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[コラム] シミュレーテッドリアリティについて延々と考えた
シミュレーテッドリアリティというのは、この世界はどっかの誰かが作ったシミュレーションなのでは….? という発想。このような仮説を読んだり聞いたりすると、私は恐怖にも似た興奮を感じる。
だって、これは私が物心つくころからずーーーーーっと考えていることなのだ。
この私の妄想の始まりは、「他人」というものを意識しだしたところまでさかのぼる。
自分自身は自分として認識して、この世界に存在している。私はわたしの内側から世界を見ている。私からみた家族や友達は、私の外側にいる。つまりそれが自分以外の人だ。
その自分以外の人たちは、どうやって自分自身を認識しているのだろうか? 私と同じように自分の内側からこの世界を感じているのだろうか?
学校にいる間は、クラスメイトと同じ空間にいるけど、家に帰ったとき、私から見えなくなった彼らは果たして同じように存在しているのだろうか??
極端なことを言うと、私が存在しなくてもこの世界は存在するのだろうか???
私が存在しなくなれば、もちろん私にとって世界は存在しなくなってしまう。だからこの答えは永遠に知ることができない。
もしも私が見てないときの世界が変わらずに存在するという、何らかの証拠がつかめれば、この世は現実なんだと確信することができる。
私は大人になった今でもこの疑問を考え続けている。だから、人と世界と宇宙に興味があるんだと思う。本や映画や街中のちょっとした風景にも異常に感情移入してしまうのはこのせいかと思われる。
そんな中で私は「シミュレーテッドリアリティ」という概念を知ることとなった。幼いころの私には 「シミュレーション」 というものを知らなっかったのでうまくこの疑問を言葉にできなかったが、そう、まさにこれだったのだ。
私はずっと自分自身が高度な技術によって作られた 「シミュレーション」 の中にいるのでは? という感覚をぬぐい切れずに生きている。
映画『マトリックス』が世に出てから、この概念はより一般的になったかと思う。あの映画はまさにこの感覚を具体化したものかと思う。
わたしは、特に何の前情報もなしにこの映画を見に行ったのだが、ネオがマトリックスから目覚めるシーンで気絶しそうになったのを覚えている。
これだよ!! これ!! 私がずっと恐れているのは!!!!
インドでは 「この世は神の夢」 って発想もあるそうで、人類はずっと昔からこの世界が仮想現実ではあるかもしれないと感じてきたのかもしれない。
そうでもしないと、なぜ、こんな気が遠くなるほど巨大な宇宙空間が存在しているのか、人知を超えすぎていて、考え出すと発狂しそうになってしまうんだ。
私はかねてから、宇宙は本当に何もないとこから始まったのか??? という疑惑を持っている。今のところ 「宇宙はビッグバンで始まった。その前はなにもなかった」 という説が有力とされているけど…。
でもさ、何もないってどういうこと???
私にはそれが全く理解できない。何もないところからどうしていきなり宇宙が生まれるのか。その前は時間もないってことでしょう?? 宇宙を作っている材料はどっから来たの?
ぜんぜん、ピンとこない。
それが、この宇宙はコンピューターのシミュレーションなのだ、と言われると、なるほどと理解できる。
(そのシミュレーションを作った世界はどうやって生まれたのか、という新たな疑問が始まるけど。)
地球は太陽系の中にあって、太陽系は天の川銀河の中にある。銀河はゆっくりと回転しながらお互いどんどん離れて行っている。私たちの銀河はアンドロメダなども含む局部銀河群と呼ばれる銀河群の中にある。
その銀河群や銀河団が集まって超銀河団というのを形成している。超銀河団は壁みたいになっている。壁と壁の間には何にもない空間が1億光年も続いている。そしてそれらの壁や何にもない空間が複雑に並んでまるでシャボンの泡のような形を作っている。
これが、宇宙の大規模構造だ。ここまでが、かろうじて人類が把握している世界。
その先には一体何があるのだろうか。