私の走り書きメモに令和革命が起きる
漢字かなカナ交じり文で手書きのメモを取る私はこれまで、自分がわかればいいだけのメモを誰かに渡して仕事を引き継ぐ時なんかに「なんでこんな書き方するの?」と再三再四、聞かれてきた。
戸籍上の氏名に漢字はあるが画数が少なくて済むひらがなで名前は書くし、少しでも画数でラクをしようとカタカナも乱用する。
漢字も略字で書ければそれを使う。
例えば退勤時に引き継ぐ仕事が以下の3つ残っていたとしよう。
第一工場の在庫の個数の確認をする
前日点検の曜日は森田さんに伝えること
イベントの時は門を閉めて鍵は管理に預けて終了になることをスタッフの皆で共有すると伝達する
引継ぎ3項目、私の手書きのメモはこうなる。
このメモを片手に同僚に口頭で引き継ぐ、私は十分これでわかるので何の不自由も無い。
そして引継ぎが終わったら、同僚に言うのである。
「私の走り書きでよければメモ要ります?」
「一応もらっとこかな」
所望されたので私の走り書きを渡すと99%不自由が起こる。
「何これ?読みにくっ」
「いま言いましたやん、引継ぎ3つ」
「え~何でこんな書き方するん?」
「画数の少ない字でラクに書くとこうなります」
「わ~千徒さんのFAX向こうの人たちめちゃ読みにくいんちゃん?」
「FAXはよそゆきで書いてますよちゃんと読みやすいほうで。自分用のメモやからコレですねん」
「へぇ…千徒さんはこっちのほうが読みやすいんや?」
「いいえ?読みにくいですよ?」
「なんでわざわざ読みにくいほうで書くんよ」
「いま説明しましたやん、読みやすさよりラクに書くこと重視ですよ。メモは読むより書くほうが労力使いますやんか」
「さほど変わらんで~どんだけズボラなん」
押されるよねぇ、ズボラの烙印。
言うてすまんが私は誰よりもメモ魔である。
仕事の時なんて腐るほどのメモを取っている。
PCモニターの両端は付箋だらけ。
手の甲と手首はメモ帳である。
こんなに懸命にメモを取る私が、書く時に画数を少なくしてラクをしたいと説明するとズボラ人間に認定される、理不尽よのぅ。
まァ大半は自分がわかればいいだけのメモなんでね。
ワレで画数の少なさを重視しまっせ勝手に、と思ってね。
そしたらアータ、革命的なすんげぇ情報を手に入れたのである。
明治初期には使われてたけど今は廃れた「合字」という画期的なカタカナが存在しているのだ。
目からウロコだよ、これさえ覚えればメモが更にラクに書けるではないか。
令和の合字革命である。
私は明治初期の合字を令和に復活させると決めたよ、自分がわかりゃいんだから。
厳選して私が採用する合字は、以下の6文字である。
記事中にあって便利そうだけど「シテ」と「より」の合字を抜いたのは、私が「より」の合字を見て「ヨリ」の読みがピンと来なかったから覚える労力を減らすことに決定。
「シテ」は、走り書きしたらおそらく既に使っている略字「〆」と同じになるだろうと思って。
その代わりに便利な「コト」は濁点を付けて増やしておいた。
「くれゞも」(くれぐれも)と一緒で、ヿ(こと)がヿ゛(ごと)になると覚えればピンと来る。
早速、引継ぎメモを合字でラクにしようではないか。
合字と書いてズボラ字と呼んでやろう、不名誉だろうけど。
なかでも画期的だと思ったズボラ字が「トイフ」
これまでも伝達事項のメモなどには「云う」を使ってきたが「トイフ」のズボラ字一文字で「誰々に〇〇と伝える」「〇〇を誰々に言う」「〇〇の名称は〇〇という」がいける。
「連絡済み」も「トイフ」一文字を〇で囲めばいける、ラクだ。
私が画期的だと思って使っている漢字に「卆」がある。
この「卒」の漢字には「終わり」という意味があって、終了・完了・最後・区切りがこの一文字でいける。
「卆」に匹敵する効率の良さを感じるのだ「トイフ」のズボラ字に。
せっかく覚えたので令和合字革命で復活させたズボラ字を超絶活用したメモを書いてみるか。
友と言う人間をことごとくシめたとて時既に遅し
メモは問題なく読めるが、人間性に問題があるな。