見出し画像

技能を買える時代に

リンク記事のタイトルを誤解したことがきっかけで、今日のnoteを書きたくなった。

この記事は事故で手足が麻痺した患者がチップを脳に埋め込んだことによって、手が動くようになった患者を紹介している。また、写真を見ればすぐわかるように、ギターはおもちゃのような簡単なものである。

一方で、私はチップを埋め込むことによって普通の人がギタリスト並みにギターが弾けるようになったと勘違いした。昔ギターを習い、挫折した経験がある。最近また習いたいなと思った矢先に読んだ記事だからだろうと思う。

しかしよく考えてみると、私の勘違いした内容も実現する日は近いかもしれない。脳にチップを埋め込むことで指を動かせるなら、どんなギターを弾くかは精度の問題である。制御の精度が上がれば、素人がプロ並みにギターを弾けることも理論上可能ではないだろうか。

ここまで考えると、ふっと湧いた疑問は、技能(スキル)を買える時代になったら、その技能を努力して習得する価値はあるのだろうか?そして努力なしで誰もが得られる技能に価値はあるのだろうか?

例えば、Aというチップを買えばクラプトン並みにギターが弾ける。Bを買えば英語は母国語になる。Cを使えばプロのようなデッサンを描ける。このような世界になったとき、これらの技能を習得するするプロセスは必要だろうか。

車のほうが速いとわかっていても、マラソンを走る価値はある。AIのほうが強くなったとしても囲碁や将棋を楽しむ人はいる。このような意見に対してははっきりと支持できる。

マラソンは健康や心身の成長を促し、囲碁や将棋はそれ自体が楽しい。成長を感じる喜びという意味では、技能の習得から得られる達成感はマラソンや山登りに近いものがあるが、いかんせん多くの場合は長い時間を要する。

短期的なフィードバックなしに、習得のための努力を続けることはかなり難しいように思う。そういう時代になったら、人間は何で他人と差別化を図るのだろうか。なかなか疑問の尽きないテーマである。

落ちも答えもなくて申し訳ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?