元ちとせスペシャルインタビュー【PART2】
2002年、「ワダツミの木」での鮮烈なデビューから今年で20周年を迎えた元ちとせ。2022年2月6日のデビュー20周年記念日を前に、2月2日に配信リリースした新曲「えにしありて」について、そして故郷であり今も生活の拠点を置く奄美大島と自らの音楽のルーツ「シマ唄」について、さらにシンガー・元ちとせとして歩んできた20年を振り返ってのスペシャルインタビューをお届けしていきます。
「ワダツミの木」と歩んだ20年
今年1月、地元・奄美大島のライブハウスで開催するはずだったアニバーサリーライブ「元ちとせ20th Anniversary ありがっ様LIVE in ASIVI」は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により惜しくも中止となったものの、無観客ライブの模様を収録し2月6日に配信という形で公開された。ステージには同じ奄美大島出身のシマ唄の唄者(うたしゃ)の後輩であり、ユニット「お中元」のパートナーでもある中 孝介をゲストに迎え、メジャーデビュー20周年の幕開けにふさわしいステージを届けてくれた。
「ライブが中止になったことは残念でしたけど、みなさんの『次を待ってるよ』っていう声が聞けたので良かったです。チケットも〈島のみんながそんなに観たいと思ってくれてたんだ〉っていうのがわかるような売れ行きだったし(笑)。もちろん地元でライブはデビュー前からやってるし、当時は単純に〈歌いたい〉とか〈聴いてもらいたい〉って気持ちが強かったけど、あれから20年の月日が流れたことで、今は島の人にとって希望みたいな存在でいたいっていう気持ちが強いですね」
10代の頃より奄美の伝統文化である「シマ唄」を歌い続けてきた彼女にとって、歌うことは日々の暮らしの一部のようなものだろう。しかし、そんな彼女の人生はデビューと同時に「ワダツミの木」の大ヒットとともに一変したに違いない。
「デビューして20年経ってますけど……自分の中身はあんまり変わっていないと思います(笑)」
奄美に生まれ育ち、その郷土に根付いた文化の風をたっぷり浴びてきた人間にとって、デビューと同時に大ブレイクという経験は、天と地がひっくり返るような一大事だったはず。にもかかわらず、ドラマチックな音楽人生を歩んできたアーティストとは思えない泰然自若とした言動と佇まい。それは、彼女の生まれ持った資質なのだろうか。
「あ、でもライブ前は昔から緊張してましたよ。というか今の方が緊張するかな(笑)。やっぱり歌に対するハードルが上がっているというか、過去のライブで上手くいった記憶だったり、逆に反省した記憶だったり、それを越えたいという気持ちがあるからどうしたって緊張はしてしまいますね」
本番前の彼女を見かけたことがあるが、いつになく硬い表情だったのを覚えている。もちろんライブ自体はいつも悠然とした佇まいと歌唱でオーディエンスを魅了し、さらに終演後の楽屋で会えば「あら、来てくれたんですか!」といつもの彼女に戻っている。しかし、先に触れた無観客ライブでもやはり、終演した直後に「緊張した〜」という言葉を漏らしていたのが印象的だった。
奄美の歌姫として神秘的かつスピリチュアルなイメージを背負ってきた彼女だが、実際は舞台に立つのに緊張したり、ライブごとに一喜一憂したり、その一方で普段はどんな相手にも裏表なく自分をさらけ出す無邪気さに溢れていたりもする。つまりどこにでもいる普通の女性と大きな隔たりを感じることはない人なのだ。そんな彼女にとって、これまで「元ちとせ」という巨大なパブリックイメージに対する不自由さを感じたことはなかったのか。
「不自由を感じたことはないけど、歌のイメージからなのか、昔は〈喋らない人〉だと思われてました。近寄りがたいのか、誰も私に話しかけてこない(笑)。だから友達はあんまり出来ませんでした。でもそれを苦に思わなかったのは、オーガスタっていう事務所のおかげというか。いつもお兄ちゃんとお姉ちゃん(杏子、山崎まさよしら先輩アーティスト)がいたから寂しいとは思わなかった」
当時彼女が持たれていたイメージを象徴するエピソードとして、レコード会社の会議室での出来事というのが面白い。2ndアルバム『ノマド・ソウル』をリリースするタイミングで、地方に散らばるレコード会社の宣伝スタッフが一堂に会した場所に彼女も参加することになった時のことだ。「今度のアルバムはどんな作品なんですか?」という質問に対して、〈この人達は私のことをどう思ってるんだろう? 不思議な人だと思ってるのかを試してみよう〉と思ったという。そこで彼女はおもむろ目を閉じたまま「風が吹いてきて……」と、さながら自然と交信でもしたかのように答えてみたところ、笑いが起こるどころか誰もが真剣にその言葉に耳を傾ける光景に〈やっぱりそういうイメージなのか〉と、大いに納得したそうだ。このように歌のイメージがひとり歩きする状況は、セールス面やアーティストのイメージ戦略として有効かもしれないが、本人にしてみれば「私、本当はそんな人じゃないんです」と言って回りたくなるのが普通だろう。だが、そんな状況や「ワダツミの木」とともにあった音楽人生にギャップを感じたことは一度もなかったという。十字架のように「ワダツミの木」を背負ってきた感覚——例えば「ワダツミの木」をもう歌いたくないと思ったことはないのか。
「十字架なんて……まったく思ったことないですよ(笑)。『ワダツミの木』を歌いたくないと思ったことも一度もないです。CD通りに同じように延々と歌ってきていたら、もしかしたらそんな時期が来たかもしれないけど、これまでいろんなアレンジで、いろんなメンバーで、何パターンあったかわからないぐらいやってきたので、また違うパターンでどんな「ワダツミの木」になるのかなっていう楽しみの方が大きいです。それとやっぱり……あの歌って、私と現ちゃん(上田現/シンガーソングライター。2008年逝去)との出会いから生まれたものということも大きいかな。たぶん私が現ちゃんに島の話をしなければ生まれなかった曲だと思うんです。島の暮らしとか、島に住んでる人とか文化のこととか……。あと、曲そのものが上田現の世界そのものだと思っていて。隠しきれない優しさが溢れた人で、出会った頃からまったく構えることもなく、変な言い方だけど……昔話をするおじいちゃんみたいって思った記憶があります(笑)。私への話し方もまるで絵本を読んでるみたいに話す人なんですよ。それが現ちゃんの表現だったので、ああいう曲ができるのも不思議じゃなかったというか。話をしてても、音になっても、歌になっても、「現ちゃんだなぁ」ってすんなり腑に落ちたんです。あの人から出てくる言葉がそのまま歌になった感じなんですよね。そうやって、生まれるべくして生まれた曲だから、嫌だなと思ったことはないんでしょうね」
この答えに「やっぱりあなたにとって歌うことは、特別なことであるようで特別なことじゃないんですね」と返すと「そうですね」と彼女は大きく頷いた。そうでなければ「元ちとせ」というイメージに臆することなく、「ワダツミの木」を歌い続けることは出来なかっただろう。彼女にとって歌うことは、特別なことでもなんでもない、人との出会いや触れ合いという〈人との繋がり〉を感じるための行為なのかもしれない。
(次回に続く)
文:樋口靖幸(音楽と人)