人を信じるにも、スキルがいる。
虐待が発生する家庭と、踏みとどまれる家庭。
何が同じで何が違うんだろうと、昨晩思いをめぐらせてみた。
こちらが意図したことが伝わらず、意見を言われると攻撃されてると思い込む。生育歴に困り続けてきた過去があり、人間をそもそも信用していない。磨きがかかった衝動性をコントロール出来ず、他者を容易に攻撃する。
— たろ (@57Hyc) August 7, 2020
虐待発生(ネグレクト含む)家庭の8割くらいがこんなんな気がする。
実は知的に境界域、発達特性が強い、…からの人間不信。この「人間不信」になる前でいかに食い止められるか、が、虐待発生の減少につながるんだと思うんですよ。「人間不信」にはもちろん「本人」も含まれてる。自分も他人も誰も信じられない。そんな世界で生きてたら誰にもSOS出せなくて当然。
— たろ (@57Hyc) August 7, 2020
知的に高くかつ衝動性が高くて、注意ばかり受けて自尊心傷ついてる子(例えば男の子)への支援は、犯罪やモラハラ野郎撲滅に繋がるし、どうせ私なんか価値がないと思ってる子(例えば女の子)へは、自分を求めてくれる男に大切な体を差し出すリスクを減らし、思いがけない妊娠を防ぐ。
— たろ (@57Hyc) August 7, 2020
虐待発生の時、そこに登場する人たちは、総じて傷ついてきてるんですよね。登場人物の中に1人でも、心身ともに健全に育ってきた人がいるだけで、だいぶ予後が違う気がする。
— たろ (@57Hyc) August 7, 2020
TVのニュースで取り上げられる虐待事例は、児の死亡等、最悪の結果に至ったケース。実際、そのケースは氷山の一角で、ぎりぎりのところで最悪な事態を免れている家庭はたくさんある。
ニュースで取り上げられる死亡事例や、身近にある「あ、これはやばいな」と思う事例をよくよく観察してみると「人間不信」という言葉が浮かんだ。
虐待の加害者、そのほとんどが親役割を担う人達。
その人たちが、人間(他者や自分)を信じられているかが、予後を大きく変えると思う。
心がえぐられるような事例には、必ずといっていいほど、加害者の「人間不信」が事態を悪化させている。
近所の人でも、行政でも、家族でもいいから「助けて」を受け止めてもらえていたら。
傷ついてきた人達は「助けて」が言えない。
というか、言わせてもらえない環境に置かれてきた。
助けてもらった経験がなかったり、心の奥底に「自分は助けてもらうに値しない」と思い込んでいるから。
最悪な結果を引き起こさないためには、小さいころから「助けて」を受け止めてもらえる経験をたくさん積んでこれたかが大切。
新型コロナウイルスの影響で、新しい生活の仕方を模索している最中。
弱き立場の人達は、果たして、いま 「助けて」を受け止めてもらえているだろうか。
「助けて」を、拾い上げられているだろうか。
「助けて」を丁寧に拾われて、人間を信じられる大人に、
そして親になれる人が増えたら。
時間はかかるかもしれないが、虐待は減っていくと思う。
今、真剣に向き合うことで、20年後の未来が変わる。