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サッカーは誰のために(1)


私は、元々自我が強い。

それも、かなり強い。


チームスポーツに向いてないんじゃないかと、何度悩んだことだろう。



それでも

なでしこリーグに入って後悔したか?

この投稿でも書いたように

"自分のために今までサッカーをやっていた。でも今は、チームのために、誰かのためにという想いが出てきた"


どんなにやめたくなっても

結局はサッカーをする事を選び、ここまで続けてきて

やっとの思いでたどり着いた答え。



その過程を見てもらえたらなと思います。

今回は、私が元々どんな選手で、どんな風に考えてサッカーをしていたかを書いていこうと思います。



自分が好きだからやる


小学生の時の出来事で、印象に残っている事がある。


ある大人に

"誰のためにサッカーやっているの?"

と聞かれた。


私はなんの迷いもなく

"自分のためにサッカーをしています"

そう答えた。


隣にいた子は

"お父さん、お母さんのため"

と答えていた。


はっきり言って、その時はものすごく驚いてしまった。

"サッカーやらされてるのかな?"

という発想にしかならなかった。



"自分1人でサッカーできてるわけじゃないんだよ"

"もっとお父さんお母さんに感謝しようね"

という意味合いの事を、おそらくその大人は言いたかったのだろう。

(質問の仕方も良くないとは思うけれど笑)



私はそこまで考え及ばず

"自分が好きだから自分のためにサッカーしてる"

としか思えなかった。


今思うと

こんな風に、純粋に好きだからという理由でサッカーを続けさせてもらった事にも感謝しているし

自分は恵まれているのだと思う。



でも、小学生の時はそんなことわからないくらい

自分中心で世界が回っていたなと思うし

ただただ"自分のため"にサッカーをしてる子だった。




自分のために泣き、チームのために泣けない


中学生では

試合に出れる時期もあったし

出れない時期もあった。


中学最後の試合

中学サッカーが終わるその瞬間を、私はベンチで迎えた。

しかし、ほとんど泣いた覚えがない。


このチームのことは心から大好きだったけれど

自分が出ていない試合で負けたことに対して、泣けなかった。


でもこれは本音だが、その当時、自分が出ていれば勝てたかもと思った事はない。

その時のベストなメンバーで試合に出て負けた。

だから仕方ないんだな。

そんな感じだった。




でも、やっぱり自分自身への悔しさはあって

そこで泣かなかった分

なぜか学校の美術の時間に泣いた。笑



いつもみんなにいじられてる男の子が

"お前ほんとサッカー下手くそだよな〜万年ベンチ"

みたいな事を言われていて

その子はいつも通り、うるせーよと流していたけど、なぜか私が流せなかった。


自分に言われたわけでもないのに

悔しくて悔しくて

美術の授業を抜け出してこっそり大泣きした。


"自分が試合に出る事"

これが私の中でサッカーの全てだった。


だからチームが試合に負けたことよりも

自分の弱さの方が許せなかった。


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どんな状況でも試合に出たい


高校2年生まで、相変わらずの自我の強さだった。


試合に出れない、泣く。

試合に出てうまくいかない、泣く。



悔しいに対して、涙腺が弱すぎる。



高校3年の時も

二種登録してもらって初めてベンチ入りした試合


現在スフィーダのトップチームの5番、みうだけ試合に出て、私は試合に出られなかった。

この時もチームは勝って喜んでる、ユースのみんなもみうの活躍を喜んでる


そんな中で試合後こっそりトイレに逃げて悔し泣きをした。


なんとまぁ、厚かましい。笑


今になると、ユースでその場所にいさせてもらえていること自体にもっと感謝するべきだと思うけれど

それよりなにより、私は試合に出ることだけで頭がいっぱいで


中3の時となにも変わらず

"目の前の試合に出られない"

それがただ、悔しかった。

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うん、涙我慢しきれてないね私。笑




今回は


こうしてざっと並べてみると

やっぱり、自己中心的だなぁと思う。



この時から、自分がチームのためにという頭があったら、もっと良い選手になっていただろうか。



…いや、それはありえない話なのだろう。



"試合に出てないのにチームのためにとか絶対無理"というのが当時の私の持論で

どんなに上手くいかなくて泣いても

最後には成功してしまっていた。



中3最後の試合に出られなかった後、ユースの試合には出させてもらっていた。

高2でサッカーをやめそうになった次の年、沢山試合に出させてもらった。

トップの試合に出られなくて泣いた後、スタメンで試合に出させてもらった。



この持論を持ったまま上手くいくと思っているうちは、変われなかったと思う。



でも、その気持ちだけではサッカーを続けるのが辛くなって

その気持ちだけでは成功できない事を知って

そして新たな考えを手に入れて

今度は今それが正しいのかを試している最中。



あの時があるから今があって

あの時の自分を全否定する事はないのだと思う。



逆に

この自我の強さを完全に無くしてしまうことは、アスリートとして一種の欠陥になってしまう気もする。


目の前のことにここまで全力になれるのは

さすがにここまでだと引くレベルではあるけれど、大事な事だとは思う。


悔しいと思わなくなったら、成長が止まってしまう気がしてならない。


また、自分が試合に出れなくて

なんで試合に出られないんだ!と泣いていた時

あの子より私が試合に出た方が良いのに!とはならなかった。


どうして自分が試合に出られないかわからない

は、ある。

でも、わからなくてもどかしくて泣く。

わからないけど何かが悪いんだと自分を責め続けて泣く。



全てが"なんで自分はこんなに下手なんだ"

に繋がっていた。



それは、私の強みでもあり、弱みでもあるのだろう。

人のせいにしないのはいいけど、それで自分が潰れかけていたし

わからないを、わからないままにしてしまっていたから、本当にただ泣いてるだけ。



泣いてもいいけど、もっと考えろ。

泣いてもいいけど、悔しがったことに満足するな。


そう言いたくなる。笑


でもこうして私は考えて、周りの考えも受け入れるようになった。

大事なのは、今。



次の投稿では、その今に繋がる部分を書きたいと思います。

ぜひ、合わせて読んでもらえたら嬉しいです。


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伊藤千梅
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