【偏食の成れの果て】コーヒーが好きでも「コーヒー味」は好きじゃない
水のようにコーヒーを飲んでいると、コーヒーが好きなのだと思われてレギュラーコーヒーを奢ってもらえることがよくあるが、私が毎日中毒のように飲んでいるコーヒーは安い安いインスタントコーヒーとミルクパウダーを独自の比率で混ぜ合わせたノンシュガーのアメリカーノ、それのみである。
レギュラーコーヒーは飲めないことはないので飲むのだが、味が好きかと言われたら好きではない。
わざわざ家から、コーヒーとミルクを独自配合で混ぜ合わせた粉を瓶詰にして会社に持参し昼食時に飲んでいたり、水筒で持ち歩いてまでインスタントコーヒーを飲んでいたりするので、缶コーヒーのブラックをもらうこともよくある。
「すいません、缶コーヒー飲めないんですよ。とくにブラックは」
「えぇえっっっ?!毎日あんなにコーヒー飲んでるからコーヒーなら何でも好きかと思ってた」
「ん~…いつも飲んでるあのコーヒーしか飲めないから毎日飲んでます」
「え?!同じメーカーのしか飲めへんの?」
「そういうワケじゃないですよ。メーカーとかじゃなくて…一番安いインスタントコーヒーとミルクを混ぜた無糖の薄いコーヒーです、水とお茶以外では安心して飲めるものがソレしかないので」
「…安心?」
「甘かったり濃かったりすると、吐いちゃうんですよね。売ってる飲料はほぼ甘くて濃いですからね」
麦茶も緑茶も味噌汁も、水か湯でうべて飲んでいる。
関西人の好む味噌汁は濃いので、私にとっては2倍濃縮味噌汁なのだ。
安い安いインスタントコーヒーをガブガブ飲んでいると、コーヒー味の飴やコーヒー味のクッキーを食べたりはしていないのに「コーヒー味の何か」をよくもらう。
同じように柑橘類が好きなのでいろいろな種類のみかんを食べるのだが、そうするとミカンジュースやミカンゼリーをもらう。
みかんの絞り汁ならまだ飲めるが、ミカンジュースやミカンゼリーはみかんの味はしていない。
同じみかんでも産地や種類が違えば同じ味ではないし、なんなら箱買いした冬のみかんなんて産地も種類も同じはずなのに、違う味が混ざっている。
味の違いは誰でも感じているはずなのに、どうして味が違う食べ物を「同じ」だと思うのだろうか。
同じでは、ない。
なぜなら、味が違うからだ。
私は同じ種類の食べ物でも味の違いがあれば「違う食べ物」としてカウントしているが、私の周りでは同じ種類の食べ物は味が違っても「同じ物」として認識されている。
「焼きそばとチャーハンしか食べられる物ないから、この2つをシェアして食べような?私あんまお腹空いてないから、そのことを考えて他を頼んでや?ギョーザ食べられるねんからギョーザにしたら?」
「2つしか食べられるメニュー無いのによく『王将行こう』て言えたな?」
「2つあるなら多いほうやで。だいたいは1つやねんこの店のコレなら食べれるて世界やねんド偏食てのは。アンタはええよなァ~いろいろ食べれて。偏食て遺伝しひんねんなァ…私が食べへんギョーザしぃや」
「2日前ギョーザ食べたからな…」
「味ちゃうやん」
「違うけど…ギョーザはもうええわ」
「昨日の夜や、ソース焼きそばやったやん?昼にはカップ焼きそばの塩食べててんやんか?昨日の焼きそばがちょっと残ってたから今日の昼に食べてんのよ。んで今から王将の焼きそば食べるけど醤油味やん?違う食べ物として認識してないと、回らんのよ私は。そもそも食べられる物が少ないからね」
「え?!昨日の昼からずっと焼きそば?!」
「今朝ミニクロワッサン3つ挟んだからな、まァ全然イける。塩・ソース・醤油、味ぜんぜんちゃうもん」
「味違うけども…ずっと焼きそばはちょっと…」
「いろんな物が食べれるヤツはそんな感覚でおるからオカンは毎日メニューを考えるダケでも一苦労やねん」
ド偏食の私のメニューは考えんでもええからラクやで。
宮崎の郷土料理「チキン南蛮」はひとつとして同じ味が無いからね、途中ラーメンとかチャンポンとか醤油団子とかうどんとかパンを挟みながら、ずっと「チキン南蛮」でイける。
たまにオトンに「うな重おごってや」とか「宮崎牛おごってや」とかタカってあとは「チキン南蛮」で一生イける。
オカンはメニューに頭抱えることはないけど、オトンの懐がだいぶ痛むかな。