Cooking with Loveは名曲なんです
「Cooking with Loveは微妙」みたいな意見がX(旧Twitter)で散見された(のを唐突に思い出した)ので、好みの差はあれどこの曲は近江彼方のパーソナリティにこれ以上ないほど肉薄しておるよ、という話を少しだけします。
・どのあたりが微妙?
自分が目にした意見としては、「料理が得意という個性を出してきたのはいいけど、新しい発見はない」といった趣旨のツイートをいくつか見ました。
そんなことはないと思います。
・近江彼方の人間性
近江彼方という人間は、思ってること全てを口にする人間ではありません。
スクールアイドルの日常やアニメ1期でご覧の通り、愛する人のためなら自身の苦労を一切厭わない傍から見れば悲痛とさえ言える程の自己犠牲精神を持っています。
働く母に代わって家事をこなし、妹のお弁当を作り、家計を支えるためアルバイトに励み、勉学も欠かさない。その上でスクールアイドル活動。
どう考えてもオーバーワークですが、それを苦とも思わずむしろ嬉々としてやる様は妹の遥をして無理をしているに違いないと感じてしまうほどです。
大切な人がやりたいことをやれるようにやれるなら、自分は傍に居られなくてもいい。そう嘯く彼女が考えたラブソングこそがCooking with Loveです。
思うに、その言葉の少なさ、足りなさこそがこれ以上なく近江彼方らしさではないかと。
Cooking with Loveは歌詞の大半がお料理ワードで占められ、彼方自身がどうしてほしいか、相手に何を求めているかはあまり語られません。
1番最初の「キミが幸せなら何も望まないよ」で完結しているからです。
多分今の彼方には本当にこれ以上無いんだと思います。
これは他人のための自己犠牲というよりも、あくまで彼方自身がやりたいことをわがままに貫いた結果であり、故に相手と話し合いを設ける必要も無く、それが実際の問題として顕在化したのがアニメ1期7話のお話でした。
あの時から彼方は良くも悪くも変わっておらず、尽くしたいから尽くしているのだし、それを一々相手に伝える必要は無いと考えているのかもしれません。
語る言葉の少なさこそが、言葉ではなく態度と行動で示す近江彼方の精神性を何よりも表しているし、それを感じ取ってくれる人が少ないような気がしたことが何故だかどうしようもなく悲しく、誰も見てないと思いますがこうして筆を執らせて頂きました。
お料理は、見た目だけではどのくらい手間がかかっているか案外わからないものです。
今一度Cooking with Loveを聴いて、どうしてこういう曲なのかを考えて頂くと、面白い何かが見つかるかもしれません。
これに限らずラブソング編の新曲群は「各々のキャラクター自身が考えるラブソング」という設定に則った、曲自体の良し悪し好悪を越えて非常にキャラクター解釈に有益で面白い情報が沢山詰まっています。
もっといっぱい、聴きましょう。
それでは、さよなら。