見出し画像

心の強さと慈しみの範囲の話

こんばんは。千歳ゆうりです。

強い女が好きだ、という時の「強い」って、大抵は精神的な打たれ強さのようなものだと思うんですよ。もちろん純粋な暴力、筋肉はすべてを解決するみたいな話をしても良いんですけど。

最近思っていることとして、精神的に「強い」キャラって2パターンあるなーということがあります。

1つめは、キャラを具体的に挙げるなら、エイティシックス(大大大大大好きなラノベです)のシンエイ・ノウゼンとか、わかりやすいところで言うと進撃の巨人のミカサやハガレンのエドワード・エルリックとか。
ずばり、「心のやわいところを削ぎ落した結果強くなった」タイプです。かわいそう萌えと親和性が高いので私は結構このタイプ好きだったりします。

余談ですが、ぶっちゃけ流星街出身(比喩ですがまあそんな感じの少女期を過ごしていました)なので私もそのタイプです。で、こういうタイプってあまり怒りという感情を表出させないんですよね。怒りという言葉を辞書で引くと、「思い通りにならないことによる苛立ち」と出てきますが、このタイプには、苛立ち、みたいな感情のさざ波は起きない。その代わり、困惑→軽蔑、という態度になります。人の命を軽視しているとか、そこまで行かずとも非合理的であるとか、その点に困惑を示し、そのあと、感情を荒立てることなく、静かに冷めるように軽蔑という態度に移行します。
それがもろもろの精神衛生にとっていいかというと、そうでもないんですよね。ソースは私ですが。最初から対話を放棄している姿勢なので、あまり発展性が無い。なので、キャラとして愛でる云々はさておき、現実社会を生きていくなら、次に言及する2つめのパターンを目指すことをお勧めします。

2つめは、キャラを具体的に挙げるなら、鬼滅の刃の竈門炭治郎やワンピースのルフィとかです。
1つめと違い、「慈しみの範囲がバカみたいに広い結果強くなった」タイプです。少年漫画の主人公は最終的にこの境地にたどり着きがちかなあと思います。
言い換えれば、1つめのパターンは、慈しみの範囲を限界まで狭めたことが心の柔いところを削るという行動につながっているとも言えます。1つめと2つめは、アプローチが真逆なのです。どちらも「強い」という表出されるものは同じなのに。

そして、炭治朗もルフィも、よく怒っていませんか?炭治朗は基本的に鬼も慈しみの対象としており、だからこそ、慈しみの対象である鬼が同じく慈しみの対象である人間を食うことがたまらなく悲しいし、悔しい。だから彼はよく怒るのだと思います。人間賛歌、と言えば簡単ではありますが、それを無意識レベルに自身に浸透させているのは並大抵のことではありません。
そして、こういうタイプの人が怒ったとき、大抵は悔しさと悲しさの暴発であることが多いため、相手を傷つけるという方向に行きません(慈しみの範囲内にあるものを傷つけようとはしませんし、そこが心の強さであるともいえます。人殺しをしているので殴ってでも止める、という姿勢ではありますが、相手の心をえぐろうと思ってどうこうはしません。炭治朗も原稿用紙を踏まなかったでしょ)。発展性もあるし、人間として目指すならこちらではないかな、と思っています。

あなたはどちらがフェチですか?とか、あなた自身が強くなるなら、どうなりたいですか?……あるいはあなたはどのように、強くなってきましたか?
と、まあ、問いかけて終わってもいいのですが。

どちらかというと、以下のような余談がしたい、かもしれません。

このことに気づいたのは、生粋の1つめのタイプだった私が、なんやかんや2つめになりつつあるな、と気づいたからです。どれだけ理不尽なことを前にしても怒りという感情を感じたことが無かった(前述のキャラほど心が強いというわけでもないので、困惑→軽蔑、だけでなく、困惑→恐怖(理解できないので)というパターンも多々ありましたが)私が、初めて覚えた怒りというものに新鮮さを感じつつ、でもそれは攻撃性のあるような破壊衝動ではないな、と思ったときに、2つめのタイプの存在に思い至ったのです。そして、私もそうなりつつあるのだと気づいたのです。
それはひとえに、皆さんのおかげ……少なくとも、理不尽なことに対して、面倒そうな顔をしながら冷めた目で受け流すよりも、ちゃんと自分の身を守る行動をしてほしい、と思っている人が皆さんの中には多いのだろうな、と思えたことが大きいです。

だから、まあ、その、ありがとう、というか、なんというか。
いやまあ実際、あなたが「どちらかというとちゃんと自分の身を守る行動をしてほしい」と思っているかどうかなんて、私にはどうしたってわかりえないのだから、何のお礼なんだか、とあなたは笑うかもしれないけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?