『雪』 - みんはいアドベントカレンダー
深々と無言の重さ降り積もる
雪
「もう終わりにしよう」
あなたは静かにそう言った。
喫茶店の奥の席。身を隠すように向かい合って座り、わたしは何も言い返せなかった。
いつかこの日が来ることは分かっていた。
わたしの想いはかりそめの恋。浮ついた幻想だったのだ。
沈黙に耐えられなくなったのか、あなたは二人分の珈琲代をテーブルに置くと、そっと立ち上がり出て行った。
ひとり残されたわたしは、向かい側の席からあなたの気配がすっかりなくなるまでじっと待っていた。
いくら待ったところで、あなたの気配は無くなりはしなかった。あなたが飲み残した珈琲と、置いていった貨幣がそこに残っているのだから。
これを、わたしはどうしたらいいの?
そっと手を動かして彼の置いていったお金を数えた。
640円。
きっちり二人分。お釣りなし。
実に彼らしい。
「少しは余分に置いていけやクソが」
わたしはボソッと小さな声で言った。言ってから可笑しくなってきてクスクス笑ってしまった。
一つ向こうの席でパソコンに向かっていた青年が怪訝な表情でチラリとこちらを見た。
それでもっと可笑しくなってしまった。
わたしはテーブルの小銭を乱暴につかみ、伝票を持ってレジへと向かった。
「お会計は640円です」
言われたとおりの金額をトレイに乗せる。
「640円ちょうどですね。ありがとうございました」
ここで足りない…とかだったらウケるんだけど、彼に限ってそんなことはないのだった。
そう、そういうところに惚れたんだ。
抜かりないところ。だから絶対安全だと思っていた。
まあ、それも正解。安全なのは彼のみが、だけど。
喫茶店から出ると、街はイルミネーションで溢れクリスマスの準備でざわついていた。
このままだと今年のクリスマスどうやら独りで過ごす羽目になりそうだ。
独りになったのはわたしだけ。
彼には帰る場所…家族がいるのだから。
よくできた奥さんとかわいい子供達にかこまれて幸せそうに微笑む彼を想像して、わたしはブルブルっと身震いした。
わかってたはずでしょう? この恋ははじめから終わっていたんだって。
なんなら全部ぶちまけたっていいのだけど、わたしはしない。
それをやったらわたしの負けだ。
こういうところも彼の作戦勝ち。本当にくやしい。
今日はとても冷える。
この分だと天気予報のとおりに雪になるだろう。
わたしは足早に家へと向かった。
下を向て歩いていると、雪がちらついて来たのが見えた。
ああ、やだやだ。雪なんて本当に何もいいことはない。
朝は凍って滑るし、融けるとべちょべちょで汚いし。
都会の雪なんてロマンチックのかけらもない。
わたしは最寄りのコンビニでレモンサワーを何本か買った。
店から出ると、本格的に雪が降り始めていた。
通りがかったカップルが「わ~雪~」とはしゃいでいた。
手にぶら下げたレモンサワーの重みが急にずっしり感じられてわたしは顔を伏せて家路を急いだ。
家に帰るとわたしはそのままレモンサワーの缶をあけてグビグビと飲み干した。
お酒はそんなに強い方ではないけれど、今日は飲んでないとやっていられない気分だった。
…こうして部屋でひとり飲むなんていつぶりだろう…。
そんな考えを頭から振り落としてわたしは二本目の缶をあけた。
そうして次々とレモンサワーを飲んで、いつのまにか眠ってしまった。
・・・
寒さで目を覚ますと朝になっていた。
布団も掛けずに寝てしまった…。
頭がズキズキと痛んだ。
これは自分への戒めだ。わたしは痛みを受け入れることにした。
今日が休みで本当によかった。いくら部署が違うと言っても会社に行けば彼と遭遇してしまうことだってなきにしもあらずだ。
昨日の今日ではさすがに顔に出てしまいそうだ。二日あればなんとかコントロールできるだろう。
わたしは思い切って窓のカーテンをサッと開けた。
そして目に入ってきた景色にあっけにとられてしまった。
一晩で雪が降り積もった…というレベルではなかった。
窓の外には雪しか見えなかった。いつもの景色は消え去って、どこまでも続く真っ平な雪原がそこには広がっていた。
…夢…かな。
失恋の痛手で変な夢を見ているのかもしれなかった。
わたしは恐る恐る玄関のドアをあけて外を覗いてみた。
ひんやりとした空気が心地よい、雪の世界だった。
真っ白な大地、そして雲一つない青空がどこまで続いていた。
わたしは靴箱から長靴を取り出し、素足のまま履くと外に出た。
ザクザクと足元の雪が鳴った。
とてもリアルだ。夢の中とは思えない。
明晰夢というを見たことがないのだけど、こういう感じなのだろうか?
わたしはこの雪原がどこまで続いているのか、少し行ったら景色が変わるのか確かめたくなって真っ直ぐ歩き始めた。
空気は冷たかったが凍えるほどではなかった。太陽がぽかぽかと暖かいほどだった。
しばらく進んで振り返ると家がなくなっていた。
360度、見渡す限り雪原になってしまった。
…どうしよう足跡をたどって戻れば帰るかな…。
不思議とパニックは襲ってこなかった。
それよりも身体に違和感があり見下ろすと、背が縮んでいるような気がした。
手足をよく確認すると、どうやら子供になってしまっているようだった。
自分を映すものがなかったのでわからないが、しかし、確かに自分は子どもの身体になっているんだと確信できた。
夢だったらあり得るだろう。
とりあえず、行きたい方へと歩いて行くことにした。
どんどん歩くと、向こうから何かがやってくるのが見えた。
立ち止まって待っていると、それは一匹の犬だった。
…犬じゃない。羊?? いや違う、羊の皮をかぶった狼だった。
「やあ、またきたのか?」
羊のふりをした狼が言った。狼が喋っても何の不思議も感じなかった。
それより、以前にここに来たことがあるのをうっすら思い出した。
「また埋めに来たのかよ」
何の話だっけ??
わたしは必死に思い出そうとしたけれど、記憶は曖昧だった。
「忘れちまったのか? あれだよ」
羊のふりをした狼が鼻先をくいっと動かして向こうの方を示した。
視線を動かすと、そちらに一本の木が見えた。
わたしは雪を踏みしめながら木に向かって歩いた。
木の元に辿りついても、わたしは何をするのか思い出せなかった。
「また持って来たんだろう? ポケット」
狼に言われるままにポケットを確認すると腐った林檎が出てきた。
果肉がドロドロになって、まるで血がしたたり落ちているようだった。
わたしは無意識に林檎の中に指をつっこむと、グチャグチャの果肉中を漁って種を取り出した。
種を取り出す時の、ぐちゃ、ぐちゃ、という音がとても下品で卑猥に聞こえた。
…この種を…埋めるんだ、ここに。
腐った林檎を投げ捨てると、わたしは雪を掘って、見えてきた土も掘りかえして種を埋めた。
指先が林檎の汁と土でドロドロになったが気にはならなかった。
そういえば、随分前にもこうしてここに来て種を埋めたような気がした。
それが、こんな大きな木になったのかな?
わたしは木を見上げた。
狼がすり寄って来てわたしの頬をなめた。
「それでいい。これは俺が管理してやる」
わたしは狼のフサフサの毛を撫でた。
暖かった。
頬をすりよせると、狼はわたしの顔中をべろべろ舐めた。
それは愛撫のように感じた。
「俺がいれば充分だろう。もう他のものを求めるな」
ハアハアと狼の熱い息が頬にかかった。もしかしたらここで狼に食べられてしまうのかもと思ったがそうはならなかった。
羊の皮をかぶっているから今は何もしない…それだけのことだ。
わたしは唐突に狼の名前を思い出した。
「マーナガルム」
名を呼ばれると狼は、フンと鼻を鳴らして満足そうだった。
そう、思い出した。両親が離婚して、父親が別の女と出て行った夜にもここに来たのだった。
「まっさらに…」
わたしは言った。
「そうだ、思い出したか。まっさらだ」
「帰ろう、マーナガルム。そして今度こそわたしを見つけて」
「もう見つけているさ」
わたしは狼を連れて雪の平原を歩いて戻った。
・・・
目を覚ますと夜だった。時計を見ると日曜の夜9時だった。
まるまる二日間わたしは眠っていたようだ。
夢か…と思って指先を見ると、そこにはべっとりと林檎の汁と土がついていた。
「夢だけど、夢じゃなった…」
わたしはいつかみたアニメ映画の台詞をそのまま繰り返して言った。
携帯を見ると何件も着信があった。
彼からだった。
昨日は悪かった、やっぱりやり直そう…連絡をくれ…と留守電やメールにメッセージが残されていた。
わたしは中指を立てた写真を自分で撮り彼に送りつけた。同時に彼からのアクセスを全てブロックした。
「ああ、会社辞めなきゃかな…」
わたしは声に出して言った。
…いやいや、辞めるとしたらあっちでしょう。
わたしは開き直って普段通りに出勤することを心に誓った。
・・・
翌日、出勤すると会社はいつもどおりだった。
当然だ。わたしが隣の部署の課長と不倫してたことも、見事に破局したこともみんな知らないわけなのだから。
暴露しないだけありがたいと思ってほしい、とわたしはなぜか強気の姿勢だった。
きっと林檎の種を雪の下に埋めてきたからだろう。
今日は朝から会議だったので、準備をしようと会議室に入り、デジタルホワイトボードのスイッチを入れると、前の会議の内容がそのままになっていた。
「まったく。守秘義務ってものを知らんのかしら、ここの人たち」
画面をクリアしようとボタンを押したが、消えなかった。
操作方法を間違えたのかと思ってガチャガチャやっていると、後輩のまがみ君がやってきた。
「何やってるんすか? こうですよ」
まがみ君が操作すると、ホワイトボードの画面がクリアされて真っ白に戻った。
「ほら、これでまっさらですよ、昨日の雪みたいにね」
まがみ君が意味深な笑みを浮かべながらウインクをしてきた。
わたしはギョッとして思わず後ずさってしまった。
まだ夢の続きにいるのか、それとも夢が現実になったのか…わたしにはもう区別がつかなかった。
「マーナガルム?…お手…」
わたしが言うと、まがみ君は嬉しそうにわたしの手を取った。
(おしまい)
雪化粧本音をそっと隠してる
【休みん俳企画】アドベントカレンダーを完成させよー🎄
私は4日担当:テーマは雪でした❄
実は私、クリスマス生まれなんですね。
歳をとるまでのカウントダウンですw
◎おまけ
『雪』がテーマということで、比較的病んでいた時期に作った2曲を元に物語を書いてみました。
どちらも背景に雪があります。
1曲目は、10代のころに作った『Snow』という曲です。
録音も当時のもので一発撮りなもんでお聞き苦しい点ご了承ください。
歌っている私もたぶん10代。
あともう1曲。こちらは20代前半くらい作った曲です。
録音も当時のものでノイズ多いです。悪しからず。