【雑記】好きな音楽を聴くのが怖くなって思うこと【"好き"と"憧れ"】
※他人を否定する意図はありません。
いつのまにか今年も折り返してしまい、まさに今日ミンミンゼミの鳴き声に夏を感じつつ過ごしています。季節の変わり目にはプルースト現象のようなものから余計なことを考えることが増えるんですが、いよわさんの『映画、陽だまり、卒業式』を受け、このごろそれが増幅しています。
(サムネに関してですが、夏は雲が綺麗なところだけは好きです。)
創作を享受する資格?
資格なんかない(必要ない、そもそも存在しない)と思っています、他人に対しては。ということは、否定欲しさに書いている訳では本当にないんですが、自分に関しては言い切れないところがあります。
音楽にしろアニメにしろ一般論として、それらを通してなにを受け取るかは自由であって、少なくとも自分では得たものを得たものとして認められるべきだと思っています。……日本語って難しいですね、伝わると嬉しいです。ただ自分はそれ以前のスタートラインに立てているのか、受け取った気になっているもの受け取ったと感じていい人間なのかという雑念が混じり、好きな音楽を聴くのが怖くなってしまっています。
いよわさんの曲に限らず、例えばこの歌詞にはこういう気持ちや意味が込められているとか、この音や曲調はああいう音楽がベースになっているとか、具体的に表すとそういうものが読み取れていないことが"資格"がないと感じているところでしょうか。
ボカクラと走行会
意味不明な見出しですが、ここ一年ほどでボカクラに行くことと車でサーキット(レース場)を走ることを経験しました。ついでに書くとバイクでのツーリングにも誘われて行きました。結果、好きなものに対しての好きな気持ちの程度の低さを身にしみて感じることになりました。
ボカロDJの方々って凄いですね。たくさんの好きな曲を見つけて、好きな気持ちを表現して。お客さんも全力で受け取って、全力で楽しんで。自分も楽しんでいるつもりにもなっていましたが、曲を知らないことというか、あまり知ろうとしない姿勢に気づき、それについての申し訳なさがいまのところ勝っています。
車もそうです。物心ついたときから好きでずっと憧れていたサーキットを走り、車を壊して帰ってきました。それ自体は特に気に病んでいないどころか乗り替えどきだったとすら捉えていますが、走行会に通いたいと思うほど好きではないことに気づきました。バイクも憧れていた4気筒400cc(そのへんの車よりは速いやつ)は手に余り、いまは125cc(だいたい"原付")かつ飛ばす気が起きないようなものが欲しくなっています。
ほかに過去にここでは書けないようなことも経験しましたが、手が届かなかったゆえの憧れに過ぎなかったという気づきが得られたばかりでした。
『響け!ユーフォニアム3』
またしても急ですがアニメの話です。吹奏楽部に所属していた中高生のころに観ていた『響け!ユーフォニアム』シリーズの続編を、社会人となり数年経ってから観ることができました。ちなみに久石奏が好きです。……それは置いておいて、中高生という時期の特別さを改めて感じました。
北宇治高校吹奏楽部は、悪く言えばごまかしながらコンクールへと望みました。危うく見えると同時に、その姿は高校生だからこそ輝いて見えました。その時期でしか生では得られない感情があって、それは時間という次第に濃くなっていくフィルターを通してしか思い返せないものだよな、とか勝手に思ったりしています。
まとまらないまとめ
学校を出て"大人"という自由な身分になって、
好きだと思っていたものって憧れてただけなのかな、
というようなことを思う今日このごろです。ここまでこれだけの内容しかないです。
こうも浅くひねくれたのはたぶん成功体験のなさが一因なんだと思います。某メンズコーチのような言説になり虚無になっていますが、ぜひ自分を認められるように成功体験を積んでいってください。他人に対して自分を見下し、別の部分で同時に他人を見下すようにならないように、他人に期待できなくならないように。