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目薬を年に3本以上消費するので目薬の最期を看取りまくっている

記事を書けば書くほど、動画を編集すればするほど、私は目薬を使う。
1日に最低でも3回は目薬をさし、モニターを見て集中作業をしている時などは1時間もするとたてつづけに3滴を点眼することもある。
目薬は最低でも年間3本は消費するので、目薬のストックは必ず2~3本はある。

15mlで278円の一番安い目薬を10%引きクーポンが配布されたタイミングで買っているのでそんなに懐は痛まないのだが、目薬が「効いてる~」みたいな実感があったことは無くて、完全に気休め。
気分的なリフレッシュとドライアイ防止のために使用しているので、私の出費の中では無駄だなと、小学生の時から思って買い続けている。
高校までは「こども用」を惰性で買っていて、それ以外の選択をしなかった。

昭和時代にはプールから上がる時に目に直接、水道水をジャージャー当てる「目洗い」つ~儀式があって、目洗い専用の上向きに水が出る二股の蛇口があり、ソコに列を作って並んでまで目を洗わないといけなかった。

私は小さい時から自分がイヤだと思うことはズルをしてでもやらない性格だったので、目を閉じたまま親指と人差し指で瞼をこじ開けてる風を装って、瞼を洗って済ませていた。
プール上がりに目を洗いたいと思ったことなど一度も無い、だってみんな痛いて言ってたしヤだよそんなの。

プール上がりに目を洗っていない私の目が充血することなんてなかったので
「目洗いはヤだ」と拒否していたら、目と歯は大事にしろと口酸っぱく言う祖母が「洗わないならせめて目薬を」と「こども用しみない目薬」を買ってくれた。

バカの一つ覚えでそれ以降、私の目薬は「こども用」に決まり、それがフツーの目薬よりちょっと高いとも知らず、べつにクールでしみようが何でもいいのに、ずっと300円くらいのヤツを買っていた。

当時は一世一代の浪費である遠足のおやつが300円までバナナはおやつに入りませんという時代である。
満足いくまでおやつが食べれる遠足のおやつ代が300円の時代に、その全額相当を「しみない目薬」につぎ込んでいたのだ、バカみたいに。
一番安い目薬なんて当時は100円もしてないだろうにね。

ウチはお小遣い制ではなく、欲しい物を父親にプレゼンして納得させれば金がもらえるシステムだったんだけど「目薬代300円ちょーだい」でくれていたので、目薬と本はプレゼンが要らない二大配給品だった。

「こども用」のちょっとお高め目薬からの卒業は、社会人になって家を出たタイミング。
自分の稼ぎで買うようになってからは「最安値の目薬」と決めているので迷いが無い。

たまに我が家に誰かが遊びに来る際に「飲み物とか買って行くけど何がいい?」と聞かれることがある。

「おごってくれんの~?」
「おごるよ~ウマちゃん食べれるモンあんま無いやん?何なら食べれるん?」
「あのね~食べ物とか飲み物は自分で買っても食べれない物あるほど偏食やからさ~一番安い目薬おごって~」
「目薬?!どしたん?目ぇ何かなってんの?眼医者行き~や」
「何もなってないで?」
「じゃ何で目薬いるんよ」
「目薬なんて何個あってもええやんか~」
「えーーー目薬なんか使わへんで?」

友人知人の多くが目薬を使い切らないことに、とても驚いている。
私は目薬を「個人の持ち物」だと思っているのだが、多くの家庭が「家族で1個」を使っていて、しかもいつの間にかどこかに行ってしまい、使い切ったことなどないらしいのだ。
「これいつの目薬?」てな目薬がソファーの下から出て来たりなんかして、目薬なんて家族総出で使っても年に数滴もさされずに捨てると言う。
…ナンデスッテ?私はたった一人で毎年3個以上消費しているのに。

私はココ30年の目薬の底値の推移を知っているぞ?
コロナ前は98円で買えた目薬もコロナ直後は128円、178円と上がって行き、現在の底値は278円である。
たまに使用期限が短い目薬が198円の激安特価で売られていたりするが、現在の常時の底値は私の居住地域では278円である。

出先にも持って行き信号待ちで目薬をさすし、数々の職場のキーボードの横には常に目薬がスタンバイしてきたし、倉庫作業であれば私物持ち込み禁止であっても目薬は許可を得てポケットに忍ばせた。

私は宮崎産まれで両親ともに宮崎人、生粋の宮崎の血が流れている兵庫県民であるが、九州と東北には「色素がもともと薄い」という人種が存在する。
コレは先祖からの遺伝なので医療で何とか出来たりはしない。

もともと目が細いので頑張って目を見開かない限りは蒙古斑は見えない位置に隠れている

私の白目にうっすらと青い線が入っているのがおわかりいただけるだろうか、よ~く見ると黒目との境目も所々が青い。
たぶん蒙古斑だと思うんだけども、アジア人なのでメラニン色素があるにはある証拠だと思っているがウチの家系は目に蒙古斑が出やすい、従妹の蒙古斑も白目にくっきりとある。
しかしこの色素が徐々に少なくなる遺伝のようで、蒙古斑も眼球も色が抜けていく。

蒙古斑の青みや、目の色の薄さは「視力が悪い」と勘違いされることが多いが、私の視力は49歳で1.5である。
難病の影響で失明する恐れがあるので定期的に眼科で検査を受けておりその時に視力検査もするので、去年の最新の視力が1.5ある。
老眼でピントを合わせるのに苦労はしているが、裸眼で車の運転が出来るほど視力は良い。

因果関係はわからんが、私の老化が進んで遺伝の影響を受けて蒙古斑が消え、眼球の色が薄くなっていっても、なぜか視力が良いのは、目薬を年に3本さしてるからじゃねぇのか、と思っている。

だって暗い部屋で本を読んだり、いつまでもいつまで夜更かしをしたり、ゴーグルもせずプールで泳いだり、大人たちが「目が悪くなるよ」と言うようなことは散々ぱらしてきてる。
目に良い事をしてきたとすれば、目薬をさし続けてきたことくらいしかないのだ、継続はチカラなりて言うではないか。

私くらいの目薬歴ともなると、目薬をさすのも「ただの一滴」ではない「最小の一滴」で、さす。
私の目薬のさし方は異様で、見た人が全員驚く。
目薬の先を眼球に当てているからである。

「えーーーー?!ウマさん目薬…いま目に当たってへんかった?」
「当ててます」
「当ててんの?!痛くないん?!」
「白目の部分なんでね、黒目は痛いけど白目なら大丈夫ですよ」
「怖いわ~そんな人はじめて見た~」
「コレだと失敗しないですよ?クチに下がることもないし、目から流れることもないから化粧も崩れへんし、無駄の無い一滴がさせるんで経済的です」
「そうなんや…でも見てて痛いわ…」
「慣れですよ」

目薬のボトルを押して出す一滴はしずくがデカいので目を閉じたら頬に流れる場合があるが、私の白目ダイレクト方式でさすと白目に当たっているボトルの先をちょっとだけ浮かせてボトルを押すので隙間からは最低限の一滴しか出て来ない。

とくに目薬の最期というのは、失禁を繰り返すようになる。
目薬が残りこれくらいになると、

ボディを押さなくても逆さにしただけで大きなしずくが2滴も3滴も勝手に落ちてくるのだ。
この失禁が始まると、目薬の臨終を看取る準備が必要である。
目薬のさす手順を変えねばならない。

通常の目薬の手順はこう。
上を向き、薬指でアカンベーし、目尻側の白目に当てる、少し浮かせてボトルを押す。
看取りの準備に入った目薬の手順はこう。
薬指でアカンベーし、目尻側の白目に当てる、挿し口が浮かないように気を付けながら上を向く、ボトルが真っ逆さまになるよう首を傾ける。
ボトルを押す必要は無い、クチに残り少ない液が落ちるような角度に持っていくだけでいい、目薬の失禁のチカラで勝手に最小の1滴が点眼されるのだから。

目薬の最期はどんなメーカーの商品でも、底値の物であれば失禁する。
ボトルの形状が多少違っても、必ず失禁する。
高級目薬を使ったことが無いのでわからないが、おそらく高級であろうとも最期は失禁がつきものなのではなかろうか。

この最期の失禁をしない目薬ボトルが発売されないものかと期待しているが、40年以上目薬の最期を看取ってもまだ出会っていない。
失禁しない目薬のボトルが開発されたとしても、底値の目薬には採用されない気がする。
まァ私は失禁目薬を己のスキルでコントロール出来るので問題は無い。
これからも目薬の失禁と向き合って最期を看取る。

こんなに長い間、目薬の介護をしてきた人間が私の他にいるだろうか。
いたら同士として忠告したいことがある。

仕事中にキーボードのすぐ横に置いているであろう目薬の横に、決してメガネクリーナーを置くな。

私はまだ間違ってさしたコトはないが危なかったコトが2回ある
ブルーライトカットのメガネ愛用者はとくに注意が必要である

目薬の介護が出来る人間はノールックで目薬をさすことが出来るから危ないぞ、目薬とメガネクリーナのボトルは形状が同じで大きさが違うダケなので仕事に集中したままノールックではメガネクリーナーを目にさしてしまうぞ、気を付けろ。

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千徒馬丁
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