人に恵まれた人生を歩んでこられたことに感謝したい
私は運が強い。なぜなら、これまでの人生ろくなことがなかった割には無事に生き延びているからだ。むしろ、年を取るほど人生が上向きになっている気さえしている。
何より、近しい身内が「あれだけひどい目に遭っていたのによくぞ無事にここまで生きてこられたね。普通ならまともな神経ではいられない。あんた運が強いわ」と私に言うほどだから、中々ハードな人生ではあったと思う。
しかし、その運の強さは自分でつかんだものではない。全て人の好意によるものだと言っても過言ではない。
地の私は大変ぬけていて、人並み以上に失敗が多い。また、みんなと同じことを求められる日本で人と同じことができない。頑張ってやろうとしても滑稽なことになってしまう。
しかし、たいていのことをそこそこにはできる、両親譲りの器用貧乏と、これまた親に厳しく躾けられて身についた礼儀正しさでそこはフォローし、失敗しても笑って許してもらえる状況を作ることはできた。
そう考えると、親にそのような資質をもらったことに感謝しなければならない。
また、身内以外の人にも恵まれてきたと思う。
さっきも言ったように、私はかなり抜けている。だからそれを良く知る人にはかなり心配されるし、良いタイミングでフォロー(尻ぬぐい)もしてもらえる。
そのようなおせっかいな人たちに囲まれていたおかげで、色々なヘマを繰り返しても社会になんとか適合しながらやってこられたのだと思う。
今この仕事を始めてからもそうだ。クライアントさんやライターさんなど同業に生きる人たちに何度も支えられ、背中を押してもらい、今に至っている。
もちろん、これまでの人生で出会ったのはそんな良い人たちばかりではない。私を故意に傷つけようとした人間は山ほどいたし、そのような悪意の人間に囲まれて何度もピンチに陥った。
老いた両親が「ホント、お前は若い頃ろくなことがなかったね」と言うほどだから、まあ、客観的にみてもエネミーは沢山いたのだろう。
しかし、そういう時に限って私の窮地を救ってくれる人が現れるのは昔も今も全く変わらない。
それどころか、年を取るほど悪意の人はどんどん離れていき、善意の人の方が増えているのも不思議だ。そう考えると、私はなんと人に恵まれていることか。そんな私を支えてくれる人にはただ感謝しかない。
親からもらった資質とピンチの時に助けてくれる人の存在なしに私は生きてこられなかった。そう思うと、人があまり経験しない嫌な出来事が色々あったにせよ、私の人生は割と運が良かったと思う。
だからこそ思う。私に善意の思いを向けてくれる人への感謝を忘れるまいと。そして、なにか大きな力によりこの年まで大きな苦労もなく楽しく生きていられる事にも心から感謝したい。