人を信じるにも、スキルがいる。
虐待が発生する家庭と、踏みとどまれる家庭。
何が同じで何が違うんだろうと、昨晩思いをめぐらせてみた。
TVのニュースで取り上げられる虐待事例は、児の死亡等、最悪の結果に至ったケース。実際、そのケースは氷山の一角で、ぎりぎりのところで最悪な事態を免れている家庭はたくさんある。
ニュースで取り上げられる死亡事例や、身近にある「あ、これはやばいな」と思う事例をよくよく観察してみると「人間不信」という言葉が浮かんだ。
虐待の加害者、そのほとんどが親役割を担う人達。
その人たちが、人間(他者や自分)を信じられているかが、予後を大きく変えると思う。
心がえぐられるような事例には、必ずといっていいほど、加害者の「人間不信」が事態を悪化させている。
近所の人でも、行政でも、家族でもいいから「助けて」を受け止めてもらえていたら。
傷ついてきた人達は「助けて」が言えない。
というか、言わせてもらえない環境に置かれてきた。
助けてもらった経験がなかったり、心の奥底に「自分は助けてもらうに値しない」と思い込んでいるから。
最悪な結果を引き起こさないためには、小さいころから「助けて」を受け止めてもらえる経験をたくさん積んでこれたかが大切。
新型コロナウイルスの影響で、新しい生活の仕方を模索している最中。
弱き立場の人達は、果たして、いま 「助けて」を受け止めてもらえているだろうか。
「助けて」を、拾い上げられているだろうか。
「助けて」を丁寧に拾われて、人間を信じられる大人に、
そして親になれる人が増えたら。
時間はかかるかもしれないが、虐待は減っていくと思う。
今、真剣に向き合うことで、20年後の未来が変わる。