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引退して約2年で、見えてきたもの。
仕事って、なんだろう。
自分は何をするために生まれてきたのだろう。
誰もが、一度は考えたことがある問いではないでしょうか。
社会人約1年半。引退から約2年。
就活を始めた大学3年生の10月から3年間。
私は、なんだかんだずっと、そんなことを考えながら過ごしてきたような気がします。
そんなことをいうと「若いね」なんてバカにしたように言われたりもしますよね。ちょっとムカついて、でもやっぱり、考え続けて、人に助けてもらって、あがいていたわけです。
…その結果、自分の中で、たっくさんのことが、いっぺんに腑に落ちた、9月の私。
今回は、私が気が付いたことをわーっと書いていくnoteになりそうです。(いつもか)
「仕事はこういうもんだから!」なんてえらそうなことは言えないけれど。
偶然と幸運と経験と、たくさんの人のおかげで気が付いたこと。誰かにとっては些細で、私にとっては大切なことを、書いていけたらなと思います。
よかったら、覗いてみてください。
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好きだけど、苦しい仕事
さかのぼること、6月。
ゆかさんとしのぶさんに、こんなことを言われた。「記事書くの、本当は苦しいんじゃない」
その言葉は、ズバリ核心をついていた。
書くことは好きなはずだった。好きなんだけど、記事を書くのには労力を使う。
noteを書いているときと、また全然違う。
ライターとして動き始めていたから、そこに落ち着きたかった気持ちはある。
『私はもう、ライターという自分の道を見つけてしっかり歩んでいます』的な。
でも、落ち着けやしなかった。
京丹後にいかず、編集アシスタントを続けると決断したとき。
自分のためであっても、誰かのことを書きたいと気が付いた。
それと同時に、
書くことは好きだけれど、苦しい。
ということを、自分の中で受け入れてもいた。
きっと、苦しくならない仕事もあるのだろうなと思いながら、それが何かはそのときはわからなかった。
楽しくやろう!の違和感
そして、8月。
親友たちと「何か面白いことしよう」という話になった。
一緒にビジネスしようよ。と。
その提案はすごく魅力的だった。
絶対楽しいよね、と言い合った。
ひとしきり盛り上がって、帰宅。
何をするかや、日程まで決めていたけれど
いざ帰宅してみて、湧き上がる違和感。
私は、苦しくない仕事を、探していたはずだった。親友たちと何かやるのは、きっと抜群に楽しい。
でも、違和感。からの、危機感。
止まらなくてはいけない気がして、私は待ったをかけた。
「自分たちが楽しいだけで仕事をするのは、良くないと思う」と打ち明けたとき、そうかと一緒に止まってくれた親友たちに感謝。
10月、もう一度話し合いをする予定だ。
大変なのに、苦しくない
そして、9月は初めての仕事に挑戦させてもらった月だった。
編集アシスタントとして
書籍の軽い編集と見出しづけ、校正をした。
書籍に携わるのは初めてだったし、編集も未経験。(もちろん、丸投げされたわけではなく、バックアップは完璧)校正も、こんなにボリュームのあるものはやったことがない。
そして、内容もちゃんと難しい。
大変で大変で、ときおりうわーーってなりながら。京都行きの夜行バス3時間前まで仕事をして、スケジュール的にはきつかったはずなのに。
なんと、一度も「苦しい」とは思わなかった。
これが私の中で、かなり衝撃的だった。
ライターさんの文章を読んで、流れがおかしい部分を入れ替えて。重複している部分を削除。二(漢字)がニ(カタカナ)になっているのを発見して、様々を、さまざまに直す。。。
そんな地味な作業が、
大変だけれど、苦しくない。
というか、楽しい。
もしかして、これかもしれない。
という感覚が生まれた瞬間だった。
全てが重なって、見えてきたもの
好きだけれど、苦しい
楽しいだけで仕事をするのは、良くない
大変だけれど、苦しくない
こうして書き出してみると
やっぱり、ややこしい。
好きなこと。苦しくないこと。仕事ってなんだ。いろんなものが絡み合っている。
でもこのような色んな経験から、分解して、見えてきたものがあった。
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