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宿命に励まされている
昨日のブログに書いた小山田咲子の本自体は、たぶん10年以上前から知っていたと思う。なぜ今まで読んでいなかったのか、明確な理由はないけれど、なぜ今読んだのかといえば、先日観に行った彼女の実弟である小山田壮平のコンサートが素晴らしかったからだ。
2024年11月4日、横浜関内ホールでの弾き語りワンマンコンサート。彼の音楽自体は、それこそ10年以上前、andymoriの頃から好きで何度もライブに足を運んでいて、昨年ちょうど10年ぶりに観たコンサート以来、また観に行くようになった。この日も冒頭から当時の曲をたくさんやっていて、その歌の熱量の変わらなさに胸を打たれていたのだけれど、特にこの日は中盤で披露されたカバー曲が忘れられない。フォークシンガー高石ともやと笠木透の曲が一曲ずつ、彼の父親のフェイバリットであったというエピソードと、その父親が今年の夏に亡くなったという話とともに歌われたのだった。
ミュージシャンは、というか芸術家全般、何かを作って表現する人は、作品の内外で自分の人生の内情を語るべきなのだろうか。それとも、そうした悲喜交々すらただ寡黙に、作品への情熱に昇華するべきであろうか。問いかけておいてなんだが、わたしはどちらでも良いと思う。表現者が、それを表現せずにいられないのであればそうすればいいだろうし、そうでなければ何も言わずに表現活動を続けてくれたらいい。
小山田壮平は、厳密にいうと彼の歌は、その内情と強く結びついているタイプのものだと思う。たとえその歌の中にはっきりと歌われていなくても、日常で、旅先で、身の周りで起きたことについての感慨が彼の歌になっているというのは周知のことだ。それが周知のことであるからこそ、父親との別れを語り、思い出の歌を歌うことは、彼にとって半ば必然のことであったように思う。そして、彼におけるその必然というのは、誰が決めたものでもなく、彼自身が課したものでもない。それは、歌わずにいられないことを歌い続けることによって、いつの間にか交わされた約束のようでもあり、またはじめから定められた宿命のようなものでもある。
この日のアンコールで小山田壮平は、「弾き語りは座って聴いてもらっているけど、立って観たいという人の声も聞きます。今日は残り2曲だけなので、良かったらみんなで立って踊りませんか」というようなことを話した。バンド時代から一貫して、いわゆる観客を「煽る」ことをしてこなかった彼が、「立って盛り上がって聴いてほしい」と伝えるめずらしい一幕だった。最新アルバム収録の軽快な「マジカルダンサー」に続いて歌われたこの日最後の曲は、andymoriの「peace」だった。彼の代表曲のひとつでもあるこの曲は、亡き姉をはじめとする家族、友人や恋人への思いをこれ以上ないほどに素直に歌い切った曲だ。
小山田壮平と小山田咲子に共通するのは、彼ら自身の思いの強さ、そしてそれを表現することへの信頼感と不屈さだと思う。自分が信じ、憧れたものへの愛を歌い、世の中の無常や不条理へ疑問を投げかける。甘いと言われても、フラれても、ふてくされても、言葉をつむぎ歌うことをやめない。
この日のコンサートの最後で「姉さん」「父さん」と、もう会えない人への愛惜を歌った小山田壮平は間違いなく、この歌を作った十数年前の自分自身に救われ、励まされていた。自分の人生を歌うという宿命を受け入れ、逃げも隠れもせずに歌いきり、自らの音楽に励まされているステージ上のシンガーの姿は、観ているものにとっての救いでもあり、励ましでもあった。
音楽は「過去」も「未来」も連れてきて、「今」と一緒に奏でられるものであるということ、それこそが『時をかけるメロディー』であるのだということを、小山田壮平の音楽はあらためて教えてくれた。そして、決して涙を流すためではなく、「踊って帰りましょう」と言ってからこの歌をうたった彼に、何かとても強い音楽への矜持を感じた。(2024.11.11)
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