたちは海辺を好む。山奥にはほとんどやって来ないので、犬の末裔たちは山で暮していることが多かった。

 真田家の門をくぐると、老婆が一人、愛を出迎えてくれた。

「何分、ぼっちゃんは気難しいお方なもので…」

 真田家次期当主の正美は、奥の部屋で何やらへんてこな大きな絵を描いているところだった。

 同じ歳くらいの青年だったので愛は少しほっとした。相手がおじさんだったらどうしようと思っていたのだ。

 だけれども正美は愛が部屋に入って来ても振り向きもせず、手を休めることなく絵を描き続けていた。

 案内してくれたお婆さんも奥に引っ込んでしまったので、愛は仕方なく部屋の隅にある椅子に座って事が進展するのを待った。

 どれくらいの時間が経ったのかわからないけれど、正美がようやく絵を描く手を止めて振り返った。
 そしてこう言った。

「いつまでそうしてる気? 俺から声をかけるのを待ってるだけ?」

 これには愛もカチンと来てしまった。

「邪魔しちゃいけないと思って終わるのを待っていたんですけど」

 それを聞くと、正美はフンと鼻をならした。

「橋田愛です。お初にお目にかかります」

「知ってる」

「奇怪な絵ですね」

「君みたいな凡人にはわからんだろう」

 正美の返答に愛はにっこり微笑みだけを返しておいた。

 内心では…このクソガキ…と思っていた。多分少し年上だろうけど…。

 正美が無言で部屋から出て行こうとしたので、愛は慌てて後を追った。
 で、そのまま玄関まで来ると、彼は靴を履き始めた。

「どちらへ行くんです?」

「あなたをシャトルまで送るんですよ。俺は許嫁なんていらない。無駄足でしたね、お帰りください」

 これにはさすがの愛も堪忍袋の緒が切れてしまった。気が付くと正美の胸倉をつかんでこう叫んでいた。

「お帰りくださいじゃねぇっつの。こっちは人生投げうって出て来てるんだよ。てめぇの勝手な反抗心で拒否られちゃ立場ないんだよ。それとも何だ? 好きな女でもいるのか? え??」

 突然まくしたてられて面食らったのか正美は目を丸くしてこちらを見ていた。

 愛は言った側から後悔していた。父親にこっぴどく言われていたのだ。くれぐれも気を付けるように…と。

 これは完全に終わった…と思った瞬間。正美が声を出して大笑いを始めた。

「あははは! 言うじゃないか。では決闘で決着しよう。俺が勝ったらお前は出ていく、お前が勝ったらしばらくは家にいてもいいよ」

 何を言ってるんだこのボンクラは…と思ったが、愛の口から出たのは「面白い…やってやろうじゃん」という言葉だった。

 正美に連れられてやって来たのは屋敷の奥にある広い芝生の庭だった。

 それを見て愛は、どんな決闘をするのかを察した。

 正美が走り出した。走りながら彼は本来の犬の姿に変形した。
 愛もそれに続いた。

 二人は走りながら鋭い牙を相手に向けて犬流の戦いを繰り広げた。

 正美は強かった。しなやかな筋肉と美しい毛並みに愛は魅入ってしまった。
 愛も負けじと戦った。

 何度か急所を取られたが、正美は甘噛みをするにとどまり、彼が本気でこちらを傷つけるつもりはないことがわかった。
 それでも勝たなければ追い出されてしまう。愛は橋田家にはもう戻るわけにはいかないのだった。

 愛は必死に食らいついた。そして彼の隙をついてマウントを取ると、相手の耳を思い切り噛んだ。
 多少加減はしたが、割と強く噛んでやった。

 すると正美はシクソリアンの姿に戻り「お前の勝ちだ」と言った。

 屋敷の中に戻ると、最初に出迎えてくれた老婆が廊下で待っていた。
 正美は老婆に「合格」と言って先に歩いて行ってしまった。

 老婆は愛に近寄ると小声でこう言った。

「ぼっちゃん、ああ見えて愛さんのことを相当気に入ったみたいですよ」

 老婆はむふふと笑った。
 愛はとりあえずすぐに追い出されないとわかりほっとした。

「何をしている愛、親父に紹介するから早く来い」

 廊下の向こうで正美が呼んでいた。

 愛は「はいはい」と返事をしながら彼の後を追い、どうやって奴を手懐けてやろうかと考えていた。
 これから先、何度も正美に耳を噛んでとお願いされることになるとは思いもせずに。

(おしまい)


小牧幸助さんのシロクマ文芸部に参加します。

※表紙の犬は私の絵ではないです~

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