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虫垂炎に罹ったら、夫がぼくの食生活を徹底的に管理・指導する神経質な鬼になってしまった話

今年の2月に急性虫垂炎に罹り、深夜に救急車でドナドナされるという地獄みたいな経験をした。ちなみにそれがぼくの人生における救急車デビゥだったんだけど、揺れで余計に気持ち悪くなるわ他人の目が気になるわで、端的に言えば最悪以外のなにものでもなかったし、できればそんなデビゥなどすることなく静かに生涯を終えたかった。

すぐに緊急手術が決定し、オペ室に運ばれてからおよそ1時間後。ベッドに横たわり酸素マスク点滴パルスオキシメーター尿道カテーテルなどなど、管という管に全身繋がれまくってぐったりしたぼく(全身麻酔かけられてたんだからぐったりしてんのは当然なんだけど)を見た夫は、どうやら相当なショックを受けてしまったらしい。

そもそも急性虫垂炎になった原因は、ぼくの場合は不摂生だった。腸内環境が悪く便の排出がうまくいっておらず、それが糞石となって炎症を起こしたようだ。そのことに対し我が家の台所を背負う夫は、めちゃくちゃに責任を感じてしまった。栄養バランスを考えきれていなかった、深夜にお菓子を貪り食い出すチカゼをきちんと止めていればよかった……等々。そして夫は決意する。ぼくの食生活及び健康管理の徹底を。

退院後の検診に付き添ってきた夫は(そのころにはもうほぼ回復して介助も不要だったにもかかわらず、平日だったのにわざわざ有給を取ってまで付いてきた)、栄養士さんを詰めまくった。「納豆は毎日食べさせたほうがいいですか」「珈琲は1日何杯までだったら大丈夫でしょう」「水は1日何リットル摂取させるのが適切ですか」「やはり野菜から食べさせるべきですか」「食事は睡眠何時間前までに終わらせるべきでしょう」etc…。

患者本人ではなく、ましてや親でもない付き添いのパートナーが、なんでか身を乗り出して詰問してくるという謎の状況に、栄養士さんはただただ困惑していた。「いや、まあ、今回は虫垂炎ですしそこまで神経質になる必要は……健康的な食事を意識していただければそれで……」と完全にドン引きしている栄養士さんに、しかしながら夫は食い下がる。「今回は虫垂炎で済んだからよかったけど、次は腸閉塞にでもなったらどうするんですか! そのためには適切な食事の管理が不可欠でうんぬんかんぬんどうちゃらこうちゃら」

もう一度繰り返そう。ぼくが罹ったのは、虫垂炎──いわゆる盲腸である。もちろん病気っちゃ病気だが、切っちまえば再発することもないし、命に関わる重篤なものではない。

食事指導は本来ならば15分程度で終わるはずだったのに、夫がごねたせいで30分以上かかった。終わるころには栄養士さんも死んだ魚の目で「はい……そうですね……はい……」を繰り返すだけになっていて、最終的には夫が「君の体のことでしょう!」と退屈し始めて上の空になったぼくを叱りつけて終了した。

回復して通常通り固形物を食べるようになったあとも、夫の監視の目は緩まなかった。夜中にチョコレートを貪り食った残骸を発見するなり「また入院したいの?」と静かに怒気を帯び始め、ぼくが珈琲ばかり飲んでいることに気がつくと仕事(彼は会社員だが在宅勤務である)をわざわざ抜け出してまで白湯を作って「ちゃんと水分も摂りなよ」とゾッとするほど低い声で告げながらぼくの仕事机の上にコップを置く。深夜にどうしても腹が空いてお茶漬けを食おうものなら「昨日の2時ごろにお湯を沸かす音が聞こえたけど、あんな時間にいったい何を食べたの?」と詰問し、だって生理前で食欲が増えちゃうんだもんゴニョゴニョゴニョなどと言い訳をしようものなら「痛みでのたうちまわってたのも、手術のあと傷が痛くて歩くことすら苦労したのも忘れたの? カテーテルなんて二度と入れたくないし、麻酔の副作用の吐き気で一晩中眠れなかったって自分で言ってたよね!?」と烈火の如く怒り出す。

うるさい。めちゃくちゃにうるさい。ていうか鬱陶しい。新生児を育てるパパママの如く神経質な「乱れた食生活を正す鬼」と化してしまった夫だが、それでも逆らうともっと面倒くさいことになるので、へいへいといい加減に返事をしてなんとかやり過ごす日々である。

昨日も、帰省で三日ほど自宅を開けていた夫は、帰ってくるなり「俺がいない間、ごはんはどうしてたの?」とコートも脱がずに問い質し始めた。いやまずはとりあえず着替えて座ってゆっくりしたら、なんて言おうもんなら火に油である。交際7周年をもうすぐ迎えるぼくは、さすがにわかっている。

「ちゃんとしっかり食べてたよ」
「何を?」
「えっと、卵かけご飯と、カップ麺と、それからポテチと……」
「それ食事って言わないからね?! ていうか、野菜を一切採ってないじゃん!」
ひいっとぼくが首をすくめるや否や、彼は目ざとく机の上に放置していたスーパーのレシートを発見した。
「何これ、つまみと酒ばっか!!」

いやだって偏愛BAR(トキさん主催)があったんだもんしゃーないじゃんと消え入りそうな声で一応の言い訳を試みるも、「お酒を飲みながらでも、せめてコンビニのサラダを食べるとかはできるでしょ!!」とバッサリ斬られて終了した。いや、説教はぶちぶちとその後1時間ほど続いた。

我が家の“いいふうふの日”は、このようにして幕を閉じた。この文章を書いている今、彼はぷりぷりしながら野菜たっぷりあごだし鍋を作るのに勤しんでいる。美味しそうな匂いがリビングから漂ってきて、それでもぼくはやっぱり、幸福を噛み締めたりなどしている。

今日は三日ぶりに、彼の作ったご飯を一緒に食べる。優しい味のほかほかのお鍋は、きっと心も体も温めてくれるだろう。そして願わくば台所のゴミ箱が三日間食い散らかしたジャンクフードの残骸でパンパンになっていることには、このまま気づかれませんように。

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伊藤チタ
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