電化製品オンの波動を感知する本能を磨くには電化製品を捨てろ
部屋にいた小学生の弟と従弟を「夕食できたよ~」と呼び、一番最後に部屋を出て食卓についたひとりっ子の従弟に、私はこう言った。
「部屋のテレビ消してきな」
「えぇ?!なんでわかったと?!」
「何が?」
「テレビつけてるの、なんでわかったと?」
「点いてるからだよ」
従弟は部屋まで行きテレビを消して食事の間中「ねぇなんで?なんで?なんでテレビついてるのわかったと?」と不思議がる。
ひとりっ子の従弟は甘やかされて育っていて、テレビ消さねぇ電気消さねぇ蛇口閉めねぇドア閉めねぇ。
小学生のちょっとの間ウチで暮らしていた時に高校生だった私に「オマエ閉まり悪りぃな」としょっちゅう怒られていた。
とくにテレビを消さないのは叔父の我が実父と一緒で、見てもいないのに点けっぱなしにしたがる。
本人たち曰く「テレビがついてないとさびしい」そうだ。
ひとりっ子で兄弟がいないからテレビが話し相手なのか…と不憫に思ったが、ウチで暮らしている間もテレビを消しやしねぇ。
さびしくねぇだろうよ、賑やかに遊んでやっとるのに。
そうは言ってもひとりっ子の習慣は急には止められないようで、私に怒られるから嫌々テレビを消すも、部屋に戻った時にテレビがついていないのがさびしくて、私にバレないようテレビの音量をゼロにして点けっぱなしにする。
そんな小細工をしても私には通用しない。
だって私には電化製品をオンにしているのを感知する本能が搭載されているのだから。
テレビが点いてるかどうかがわかるのは、電化製品をオンにしている時独特の空間の「電波出てます~」みたいなのを感知しているからである。
「電源オン」の空間とそうじゃない時の違いがあるから、私は音を聞かなくてもテレビが点いていることを当てたのだ。
遊びに出掛けるのに玄関から出てドアを閉め、従弟に言う。
「ヨシ、電気消してきな」
「なんで?!なんでわかったと?!」
「つけっぱじゃかいよ!消せよ」
「え~帰って来たとき暗かったらさびしいわ~」
寂しいと言い張る従弟に電気を消させ、テレビを消させ、ドアを閉めさせて教育しても最後まで従弟は点けっぱなし開けっ放しだった。
そして注意する度に「なんでわかったと?!ねぇ教えて教えて~」と私の秘儀を教えてくれとせがむ。
自分も別の部屋からテレビが点いているのや、玄関を出てから電気が点いているのを、当てたいと。
「そんなの当ててどうするとや?」
「え~カッコイイじゃん!」
「カッコイイか?」
「カッコイイ!ねぇ~教えてよ~」
「教えるとかじゃねぇわ!オマエが忘れちょるダケやもんが、思い出しね」
24時間テレビを点けっぱなしにする従弟は早くも小学生にして文明に慣れてしまい、感知機能が鈍っていたのである。
小学生の従弟が喰いついた以外にとくに日の目を見なかったこの本能を磨きたい御仁がおられたら、家中の電化製品を捨て日の出と共に起き日の入りと共に寝る生活を始めるところからだと思う。
文明が滞る宮崎で暮らさなくなって30年、私は炊飯器が保温かどうかが目で確認しないとわからないほど本能が鈍ってしまった。
テレビの電源を自らは点けず、電車に乗っても滅多にスマホ画面を見ず、流行りの歌もうたえないのに、風呂が湧けば音楽が鳴り冷蔵庫ドアが半開きならピーピーゆぅて充電が少なくなった機器がブルブル振動してくれるおかげで、私は文明人となったのである。