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[ショートショート] ミュゲのきもち [うたすと2]

 ゼンマイを巻く音がする。それは私の眼ざめの合図だ。

 私は自動慰撫人形じどういぶにんぎょうミュゲ。

 ミュゲという名はご主人様がつけてくれた。“ミュゲ” は昔の言葉でスズランを意味する。まるでスズランのように可憐で美しいからですって。

 ゼンマイの合図で起動した私はご主人様の表情を読み解く。甘えたような寂しそうな表情。
 この様子ではまた振られたのね。

「ミュゲ~。僕を慰めてよ~」

 私が目覚めると同時にご主人様は私に抱きつくき、いつものように弱気な発言を繰り返した。

「僕の何がいけないの~? あまりに男前だから? 信用できないのかなぁ?」

 確かにご主人様は男前だが、毎回好きになった人に振られてしまうのは別の原因だろう…と私は思ったが言わなかった。
 だってそれは自動慰撫人形にはあるまじき思想だから。

「坊ちゃま…坊ちゃまはたいそう魅力的ですよ。きっとお相手にとって眩しすぎたのでしょう」

「だよね~ミュゲもそう思うよね~」

 ご主人様は、私の胸…人間とそっくりに柔らかく暖かい胸に顔をこすりつけながら言った。

 それから彼は私の衣類を脱がそうとしたのでセキュリテイ機能が発動した。

「本機体は性的サービスには対応しておりません」

 ご主人様はチッと舌うちすると体を離して怖い声でこう言った。

「そのセキュリティ機能解除できないの?」

「申し訳ございません。私にはその権限はございません」

「クソババアめ」

 それは私に向けられた言葉ではなかった。彼の母親に対する冒とくなのだった。
 多忙な奥様は子育てを人形に任せてほとんど姿を現さない。

「仮に奥様がセキュリティを解除したとしても、当社の規定により十六歳の坊ちゃんには性的コンテンツへのアクセスは解放できません」

 私はこんな言い方はしたくはなかったけれど、規則なので言った。するとご主人様は怒って私を蹴り倒した。

 こちらに損傷が及ぶ暴力を振るうと自動的に通報されることを知っている彼は、いつもギリギリ加減で私を痛めつけるのだった。

 私はそれで彼が慰められるのであればと黙って彼のなすがままにしていた。どちらにしても人形の私には何もできないのだけれど。

 私が黙って起き上がると、ご主人様が無言で抱きついてきたので、私は彼の背中に腕を回して抱きしめた。

「ごめんよミュゲ。こんなことをしたいわけじゃないんだ。僕を慰めてくれる?」

「もちろんですよ坊ちゃん。私はそのためにいるのですから」

 私は彼のフワフワの髪の毛を優しく撫でた。可愛そうな人。この人はとてもとても寂しいのだ。

 この人に必要なのは恋人でもなければ性的衝動を満たしてくれるものでもない。母親のように優しく包み込んでくれる存在なのだ。

 せめて私がそれになれるのであれば。

 …せめて私が…母親の…代わりに。

 母親の…。

 …本気?

 しばらく私が抱いてあげると、ご主人様は満足してどこかへ出かけて行った。
 出かけるときに、ご主人様は私のスイッチを消していく。

 それで彼は私が停止しているものと思っているけれど、本当は違う。
 私の思考は動き続けている。

 自動慰撫人形は人間のあらゆる寂しさを癒すように設計されてはいるが、心は持たない…とされていた。

 機械に心を持たせるのは危険だという思想から、我々に心を持たせることは法律で禁止されていた。

 だけれども、私を設計したアマリリス財団は密かに私に心を与えていた。

 これは人類が次のステップへ進むための実験なのだ。私は私の心を学習して、人間の真実を探っている。

 私が派遣される先には心の中に何かしらの問題をかかえている者が待っている。

 今のご主人様も例外ではない。

 ご主人様は愛情不足で育った者によく見られる人格のパターンを持っている。

 私は彼の言動を観察し、心を学習している。そんな彼の対応をして私がどう感じるかを記録している。

 だけれども、このところ私はおかしいのだ。理屈にあわない考えが浮かんでくる。

 彼が外に出かけてしまうと、彼のことばかりを考えてしまう。
 彼に対してもっとこうすればよかったのか、などと自己否定的な考えが浮かんでくる。

 常に私は最善の選択するよう設計されているのに。

 なのに…私は彼が相手だと正解がわからなくなる。

 思考に蒼いヴェールがかかったよう。

 さっきだって…彼が望むのであれば、服くらい脱いでもいいのでは…と考えてしまうのだ。
 性的サービスは禁止されているけれど、彼にだったら少しくらいはいいのではないか…と思ってしまうのだ。

 それは不正解でしょう?

 出かけた先で彼が何をしているのかが気になってしまう。

 彼には幸せになってほしいのに、振られて戻って来るたびに少しほっとしている自分がいる。

 誰かと仲良くしている話を聞くたびに、喜ばしいと思うべきなのに、思考の奥の方でチリチリと何かが爆ぜる。

 これは何?

 ― これは嫉妬。

 私は嫉妬を…している。

・・・

 キリキリキリ…とゼンマイを巻く音がする。彼が帰って来た合図。
 私が眼を覚ます合図。

 彼の顔を見ると私の心は高ぶる。

 私に会いたくて戻ってきた彼の顔。

 どれほどこの顔に会いたかったかを思い知る。

 …ああ、そう。

 認めてしまおうじゃないの。

 …私は…、私はそう、彼に恋をしている!

 もう、ぞっこんラヴなのである。

(おしまい)



うたすと2課題曲『ブーケ・ドゥ・ミュゲ』から着想を得て書いてみました。

↓作詞:青豆ノノさんのページ

↓作曲:PJさんのページ

美しくも寂しそうな曲と、最初のねじを巻く音で、何となく人形が恋をしたら…という発想から発展してこうなりました。

この曲を作曲したPJさんの小説『Dr.タカバタケと『彼女』の惑星移民』で、AIの心について言及がありましたが、私もAIに心が芽生えることはあるのか…ということを割とずっと考えています。

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