この年でライターを名乗るとは夢にも思わなかった(8)
今日はいつもの回顧録ではなく、現在の心境とか迷いなどについて思いのままにつらつらと書いていく。
50を前にして博打のような世界に飛び込んでしまった大馬鹿者の話
大抵の人は年を重ねると慎重になる。人生経験とともに失敗も重ねて先の事がある程度予測できる学習能力が身につくのだ。
若い頃の私は「人生は博打だ」が口癖で、進んだ先でどんな世界が待ち受けてもなんとかなるさという楽観的な気持ちがあった。
けれども年を重ねて「自分の人生は文字通り博打そのものだった」と実感している今、その言葉が生々しいほどにリアルすぎてもはや恐怖でしかない。
もう若くはない。できれば波風立てず無難に、平穏無事に暮らしたいと思う。
にもかかわらず、子育てが終わり第二の人生が始まったばかりの時期に、どういうわけかいつ仕事が打ち切られるかわからないライターの仕事なんぞ始めてしまった。
暇にまかせてうっかりクラウドソーシングに登録し、向こうから来た仕事をなんとなく断れずに請け負っていたらどんどん依頼が増え、その流れでなんとなく「文筆業」で開業してしまったのだ。
50にもなって新しい事を始めることがどれほど無謀な事かは他ならぬ自分自身が一番わかっていたつもりだった。
にもかかわらず、「なんとなく」軽はずみな選択をしてしまった私は50年も生きているのに全く学習能力がない馬鹿者だという事実を直視せざるを得ない状態となっている。
仕事の依頼が増えて嬉しさよりも困惑の気持ちが強い現在
ほんの出来心で登録したクラウドソーシングで、なんの目的もなく始めてしまったライター業だが、今さら引き返そうにも引き返すことができない。
なぜなら現在は複数のクライアントさんが私を信用して良心的な単価の仕事を継続的に下さっているからだ。
さらに、今年の春あたりから(私的)高単価の仕事の依頼が増えており、単価が低いものは断らざるを得ないこともしばしばだ。
現在の受注数は少ないのだが比較的高単価。とはいえ、その内訳は長文案件や時間ばかりかかり負担が多い校正や修正リライトがほとんど。ボリューム的には800~2000文字程度の案件を数十件受けているのと同じだ。
それに、一時は調子に乗ってたくさん受注しすぎたため、あまり器用に両立できない私はどうしても仕事に比重を置きすぎて家庭が疎かになり家族から大ひんしゅくを受けてしまった。
つまり真剣にワークライフバランスについても検討しなければならない状態になってしまったのだ。
かくして、今は仕事が増えて嬉しいという気持ちよりも「私は一体どこに向かっているのだろうか?どうなることを望んでいるのだろうか?」という困惑の気持ちの方が強くなっている。
夫婦合わせた収入で生活できればいい
もともと「夫婦合わせた収入で生活できればいい」程度の目標しかなかった私だ。ライターで食べていけるほど稼ぐ力が自分にあるなんて今だって思ってはいない。
けれども、今お世話になっているクライアントさんが私に対して希望する数の記事をすべて受けると大卒新社会人の娘と同程度の収入が見込める可能性も出てきた。
ただし、それは時間的にも体力面でも相当無理をすることも意味している。子どもにお金がかからない今、そこまでやって体を壊したら本末転倒である。
そこでクライアントさんには事情を話し、あえて抑えて受注しているというのが現状だ。
普通ならひとりでも自活できるほど稼げることは喜ぶべき事なのだろう。けれども私がそこまでやってしまうと完全に家庭が疎かになる事が目に見えている。家族はそんなこと全く望んでいない。
既にパートと同程度の収入ならあるのだ。子どもにお金がかからなくなった今、離婚する予定も全くない状態で寝る時間を削ってまで無理する必要はない。ひとりで頑張らなくても夫婦の収入で生きて行けるという既婚者ゆえのメリットもあるのだ。
もちろん、せっかくのチャンスなのだからやれるところまでやってみたいという気持ちはある。
けれどもやっぱり私にとって大事なのは家庭なのだ。家の事をほったらかしにせざるを得ないほど仕事をして家族に不快な思いをさせるのは本意ではないのだ。
……あれ?書いている内にだんだん自分の方向性が見えてきたような気がする。
ではそのまま続けよう。
「リアル人生の楽園世代」なので超意識低い系でのんびりとやっていきたい
私はごくごく平凡で大した才能もない年配のおばちゃんだ。髪を振り乱して自分のことよりも子育てを優先してきた長い年月が過ぎてようやくほっとしたところだ。もはやリタイヤ後の人生を過ごしていると言っても過言ではない。
そんなロートルで「リアル人生の楽園世代」である私は、この社会の隅っこでこれから死ぬまでの余生を生きるためのライフワークとしてのんびりとライターを続けていきたいと思っている。
これから大きな出費が次々と待ち構えており必死で稼ぐ必要がある若い人達には大変申し訳ないが、私は若い皆さんたちよりも何十年も前にその険しい道をずっと歩いて子どもを育て上げた。ちゃんと自活して国や自治体に納税できる成人を2人社会に送り出したのだ。
その大事業が終わった今、リタイヤ後の人生でライターとしてどんな働き方をしようが誰に何を言われる筋合いもない。
働き方は人それぞれ。どんな単価の仕事をするかはその人次第。単価交渉をするもしないもその時の状況次第。自分を安売りするなという考えにはもろ手を挙げて賛成するし、単価の低い仕事を受けるつもりは全くない。
しかしながら、雇用関係にもフルタイムとパートタイムがあるように、フリーの仕事にも同じく多様な働き方があっていいはずだと私は思っている。
精力的に大金を稼げるライターもいいなと思うことも多々あるが、今の私は自分がそうなることを全く望んでいない。今の生活を楽しめる程度に細々と続けていくことが私の本当の望みなのだ。
無論、仕事だからパートタイム的なライターだからだといって手を抜くことはしない。報酬に不満があっても契約関係がある間は報酬未満の仕事も絶対にしない。相手がある仕事でそれをやるようではそれこそライターどころか社会人失格だと思っている。
そんなわけで今日のまとめ
今日はとりとめもない文章で今の正直な心境について整理しながら書いてみた。最初は「今激しく迷いが生じています」的な結論になるかと思っていたが、「本当はどうしたいのか?」と自分の心に問いかけながら書いていたらこんな結論となった。
そんなわけで、目下の方針としては「無理なく仕事をする。でも仕事そのものについては信用第一を旨とし、報酬以上の成果を上げる」をモットーとしたい。
でも事情が変わってもっと稼ぎたい、ライターとして有名になりたいなんて欲が出たらその時また将来のことを考え直したい。