しゃくり1回は恋のはじまりではなく温度差の始まりだよ
ドラマで主人公の女の子が恋に落ちた瞬間、しゃっくりを1回だけする。
食パンの角咥えて走れば男子生徒とぶつかる少女漫画くらいねぇわ、てお思いでしょ?
恋の始まりじゃないけどね「しゃっくり1回」は温度差の始まりである。
1回だけしか出なかったしゃっくりが40才を過ぎたあたりから2回出るようになった。
「あったかい部屋から寒い屋外に出た時とかその逆とかサ、しゃっくり1回出るやん?」
「出るね」
「アレって我が家の民しか出らんて知ってた?」
「えーーーーーーっ?!」
「他の人々は温度変化でしゃっくりが1回出ることはないらしいよ」
「うそやろーーーーーー出てるやろぉ?」
「他の人たちがしゃっくり1回してるの実際に見た覚えある?」
「えー…言われてみれば…見たことないかな…どうだっけ?じゃぁ他のひとたちはしゃっくりが止まらないてこと?」
「違うのよ。そもそもしゃっくりが1回も出ないのよ」
「えーーーーーそうかな?出てないかな、みんな?」
「て、思うやろ?1回だけだし見逃してきたんじゃないかて。温度変化でしゃっくりが1回出るなんてきーたこともないらしいわ」
温度変化の激しくなるタイミングで人々のしゃっくりに耳を傾けたりはしてないから聞き洩らしてるだけ、1回くらいなら出てんじゃないのみんな?と、聞き耳立ててきたけど誰もやってねぇ。
いろんな人に聞いてもみたけど、温度差でしゃっくりが1回だけ出るなんてことは無いと言う。
気温だけではないぞ、うどんやラーメンを食べた時にもたまに出る。
キャンキャンに冷えた水やアッツアツのコーヒーを飲んでもたまに出る。
「最近さ、そのしゃっくりが2回出る時があってさ。中年になったら2回に増えて、老人になったら3回とかになんのかな、と思って。イー姉ぇ出らん?2回?どうよ?」
17才年上の叔母イネならば私よりも先に何かと経験済みであろうと、しゃっくりの回数問題を投げかける。
「うそー…みんな出ないのー…えー…」
聞いてねぇな、回数が2回に増えてるて部分。
「えー…タカシも出るよね?」
全くと断言できるほど聞いてねぇな、回数が2回に増えてるて部分。
「出るね。遺伝なら私が出るってことはタカシも出るよね、姉弟だからね。ばーちゃんも出るよね?」
「出るよ」
「てことは遺伝上は三世代までは出るんだ。ウチのコたちは出らん。ココでしゃっくり1回が途絶えるんやな。血族三親等で治ってるね」
病気じゃないけど、べつに。
隔世遺伝とかあるかもしんないから、我が子の子供つまり孫までは要経過観察か…病気じゃないけどな。
「あのさぁ…伊丹て都会でも何でもないんだけど、それでもやっぱ生活的には遥かに便利なのよ、宮崎より。そうゆう場所で暮らすとねぇ本能は薄れるね」
アボリジニのひとたちがテレパシーを使って会話するのと同じでね。
宮崎は文明が発達していないので、本能を使わないと生きていけないのよ。
毎年の台風被害により、人間が自然のチカラには勝てない事を弥が上にも知らされる宮崎。
気候変動で真冬に台風被害が発生したりと、時代が令和になってもサバイバル能力が高くないと宮崎では生きていかれない。
そんな宮崎の中でもひときわ不便な土地に居を構え、不自由な生活を好んで生きてきたのだろうワレワレ一族は。
だからいつまでも本能が抜け切らず、温度変化でしゃっくりが1回出るのだ。
そのしゃっくり1回が生死を左右する体調管理に繋がってきたのだよ諸君、命に関わる重要な情報だ!
薬という医学の結晶とは無縁の我がご先祖様はしゃっくり1回のお知らせ機能で万病の元である急性上気道炎(ただの風邪)を予防してきた、本能的にな。
その本能を昭和の子孫が守り抜いて候。
天を仰いでなんかブツくさ言って雨を降らせることが出来ただろう曾祖父は楽師だから雨乞い神事は朝飯前だったろう。
私が幼い時に亡くなっているので会ったことはないが、卑弥呼の時代と何ら変わらん儀式を行っていた人だと聞いている。
その儀式はこの国の民の安念を祈る時に象徴天皇がやってきた儀式の、地方版であるぞ。
古式床シク、コシキユカシキ、嗚呼、本能也、吃1回。
御先祖サマ~!
令和ノ時代ニハ邪魔ナダケ~!
我が一族もうとっくに文明開化しちゃってるよ~!
生存のための本能てコトにしときたいのはヤマヤマだけど、発作やから。
しゃっくりの正式名は「吃逆(きつぎゃく)」
ほんで48時間以内に自然に軽快するしゃっくりは「良性吃逆発作」
温度差でしゃっくり1回なんてあんのかよと思っておいでの皆さん、私のウソウソではないんですよ、ほら。
ね?あることは事実。
ただ、1回とは書いてなくて続くっぽい。
しゃっくり1回は0.5秒以内に止まる発作。
我が一族は本能を守り抜いてるんじゃなくて、大人になっても横隔膜が未熟な赤ちゃんのままだてことのようで。
情報化社会て残酷やな。
でもほら、情報の取捨選択はワレの一存でやればいいからね。
いいよいいよ私はしゃっくり1回を本能だと思って生きてくよ。
生き抜くのはいつの時代もかように過酷である。