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窮屈さを感じる思春期の君たちへ【正直】に着目して自分を見るとラクかもよ

「あのさ、アセクシャルてわかる?」
「あ~うん、知ってる」
「アセクシャルつ~のがあんのか~おもて調べたら共感することが多くてねぇ。私はアセクシャルの傾向なんやな~て思ってサ、アンタどう思う?私にアセクシャルの特徴を感じるコトない?愛情が無いとかではないねん、たぶん恋愛感情とか性的欲求とは結びついてない」
「あ~~~そうやな~わからんでもないな~」
私をアセクシャル気味と感じないか?と私が質問した相手は、成人した息子である。
母親が息子に聞くことか?と本人でも思う。
しかし私は正直さが売りの母親で在りたいので、正直に続けた。

「べつにそれで何か悩んだとか困ったとかはないねんけどな、窮屈さはあったのよね思春期に。だから知ってたらもっとラクに生きてたなァては思う。こんな人もおるてのを知ると知らんとでは気楽さが違うなたぶん、学校ちゅう狭い世界が全ての学生の時はとくに」

情報化社会の現代では知りたい情報はいつでも知れる。
だが、取捨選択は必要である。
時として豊富にある情報に混乱することもあろう。
大事なのは「感じたように生きること」だと思うんだよね。
正解とか不正解じゃなくて「正直」に。
正直に生きるのをラクにやるために「こんな人もおる」の知識量を増やすのがポイントだと思う。
情報化社会になってよかったのは案外と世の中はフツーじゃない人だらけてのが知れること。
昭和や平成の時代に「フツーて何だ?」て考えてた思春期の私は窮屈だったから。

島国日本に産まれてるコトて、窮屈でもあるけど、恵まれてもいると思う。
民族間抗争がないだけ平和だし、なんせ銃社会ではないのでね、命の危険と隣り合わせになるストレスは無い。
陸続きじゃない島国だからこその安全だよね。
そしてものすご~~~く良く言えば寛容。
悪く言えば、窮屈。
無関心だけどアラ捜しはしてるから。
いい意味で他人に興味が無いのに、アラ捜しはしてる。
んでひとたびアラが見つかれば、ここぞとばかりにチカラをソコに注いで叩き潰しますみたいなマインドがう~っすら全国民にある、みたいなね。
無関心な人にうっすら監視されてる社会てすごい窮屈だよね、思春期なんかはめっぽう窮屈なの、それがお互い様の見守り精神だって感じられるタイミングはいくつもあるんだけど思春期ではないのは確か。

だから思春期にはせめて窮屈さに潰れてしまわない程度の正直さは持ってていいのよ、その正直さがフツーじゃなかったとしてもね。

男の子に見える女の子という顔立ちで産まれた私は、女の子の服を着せても「上がお姉ちゃんなのね~」と性別を間違われ、それを母親は屈辱的だと感じたようで、女の子だとアピールするために私は赤やピンクのフリフリの服を着せられていたが、自分で言うのも気が引けるけどまったく似合っていなかった…顔て服装にどえらい影響を与えてんだねぇ。
年子ならまだ百歩譲ってお姉ちゃんのお下がりの産着くらいなら使い回すけど、兄は3つ上だからね。
当時は性別だって産んでみなきゃわかんねぇのに3年後の赤ちゃんのために第一子のフリフリの服を何着も保管するわけないって、いくら貧乏でも。
我が家が本格的な借金貧乏に陥ったのは私が小学生になってからのハナシで、幼少期はまだ借金抱えてないからフリフリをわざわざ買っているのだよ似合いもしねぇのに。

どの時代でも、顔や服装で性別を判断される世の中なのはずっと変わらない。

言うてすまんが姉のお下がり着せられた弟
(実際には後ろが兄で私は妹)

アパレル業界にいた母の妹である叔母が「アンタは絶対ボーイッシュなほうが似合う」と言って私に服を買ってくれていたが、心底そう思う私も。

働くおっさんスタイルが超似合う

しかし母は私に可愛らしさを追求してやまなかった。
ベレー帽の制服がカワイイ幼稚園に入れるも、ベレー帽が似合うカワイイ女の子との対比でますます男の子に見えてしまう逆効果が発生。

幼稚園児で女子と並ぶと男に見える完成度
(もちろん向かって左が私)
まァめげることなく靴下をヒラヒラさす母

環境てスゴいよね。
私は「ヒラヒラ」「フリフリ」が女の子を象徴するものだという認識を持ち始め「女の子」を表現するような形や色を避け始める。
そして5歳にして己の選択は「レインボー」になる。

小学校に上がると赤やピンクを好まない私と、可愛さを追求する母との間で服装の折り合いが付かなくなる。

色で私の希望を聞き入れフリフリや水玉で自分の欲求を満たす母
どう見ても似合って無い

そこでアパレルの叔母が私のスタイリストに就任し「ウマはこんな服なんて全然似合ってない」と母の趣味を一蹴して、ボーイッシュ&マニッシュ路線に切り替える。
それからは持ち物も服装も基本的に青、髪の毛はショートという「ボーイッシュな女の子」でずっといく。

カワイイよりカッコイイが好きで「優しいね」より「強いね」と言われる、そして男の子に間違えられる小学生時代。
ぃやもう片鱗ありすぎなのよね、いま思えばだけど。

自分の性自認の違和感に気付くきっかけは、制服や授業で男女がキッパリ別れ始める中学生頃かと思う、そして思春期に恋愛対象が異性であるか同性であるかを自覚していくもんじゃなかろうかと思うけど、私の場合は引越しを繰り返す特殊な環境が続いてたもんで、幸か不幸か原因や理由は全て環境に起因してると感じる中で過ごしてしまった。

我が家は平均して2年に1回のペースで居を変える生活で宮崎県内を転々としてるんだけども、父親の仕事の関係上とか転勤族でとかそんな正当な理由ではなく、借金取りから逃げるため。

つまり、穏やかな生活とは程遠い住環境だが、宮崎人独特のテゲテゲ気質で「思い悩んでも埒明かねぇから気楽に行きゃぁよかんめ」を極めてしまった。
夜逃げみたいな引っ越しもあったのでなんとなく「借金ぽいな~」と勘付いてたのはあるけど、具体的な借金額や経緯を聞いたのは19歳の時なので、小学生時分は事情はハッキリとは知らないままで、同じ環境が2年以上は続かない生活が12年間続いてた。

2年に1回、友達も学校も家もリセットされるそんな落ち着かない状況で「好きな人」が出来てる暇はない、それはこの特殊な環境によるものだろう、と。

クラスメイトが私に「○○君が好き♡」としつこく耳打ちしてくるので「○○く~ん!」と呼んで一緒に会話をすると、耳打ちした女子が私に「ありがとう」と言う(ありがとうなんだ…)好きなら自分から話し掛ければいいじゃんと言うと彼女は言う「だってはずかしいもん」(はずかしいのか…)
子供ながらに自分が冷めてる感覚はあったものの、まだ自分の性自認とかを考える域には達しておらず、相変わらずコロコロと引っ越しも繰り返す。

中学生になり、女子たちの間で「好きな人の名前を教え合う」という場面に遭遇し、私はクチにはしなかったが思ったね。

この中に好きな人がいなきゃダメ?少なすぎるってば人数が。

過疎地域の中学校区に引っ越して入学していたので、1学年50名。
同級生の男子は25名ほど。
私は半年しか通っていないが隣の市の小学校を卒業していたので、中学生になっても隣の市で違う中学の同級生とも遊んでいたが、隣の市の男子が3倍の人数くらいはいたので、合わせて100名。
100名もよりどりみどりの男子がいて、私は誰も好きになっていなかったが「そりゃそうだろうよ」て思ってたの。

だって半年通っただけで卒業した小学校だもん、違うクラスの生徒は全員、名前も顔も知らないままなのよ。
皆は「転校生ひとり」を覚えたらいいだけやからね、休み時間になったら転校生見物に来てそれを3日も続けたら顔も名前も覚えられるでしょうよ、たったひとりなんだから。
私は何十人の顔と名前を一致させなきゃなんないと思ってんのサ、クラス替えだってもう無いのに。

顔見て名札見て顔見て名札見て、顔と名前を覚えてもまた引っ越しするから「もう会わない人」になる、そんな環境の12年間よ。
好きになれるだけの時間がドコにあんだよ。
友達を作るだけでも時間足んないのに。

そう思ってたんだけど恋愛てね、どうやら違うみたい。
恋愛て「する」とかじゃないのよ「落ちる」んだって。
必要なのは「時間」じゃないの「感情」なんだよ。

環境に問題があると勘違いしていたが、どうやら自分の感情に問題があったみたい。
そしてそれに気付いたのが結婚後だからおそらくフツーじゃない。
気付くのが遅いにも程があるんだけども社会的に見ると今の私の状況は、異性の配偶者と息子ふたりがいる母親、たぶんフツー。
ほらね、フツーて蓋を開ければフツーじゃないのよ。

中高生であった思春期に、私は窮屈で窮屈で仕方なかった。
ド田舎の閉鎖的なムラ社会で監視の目が行き届いている環境が窮屈に思えたし、外見も言動も浮いていたので周りに合わせるのに必死だった。
しかし溢れ出る好奇心を止められない厄介な性格だったので、突飛な事をしでかしてしまう。
学校で父親を見かけることが度々あり、私が原因で呼び出されていた。

学校から電話がかかってきたり、急に家庭訪問をされることもあったようで、そんな時には父が私に必ず報告をして情報共有をしていた。
私の知らない所でやられていたら私は大人に対して不信感を抱いたことであろう、しかし我が父は思春期の娘に言わなくてよいことまで言ってしまう人である。

「今日オマエの担任から電話あったぞ」
「なんで?」
「オマエが学校からいなくなる、て」
「あぁ。出席日数ギリギリだけ出てるからね授業、卒業はするよ?」
「おお。やから俺も担任に説明したぞ?ウチは3年で卒業したら在学中は何してもいい、て娘に言ってあるのでそういう方針です、義務教育じゃねぇんだから。娘を信用してるので悪さはしてないはずですが何かやりましたか?て聞いたら、そこが困っているところです、娘さんは遅刻をしたり学校を抜け出したり受けるはずの検定試験を受けなかったりしますが、警察のお世話になるわけでも他の生徒に悪影響を及ぼすわけでもありません、非行に走ってるわけでもなくたまに学校で見ると明るく楽しそうです、問題はありませんが非常にやりにくい生徒です、て」
「問題ないです、て電話わざわざしてきた?」
「そうやぞ?やから問題ないんですね?ええ問題はないです、で終わったぞ?どんな親じゃろかい?て気になったふなじゃがどんな親かと気になったんじゃないか
「この親にしてこの子アリじゃがてなんだって
おおよそれな

問題はないが問題行動はしっかり取っていたこの高校生の時に、私の中で決定的な出来事が起こった。

クラスメイトに、遅刻して来ても挨拶もなく堂々と教室に入りふて寝をして授業を聞きゃぁせず、赤点補修で点数を稼いで出席日数だけを取る男子がいた。
父親に「3年で卒業したら在学中は常識の範囲内なら何をしてもいい」という条件で強制的に高校に進学させられていた私も出席日数だけを取りに行っていたので、こいつも同類だなと密かに思っていた。
私は高校でとんでもなく浮いていたが、彼はより浮いた生徒に見えていたのだ、私の目には。

1年の上半期でそれなりの単位を取らねば進級が危ういので、私の狙いは最初の簿記検定で2級を取ることであった。
難易度の高さから2級取得者はそれだけで進級の単位をクリア出来る。
私は簿記の勉強しかやらなかったので、簿記の成績だけが良かった。

ずっと寝て出席日数だけを稼ぐ後ろの席の彼に私はプリントを回しながら、簿記2級があれば進級は出来るから補習に出なくても済む事を教え「簿記なら得意だから教えようか?」と、同病相憐れみ同憂相救うべく提案したのである。
すると彼は、同類だと思って情けをかけた私に、とんでもねぇ一言を吐いたのである。

「女は頼らん」

カッチーーーーーーン!
おぉおぉおぉ、オメェ女は頼らんのよな?てぇことはテメェが私を頼ってきた日にゃぁ~私は男てコトでよろしいか?あ?オマエに絶対私を男として頼らせてやるからな、覚悟しろぃ!

私は進級が確実になってからは出席日数ギリギリの登校しかしていないので、在学3年間中、学校にいたのは実質2年あるかどうかだが、その殆どの時間をチューマンに注いで私を信頼させた。
ある日彼は私に聞いて来た。

「1年の時、俺のことテゲ好かんかったやろ?」
気付いちょったっちゃ?気付いてたんだ?
「気付くわ!態度に出ちょったし!」
「伝えるために出しちょったとて出してたよ。今は好きやっちゃかい、いこんね?いいでしょ?
「理由教えて?嫌ってた理由。俺なんかした?」
「してねぇよ?ゆったっちゃ言ったんだよ
「ゆったと?なんてや?」
「は?やっぱ今もそんげ好きじゃねかったわ~ごめんごめん訂正してお詫びしちょきますねテゲ好かん」
「すまんすまんすまん」
「スマンで済んだら警察いらんばい?」

女は頼らん宣言を彼は忘れていたが、私は卒業までに必ず頼らせる何かに誘導する下積みを重ねた。
そしてほぼ学校なんて行ってなかった3年目、ようやく目的を果たしたのである。

「ウンコバ!(←私のアダ名)ちょっと。相談あるっちゃ、ちょっと来て」
ある日、私は教室の外からチューマンに手招きをされ呼ばれた。

ふ…とうとうオマエは俺様を頼りやがったな?…勝ったぞ、ひれ伏せ貴様!

そう思ってほくそ笑みながら教室から出て行く途中で、横にいたナッタ(女子生徒)が私に聞いたの。

「すごい嬉しそうな顔で行くじゃ~ん!もしかしてチューマンのこと好きやと?」

ショーゲキだったねぇ。
男として認められたことを嬉しがってるてコトは男になりたい可能性があるのか…ヤベぇな!て。

自分の中にこんな偏見があるんだ~と思ってショーゲキだった。
「ヤベぇな」て思ったんだよね。
女子だから男子になりたいとしたら「ヤベぇな」て。
そしてもうひとつの意味で「ヤベぇな」て。
チューマンのことが好きなら「ヤベぇな」彼氏いるのに。

私に「女は頼らん」と言い放ったチューマン(向かって右)

一番の「ヤベぇな」の自覚は、すべての「ヤベぇな」に自分の感情の正直さが無い事。
自分の感情に向き合うて頭がなかったねぇ「嫌いじゃない」と「好き」の違いがあんまりない事に気付いてなかった。
窮屈さは感じていたけど、それを特定する知識を持たない、そんな思春期だったのだと思う。

私が高校生の時に「男になりたい可能性がある」て言い出したら、家族も親戚もたぶん「だろうね」て反応だったとは思う。

中学の時の夏の制服が、男子は「開襟シャツ」で女子は「半袖セーラー服」だったんだけども、男子の「開襟シャツ」を女子も着てよかったからよく着てたんだよね、他にも着てる女子はいたしとくに私だけが着てるてことではなかった。

これが中学の男女共用開襟シャツ

ただ式典とかの時には正装としてセーラー服を着用しなきゃなんなくて、その際にはタイ必須だったの。
黒いヒラヒラのタイなんだけど、コレがイヤだったので、式典の直前までやんないの。
「ヒラヒラ」や「フリフリ」が女の子を象徴するものだという認識を持ちゃってるわけで、ソコは拒否なんだよね。

タイはリボンではなくネクタイの結び方

制服のスカートは穿くけど「ヒラヒラ」のタイは拒否。

ブレザーの可愛らしい制服が女子に人気の県立高校だったんだけど、この時にもスカートは穿くけど「水玉のリボン」は拒否。

女子率の高い商業科の女子集合写真の中で
ひときわ短髪で男っぷりがイイ

じつはこの制服のブラウス、女子用(名前刺繍入り)があるのだが、私が着ているのは父親のカッターシャツで襟がカッチカチ。
卒業アルバムの個人写真ではリボン着用義務があるのだが、

リボンは出さない・広げない・隠す

見事にリボンだというカタチを整えない拒否っぷり。
カッチカチの紳士用カッターシャツの下にリボンを埋め、ベストの中に押し込み、絶対に広げない。

見事に制服のリボンだけしてない

先生にリボンをするよう注意されたら男子のネクタイを〆て「校則に女子はリボンじゃなきゃいけないとは書いてません」と主張。

男子用の制服のネクタイを着用

「そのネクタイをしてない男子が校則違反になるでしょう?」と言われたら「退学した生徒からもらったのでこの学校にいません」と論破。

制服以外のスカートを穿いてる姿を見た事が無いので7歳年下の弟は社会人の私のタイトスカートのスーツ姿を見て「スカート穿いてる!!!」とビックリしていた。
「中学も高校もスカートで登校しとったわい」
と当たり前のコトを言うと
「だってアレは制服じゃん?」
制服だろうが私服だろうがスカートはスカートやろがい。

弟にとっては生涯こんなイメージなんだろうね

弟が驚くほど私はスカートを穿いて来なかったらしい。
無意識で避けていたのだろう、そんなに避けていた自覚はなかったが。

青が好きでズボンが好き
女性らしい恰好を強要された時の私の表情の死にっぷり

多様性後進国と言われている日本の、しかも宮崎のド田舎の保守的なムラ社会で、めちゃめちゃ浮いてる思春期をやり過ごし、窮屈を感じながら生きててても、現在の私は誰よりもフツーに生きてるよ、結婚もしてるし子供も産んだ。
夫が私のストーカーであることは言わなきゃわかんないし、離婚せずに夫婦でいる限りはたぶん夫のストーキングは私がコントロール出来るので、問題でも犯罪でもない。
内情は異常でも、見た感じフツーな人は多いで世の中。
な?日本て、寛容やろ?
すご~~~く良く言えば寛容やねん。

だからもっと寛容さを信じてみてもいいと思う。
自分の感情の正直さと向き合って、正直に生きたらラクなんじゃないかな。
そのためには「こんな人もいる」て知る数を増やすのが手っ取り早いと思うのよね。
不安を取り除く唯一の方法て「知る」てコトで、誰にでも出来るから。

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千徒馬丁
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