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百年の孤独/根強いなあ/なんせ井戸端会議ですから~
こんにちは~。やっとアイコン画像入れられました。つたなくポチポチです。
年も明けて2025年ですが、「百年の孤独」についての感想をGoogleで見かけます。ブログがまわってくるのかなあ。
学生のころ(う~ん、はるか遠い昔?)は、読書まあまあ好きでした。
正直、社会人になってから(バブル期)そんなに読書しなくなったのですが、ここ最近ふっと「本読も!」的な勢いで去年(2024年)「百年の孤独」読んだので、さらっとつぶやいてみようかと思います。
12月にドラマ化されることもあり、それまでには絶対読み切っておきたいという目標で読み始めました。
最初は、挫折しそうになりました。
多分、他の方もそうだと思いますが、名前が重なって本ではだれがだれか把握し辛いということが一番だったのではないでしょうか。
とはいえ、ダンテの神曲よりは楽だった!
(ダンテの神曲は読んだというだけで理解しきるのは無理でした。)
私はそこのところ最初わからないままとりあえず読み進み、そうしているとわかってくるようになりました。
確かにドラマにすると人物の顔が違うことでわかりやすくなると思いますが、今回どうしても本を読んでからドラマをみたかったのです。文字からの印象とドラマ化されたものの印象を比べてみたかったのです。
本読み始めてドラマが12月ということがわかってからなんといきなり手術になってしまいましたが、なんとか退院して家で観ることできました。
「本に忠実」という印象でした。
まだ、シーズン2があるようなので楽しみに待っているところです。
書籍を読んだ感じとしては、正直、最後の部分があまりにも唐突に終わった感が強いですね。
全体的に現実的な要素を入れつつ幻想的な部分が多く、幻感を強く感じました。イメージ的に黄色です。
「百年の孤独」はラテンアメリカ文学ブームの頂点ともいわれた作品でありながら「文庫化されると世界が滅びる」と言われていたということも耳にします。それ自体定かではないのですが、1970年代に出版されたのでそのころの時代背景、いや、思想背景があってそういわれていたのかもしれないと思うところです。
読み始めたころは錬金術という言葉に反応してしまいわくわくしたのですが、ちょっと違いました。
親族間の結婚や性に関して奔放すぎるところが一つの家族というか種族的になりすぎてて社会という感覚のない世界の話なんだと思います。
日本でも戦前などはそんなようなことはあったのかなあとも思いますし、他の世界から閉鎖されたような村的なところにはありそうな環境かなともとれました。
百年の孤独は、気力がいりますが深堀できそうな箇所がたくさんありそうで機会があったら疑問な箇所等もう一度掘り下げてみたいです。
シーズン2を先に観たく待っているところです。
別の本を読んでいるところです。
私は基本書籍は本そのもの、いわゆる紙(神?笑)で読みたいタイプの人なので、今後、置き場所に困りそうです。
みなさんご存じの方多いと思いますが、文庫本と単行本の違いを少々。
単行本は、その物語、話などそれのみを出版した本のことですね。
ちょっとサイズが大きくて表紙が分厚かったりデザインがされているようなタイプです。
文庫本は、単行本をもっと小さくして、表紙もぺらっとした感じで価格も低めの本のことですね。単行本で出版されて、2,3年後に文庫本になるというのが通常です。
百年の孤独は、1967年に原著がアルゼンチンで出版され、日本語訳で出たのが1972年です。これらが単行本。(改訂版もあとで出ているようです。)
その後、文庫本になったのが2024年ですからかなりの年月が経ってからの文庫化となるわけです。
私が子供からおばば化するまで文庫化されなかったんですねえ。
単行本よりも文庫本のほうが手が出やすいかもしれないことから、広まりやすさはあるでしょうね。
というか、個人的に単行本か文庫本かというより電子書籍ではなく、紙(神?笑)の書籍ずっとあってほしい~。と願うばかりです。
では、なんせ井戸端会議ですから~スルーっとよろしくお願いします。