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窓枠よありがとう、そして未来へ〜舞台装置を捨てる時〜 小林洋平
2007年初演のチェーホフの『桜の園』は地点の中で最も古いレパートリーのひとつだった。地点の中でも最古の演出が残っている作品だった。
過去形なのは今はレパートリーではないからだ。
一旦、この演出の『桜の園』は終了した。
なぜ終了したのか?
誤解を恐れずに言うと、舞台装置が倉庫に入らなくなったからだ。
”え?別の倉庫を借りればいいんじゃない?”
それはそうなのだが、そういうことでもないのだ。
『桜の園』はアンダースローのレパートリー作品で舞台装置もアンダースローの倉庫にしまってある。そして、上演するときに仕込んでまたバラして収納する。
もう、この倉庫がパンパンなのだ。
”だから、倉庫借りれば?”
いや、別の倉庫はあるのだ。別の倉庫は別のところにあって、それはアンダースローからすごく遠くて『光のない。』とか『三人姉妹』とかたまにしか演らない、大きな装置をしまってあって、アンダースローのレパートリーの装置はアンダースローの倉庫にないとダメなのだ。すぐ出せてすぐ収納出来ないとすごく不便なのだ。その倉庫がパンパンなのだ。
‥‥そういうことなのだ!
”でも、装置が入らなくなったから『桜の園』が終了するってどういうこと?”
入らなくなったから、装置を捨てざるをえない。
私達にとって、装置を捨てるということはその演出を捨てるということだ。
地点は舞台装置のプランが何よりも先に決定する事がよくある。
というかまず装置を決める。
創作の順番はこうだ。
原作の本読み
装置のプラン決め
テキスト監査、台詞割り振り
ルール作り
シーン作り込み、照明作り、音響作り
この様に、装置がまずあって、それに合わせて演技形態やルールが出来ていく。
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『桜の園』だったら舞台中央に窓枠が積み上がっていて、そこにラネーフスカヤとその家族がいる。屋敷が売られて捨てられた窓枠だけ残り、そこにまだ居座っている、というイメージだ。そこから終演まで動かない。窓枠の山から時々窓枠を取り出し、皆で窓枠にすがりつく。そしてその体勢のままキープしなければならない(ポーズはミリ単位で決まっていて、すごく大変)。
窓枠の周りは1円玉だらけ。(*舞台全面が一円玉という演出は2007年〜2013年。アンダースローのレパートリーになってからは窓枠の周りを一円玉のラインで四角く囲む様になった)
その一円玉が敷き詰められた上を、屋敷を買ったロパーヒンが歩く。ラストではその一円玉の上で七転八倒する(これはこれですごく大変)。
基本的に家族の周りをロパーヒンが徘徊し、学生のトロフィーモフが見守っているという構図。
要するに装置と演技が一体化しているのだ。
窓枠がないと家族は居座れないし、一円玉がないとロパーヒンはずっこけられない。
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”装置を捨てる=演出を捨てる。というのは分かった、でも捨てるのはもったいないから遠くの倉庫に装置は保管しておいて、再利用するなり、たまに上演すればいいんじゃない?”
もっともな意見だが、色々な理由で私達は捨てる「決心」をしているのだ。
・アンダースローのレパートリーが増える。舞台装置も増えていき、それに押し出される形になる。
・けっこうやり切った感がある。地点の作品はレパートリーでも少しずつ演出が変わっていく。しかし、少しずつ変えるよりもっと劇的に変えたくなった。
・『桜の園』をやるならフルキャストでやりたくなった。つまり、原作の役を全員出したい。要は、もっと大きな劇場用に再創作したくなった。
・やりたい事があるのなら、以前のバージョンをやっている場合ではない。
・もったいないと思って装置を残しておいたら、再創作する時もその装置からまた発想してしまう。
同様に2003年の”動かない”『三人姉妹』の装置を捨てる時も「決心」した。
この作品は地点の代表作と言われていて、人気もあった。しかし、もっと違う『三人姉妹』もやりたいと漠然と思っていた。(あと、三人姉妹が乗る化粧台はかさばっていて倉庫を圧迫していた)
そういう理由で装置を捨てるか残すか、言い換えれば、動かない『三人姉妹』を今後上演するのかしないのか。
これはかなり迷った。
しかし、「決心」した。
その時は皆、ちょっと興奮していた。
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「…いいか、『三人姉妹』の装置…捨てるぞ!」
「おお!望むところだ!」
「いいのか?本当にもう演らないんだな?」
「演らない!」
「人気作だぞ?」
「…ぐっ!」
「代表作だぞ?」
「ぐぅ、それを言うな、決心が揺らぐ。」
「でも違う三人姉妹も演りたい!」
「だよね。」
「そうそう。」
「できる気がする!」
「よし、じゃあ捨てるぞ!」
「おー!」
みたいなノリで捨てた気がする。
『桜の園』はやりたい事が決まっていて捨てるしかないと思っていたから、さらっとしていた。
「『桜の園』の窓枠捨てるのどうする?」
「ああ、クリーンセンターで捨てる」
「あの北にあるところ?」
「北にもあるけど南にもあるよ」
「へー」
倉庫に入っていた窓枠がなくなりスペースが出来た。今まで窓枠専用の棚があったのだが、それが壊され『かもめ』の椅子と『ブレヒト売り』の椅子専用の棚が作られた。そしてそれらの椅子があった所には、すぐさま別のレパートリーの舞台装置がしまわれる。
そして、新作が作られそれをしまう場所に頭を悩ませる。どうしても置き切れなくなった時、また捨てる決心をするのか、それとも捨てるものが本当になくて悲鳴を上げるのか。
でもそれはレパートリーを抱える劇団と劇場にとって、嬉しい悲鳴であることは間違いない。
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余談1……窓枠は捨てたが、一円玉は残っている。
枚数にして35万枚。円にして35万円。プラスチックBOXにして12箱。もちろんこれはクリーンセンターには捨てられない。もったいない。
しかし、これをお札に替えるのはものすごく労力がいる。
2007年にお札から一円玉に両替した時もものすごい労力だった。劇団員がお札を握りしめて京都中の銀行や信用金庫に一円玉を求めて奔走した。
そのエピソードでもうひとコラムは書けるだろう。
タイトルは、そうだな『京都から一円玉が消えた日』だろうか。
余談2……地点の人気作品『ワーニャ伯父さん』の舞台装置、グランドピアノ。これまた色々な理由で、地点が経営する食堂「タッパウェイ」のテーブルになっている。
これもエピソードがてんこ盛りなのだが、それはまた今度にしよう。
余談3……窓枠を捨てたと言ったが、実は全部ではない。
家族が手で持つ窓枠は取っておいた。
その窓枠は、家族が乗っている窓枠よりもクオリティが高く、見栄えがいい。いつか何かに使えるのではないかと、その機会を伺っていたのだ。
場所もそんなに取らないし。
そして、その機会が来た!
2024年9月に初演の『知恵の悲しみ』だ!
今これを書いているのは2024年8月なのであと一ヶ月ほどでお披露目ということになる。
使われる窓枠は相当酷使していたものなので、けっこうボロボロである。
そのボロボロさ加減…いや、演技の荒波を乗り越えた「舞台装置の歴史」を確認しに、『知恵の悲しみ』に足を運んでいただければ、舞台装置としてこんなに本望なことはないだろう。