[ショートショート] 殲滅:雪が降る あなたは来ない - シロクマ文芸部
雪が降る あなたは来ない。
そんな歌もあったわね。
・・・。
ってゆうか、何で来ないのかしら。あのボケナスが。
木曽路め。この商談落としたらうちの会社終わるぞ。
私は大変にイライラしながら後輩の木曽路くんを待っていた。
…だから現地集合は嫌なのよ。雪も本降りになってきちゃったし。遅延でも発生しているのかしら?
都会の電車はすこぶる雪に弱い。降るかわからない雪に対して運休を決めたりするほどだ。
カバンからスマホを取り出して確認すると、今のところ止まっている電車はないようだった。
…ッチッ、これじゃあ遅刻の言い訳もできないわね。
もうすぐ三十路の私は木曽路くんにいつもイライラさせられていた。
マイペースで動じない。どんなに叱っても “のれんに腕押し” “馬の耳に念仏” 状態なのだ。
もうダメだ。置いて行こう…、そう思っとき、向こうから木曽路くんが走って来るのが見えた。
地面にはうっすら雪が積もっている。
ダメダメそんな走っては。都会の人間は雪に弱いんだから。
そんな私の心配はよそに、木曽路くんは転ばず無事に走ってやってきた。
「すみません、遅れて」
白い息を吐きながら木曽路くんが言った。鼻の頭が赤くなっていて、少しかわいい…と私は思ってしまった。
「ギリギリアウトよ」
「ご、ごめんなさい」
「いいから急ぎましょう」
私と木曽路くんは急いで商談先のオフィスへと向かった。
時間は少しだけ遅れてしまったが、雪も結構降って来たので、むしろ心配されてしまった。
先方の担当さんは三十代バリバリの女性。たぶん木曽路くんのファン。私はそう見込んで彼を連れてきたのだ。
取引先で彼のファンは多い。木曽路くんは男性にも女性にも、とにかく年上に好かれるタイプなのだ。
こんなずるい手を使って仕事を取りに行くなんて本望ではないが、わが社は火の車。綺麗ごとは言ってられない。
木曽路くんにはとにかくニコニコして先方のご機嫌をとってもらうしかないのだ。
もしも万が一彼がニコニコする以上のことを求められてしまったら、私は何が何でも彼を守る所存だった。
彼の貞操は私が守らねばならないのだ。
そんなわけで、木曽路くんのニコニコのおかげで商談は美しくまとまることとなった。
オフィスビルから出ると、外はすっかり雪景色だった。
これから会社に戻るなんて憂鬱でしかないが、処理しないといけない資料が山ほどある。私はため息をついて、雪の中を歩き始めた。
「あ、あの…」
木曽路くんが私のコートの袖を少し引っ張りながら言った。もじもじしている。トイレだろうか。
「ちょっとお話したいことがあるんですけど…少し時間、いいですか?」
珍しいことだった。仕事以外のことで木曽路くんから私に何か積極的に話しをするということはあまりなかったからだ。
…いや、仕事の話かもしれないし。
「会社に戻ってからではできない話?」
「そうです、ちょっとその、見てもらいたいものがあって、こっそり…」
…何だろう。木曽路くんはとても困惑しているように見えた。
「わかったわ」
私はこのあたりに時間貸しオフィスがあることを思い出した。
2~3人用の打ち合わせスペースもあったはずだ。
貸しオフィスに行くと、ちょうどよい部屋があいていた。
個室に入ると、木曽路くんはカバンをそっと開けて中に入っているものを見せてくれた。
そこには白いフワフワの何かが入っていた。
…ぬぐるみ??
いや違う。フワフワはゆっくりと小さく上下運動をしていて、息をしているようだった。
生き物か? 子猫でも拾ったのだろうか。
「これが雪の上に落ちていて…」
木曽路くんはゆっくりとフワフワをカバンの中から取り出して机の上に置いた。
子猫ほどの大きさ。白いフワフワに目と口のようなものがついている。耳は見当たらない。
体もフワフワで足や尻尾などは見えない。
「これは何?」
私はフワフワをいろいろな角度から眺めて見た。触る勇気はなかった。
「これは…たぶん、雪ん子です…」
…雪ん子?
木曽路くんが言うと、ものすごく可愛いものに思えてしまう、その単語。
「雪ん子って?」
「はい…子供ころによく見たんです。誰も踏んでいない雪の上に落ちていて、ほっとくいなくなっちゃうんです。これまで山の中でしか見たことがなかったのですが、こんな街中にいたら、踏まれちゃうんじゃないかと思って…で触っていいものか悩んだりしてて、それで遅れてしまったんです」
何をいってるんだ、こいつ…。私は木曽路くんがいよいよイカレてしまったのでは…と心配になった。
とはいえ、この謎生物は実際に私の前でくーくーと寝ているのだ。
「ネコじゃないの?」
「ネコではないですよ」
言いながら木曽路くんはフワフワの謎生物を抱き上げた。
「あ、何だかわからない生き物を無暗に触っちゃダメじゃない?」
「大丈夫ですよ。かわいいですよ…ほら」
そう言って木曽路くんがフワフワを私の方に向けたその時。ちょこんとついていたはずの口がガバっと開いて、ギザギザの歯が見えた。
あっと思った瞬間にはもう遅く、木曽路くんの右手の中指と薬指の二本が噛み千切られて真っ赤な血が飛び散った。
木曽路くんはギャーッと悲鳴をあげて手を押さえると、その場にうずくまった。彼のシャツが鮮血で染まる。
フワフワ生物が再び木曽路くんに飛び掛かろうとしていたので、とっさに私はそれを掴んだ。
そしてガブリとやられて左手の親指を失った。
焼けるような痛みだった。ギザギザの歯に噛み千切られるとこんなに痛いのか…と私は妙に冷静に考えてた。
「ウマ―――ッ!!!!!!! ニンゲン、ウマーーーーーー!!!!!」
フワフワが叫んだ。それは耳をつんざく不快な声だった。
私は耳を覆った。木曽路くんはうずくまって動かない。死んでしまったかも、と私は思った。
「どうしましたか?!」
タイミング悪く、貸しオフィスの店員が入ってきた。
白いフワフワはぴょーんとジャンプして店員に飛びついた。
バリバリと音がして、フワフワが店員を食べ始めた。
ブシューッと血が吹き出した。店員は悲鳴を上げる暇もなく絶命した。
ゴロンと店員の首が床に転がった。
首を失った体は痙攣しながら数歩進むとバタリと倒れた。
床に血の海が広がった。
その間もフワフワは店員の身体をバリバリと貪るように食べていた。
それからは皆も知っての通り。
白いフワフワは人を食べると分裂し、あっという間に増え続けた。
そして数日の間に人類の80%が食われてしまった。
木曽路くんは気を失っているだけで一命を取り留めた。
特に何の処置もしなかったのに不思議である。
なぜだかあれ以降フワフワは私たち二人を襲ってはこなくなった。何かしらの免疫的なものがついたのかもしれない。
私と木曽路くんはフワフワ討伐隊の主要戦力として最前線で戦っている。
フワフワは人を食べると分裂を繰り返し、どんどん大きくなる。そして、最終的には象くらいの大きさになる。
我々はそれを斬って斬って斬りまくっている。
いくら斬ってもやつらは湧いてくる。
それでも私はあいつらを駆逐するまで戦いをやめるつもりはない。
フワフワを根絶やしにして、そして、私は木曽路くんと一緒にあの日受注した案件、居酒屋ワンダーランドを銀座の一等地にオープンさせるのだから。
「先輩、休憩終わりです。行きますよ」
木曽路くんが私のテントを覗き込んで言った。初心で可愛かった木曽路くんも今や人類最強戦力の一人である。
私は刀を手に取ると休憩用のテントから表に出た。
向こうでB班が何とかフワフワたちの侵略を食い止めているのが見えた。
さあ、交代の時間だ。
いっちょせん滅してきますか。
みなさんも、得体の知れない生き物はどうか拾わないようにね。
(おしまい)
小牧幸助さんの「シロクマ文芸部」に参加します。