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闘うために弾かないエチュード
マリンバ弾き休業中木上智保子です。
自分の奏でる音の質から不意に襲い掛かってくる悪霊と怪我の治りかけの単純な痺れに痛えなぁと暴言を吐き、やっぱり弾きたい気持ちが勝ってポロンポロンと音は出して腕を動かしてストレッチしてリハビリしちゃう毎日です。
私が楽器に傾倒して来た歴史を振り返った時に「見返りが唯一あった」が過分にあると思っています。様々なプロフェッショナルの方にも小さじ程度にはあるお気持ちの一種だと思うのですが、自分にとっては狂おしい程に「唯一」がスペシャリティに大事といって過言ではありません。
「唯一(マリンバ)」をやっている限りは助けてくれる人が居る環境に身を置いて頑張ったから、どうにか「学校」という枠の中ではギリギリ人間を保ててたのです。
マリンバは、そこにいけばいつもあるし、泣いてても笑っててもそこにあって叩けば音が鳴る。怒ってても喜んでいても叩けば鳴る。何者で無くても答えてくれる。世界に無視されても、楽器は私を無視できない。やればやるほど私がわかる結果も目に見えてついて来て、師となる大人達が「大学生」として世話を見てくれる。大人が生活面も学習面でも助けてくれてました。
それが思うように叶わなくなって来たのは大学院受験。マリンバは上手に弾けてもそれ以外の準備が全く出来ませんでした。落ちてヘラヘラしてたら「どうして協力を求めなかったのか!」と後輩に受験会場エントランスでガチギレされたし、大学の先輩にも「言ってくれればよかったのに」と言ってもらう始末。学生を終わらせた後も師匠のレッスンに今までの感じで行って凄い顔させてしまったし(譜読み途中で聴かせるにしてももう少しは1人でやって行った方が喜ばしいレベル)、コンサートで曲を決めても全部弾ききれない。提出しないといけない助成金の報告書が期日通りに提出出来ないし、期日を延ばしてもらっても出来ない。1回目は作れても、継続した結果が作れない。わたしは全く1人ではやり切れてなかったと、薬が効いてる今は腑に落ちます。
出来ないなら辞める思考をデクレッシェンドさせて補助を得ながら継続させる。
白と黒で決めたがる性質は脳のバグだし、これまで出来なかった事はこれから出来るようになれば良い。元気じゃないと何にも出来ないからまずは元気になる。元気になってやってみて、それでもどうにもならなければそのどうにもならないの中で楽しく生きれば万々歳。
今、折角自分の目にもわかりやすく腕も脳も疲れてるから誰とも闘わない。自分とも闘わない。
なので、闘うために弾かないエチュードを今弾いています。闘う用途はないのに、自分で決めつけて、一人相撲し続けて来たエチュード。まさしく音が苦。エチュードは敵ではないのに、ずっと敵だと思ってきました。練習曲なんですよ。何かを出来るようになるために練習するだけなのに。それを私は「誰かに選ばれるために勝つために死ぬ気でやらねばならない」と決めつけて来たのです。(口で言ったり思ったりしても行動に出来ていたかは…あっはっはー)
「誰かに選ばれるため」それはコンクールだったりオーディションだったり先生だったり近くの仲間だったり「認められる」と闘うために、消化して来た作品をリハビリのためにも丁寧に味わっています。
キツイです。
これまでは動かしやすかった利き手の右手のコントロールが利かないくて音も幼なくて、それをしっかりと聴いていると悪霊と痛みがじゅくじゅくと襲いかかって来るけど、それでも楽しい。弾けると嬉しい。
私が私で呪った呪いは私が祓って許していかないと変わらないから。
「見返り」なんて強い言葉を使わなくたって良いんです。好きだからで良いんだ。へたっぴでも今はこれで良いかなって。
CHIHOKO
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