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きょうだい児
感情的に書いたので読みずらいところ分かりずらいところ等あると思います…
※長文、重い内容、感情的な文章等が含まれます
なんでこんな子産んじゃったんだろうって思ってるの、分かってるからね。
可愛い娘じゃないなって思ってるのわかってるからね。
別に悲しまないよ、そんなんじゃ。
生まれてきたことを後悔してる訳ではないけど、貴方の子供として生まれてきたことは後悔してるよ。
産んでくれなんて頼んでない、って言いたくなる気持ちもわかるわ。子供だからね。
親の自己満で子供産むなって。
お兄ちゃんを一人っ子にさせたくなかったからってさぁ。
私の存在意義はお兄ちゃんを1人にしないためでしょ。
じゃあ両親が亡くなったら私は一生お兄ちゃんの面倒を見なきゃいけないんだね。
私のことなんだと思ってるの。
最近𝕏(旧Twitter)できょうだい児についての投稿をよく見かけるようになりました。
きょうだい児(きょうだいじ)は、病気や障害を患う兄弟や姉妹がいる子供。
私はきょうだい児らしいです。最近知りました。
兄が適応障害なんです。
そもそも私は「兄を一人っ子にさせたくない」という母の思いによって産まれました。
母がひとりっ子だったのに加えて両親が共働きだったので寂しかったんですよね。
まぁ私じゃなくても良かったわけです。男でも女でもなんでも。
ほら、兄弟って助け合わなきゃじゃないですか。
とんでもない足枷ですよね。
私は兄のことが嫌いでした。今は普通、というか好きでもないけど別に嫌いと主張するほどでもない、といった感じです。
私が小学4年生の頃、兄は学校に行かなくなりました。私はそのころ所謂いじめと言われるであろうものを受けていました。よく言われる暴力やカツアゲなどのように大それたいじめではなく、仲間外れにされる、してない悪行を先生に報告される、集団で悪口を言われる、などその程度でした。なのであまりいじめ、と言う風に感じてはいませんでした。それでも私にとって教室は居心地が悪いものでした。
そんな環境に置かれた私と学校を休むようになった兄。最初は体調が悪い、と言い休み始めました。もちろん心配しました。しかし日が経つにつれ「今日も行かなかったんだ」と思うようになりました。私は最低です。体調不良なんてどうせ嘘、と思っていました。
兄が中学生になってもそれは変わりませんでした。節目のタイミングで変わってくれるかな、とも期待しましたが変わらず、体調不良を繰り返していました。まだ体調不良で休んでる分には良かったんです。兄は不登校になる前から学校に登校する前にゲームをする習慣がありました。インターネットを使った対戦ゲームです。兄はゲームに対してよく腹を立てていました。時にはコントローラーを投げ、叫びました。私はそんな兄が理解できなくて、嫌いでした。私のゲーム嫌いはこれが原因なんでしょう。今でもずっと複数人でネットを介してやるようなゲームは嫌いです。
体調不良により朝起きれなくなった兄は起きれるようになってからゲームをするようになりました。起きた瞬間からずっと。もちろんそれは私の帰宅時間にも被ります。
学校が居心地の悪い空間であった私にとって、学校生活はハードなものでした。やっとの思いで帰ってきたら快適な空間でゲームを楽しんでいる兄。それだけでも正直腹が立ちました。その上ゲームに対して怒鳴ったり叫んだり物に当たったり。うんざりでした。思ってはいけないことをだったのかも知れませんが、頑張ってないやつが楽しいことだけをするのが許されているなんておかしいと思いました。
母は「やれることからやらせてあげないと」と言いました。兄の救いはゲームだったのでそれを取ってはいけない、と。小学生の私はそんなの理解できませんでした。頑張ってる私には何も無いのに兄は頑張らずに楽しいことだけできるなんて!私が頑張っても無駄なんじゃないか?何度もそんな考えが脳裏を過りました。
そんな生活を1年続けました。
私が小学6年生になった頃、ついに兄は精神病棟に入院することになりました。
本当に私はだめな娘でだめな妹なので、心底嬉しかったです。やっと、やっとあの「ずるい」という気持ちから解放される。
それからの生活は快適でした。兄が入院していたのは1年弱程度でしょうか。
その頃の私は塾に水泳、英会話と多忙な生活を送っていました。そのおかげか兄のことなんて全く忘れて自分のことだけを考えて生活していました。母も父も私の事見てくれる。褒めてくれる。一人っ子は寂しい、とみんな言っていたので兄がいるだけマシなのかな、と思っていたけれど。兄が居ないって、あぁこんな快適なんだ、と思ってしまいました。
兄が入院している間、私は受験勉強に勤しんでいました。兄が通ってるのは公立の中学で普通に進学すれば同じ学校に通うことになります。兄と同じ学校になんて通いたくない。兄への連絡係なんてもうごめんだ。公立中学で自分自身が馴染めなそうだと感じたことも含めて、親不孝なことを自覚しつつも私立中学への進学を決めました。
正直、中学でも馴染めたというか上手くいったとは言えませんけれど。
さて、兄が精神病棟からついに退院しました。
確かにゲームに怒って物を投げたり叫んだりすることは減りました。
中学も無事卒業し、通信制の高校への進学を決めました。
親も普通です。普通なんです。
親が兄を大事にして私への扱いを疎かにして私を傷つけた過去は変わらないのに。
あれだけ兄がいない時「兄には期待してない」なんて言ってたのに。
家に帰ってきたらやっぱり私と兄は同じ「子供」でしかないんですね。
それがきっと正しい在り方なのは分かっています。私はねじ曲がってしまいました。
私の方がいい子なのに
私の方が頑張ってるのに
私の方が評価されるべきなのに
私の方が大事だよね???
そんな劣等感とも違う、よく分からない感情を抱きました。
そして爆発します。
私の方が頑張ってるじゃん
兄の何をそんな評価してるの?
私の方が大事でしょ?
そんなことを言っては泣いて言っては泣いて。
親のことを沢山困らせたなと思います。
兄に気を遣う母にイライラして毎日喧嘩してた時期もありました。毎日怒鳴って毎日泣いて、苦しかったです。
でも私がどんなに嫌がっても私だけを見てくれる生活に戻りたくても兄が精神病棟に戻ることはありません。
私が変わるしかなかったんです。
私が兄を赦すしかなかった。
きっと本心ではまだ嫌だと思っています。
でも表面上許していないといけない。
心の広い妹を演じることにしました。
そのおかげか、今はもう兄にそこまで嫌悪感を抱くことはなくなりました。特段好きではありませんが、普通に会話もするし2人でカラオケに行ったりもします。でもきっと親に無理矢理仲良くさせられてたらずっと嫌いだったと思います。
兄に対する嫌悪感はずっと消えないけれど、マシにはなるんだな、という学びを得ました。
時間が解決してくれるってこういうことなのかもしれないですね。
きょうだい児は、本当に過酷だと思います。
貴方は出来るんだから、という言葉も私がやらなきゃ、と思ってしまう感情も何もかも。
私は本当に兄が嫌で嫌で、同じ血が体内を巡っているのが許せない時期もありました。
同じ苗字であるのを屈辱に感じた日もありました。
両親がこの世を去った時、私が兄の世話をしなければならないのだろうか、と今も不安に思っています。こんなこと言っちゃならないんでしょうけど血縁ってめんどうですね。
私は私のために生きていいはずなのに。
家族だから支えあわなきゃいけないだなんて。
まぁ私は元より兄のために作られた子供なので一生涯兄の面倒をみなければならないのかもしれません、笑
もし仮にきょうだい児の方がこの記事を読んでくださっていたら言いたいのは、大変ですね、よく頑張ってますね、これからも頑張らなきゃいけないなんて嫌ですよね。でもきっと私たちには幸せになる権利がある。血縁関係なんて無視して自分の為に生きてもきっと怒られないですよね。という事です。
頑張りましょうね。