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大切


今年のはじめ、「慈愛」という言葉を手帳に書きました。

淡くあること、いつくしむこと、ゆるすこと。
なんとなく、そういう言葉と一緒に書きとめてはじまった一年でした。


今年。
仕事にかける時間が多くなって、そのぶん忙しなさもあったけれど、粛々と働く時間がもたらしてくれたものも、たくさんあった気がします。
人とすごすことの楽しさとか。かかわりあうことの愛しさとか。日々がとても、優しかったです。



私になにができるだろう。なにを渡せるだろう。

今まではそういうことをよく考えていたけれど、今年はむしろ、相手になにをしないでいられるだろう、なにを取りのぞけるだろう、ということをよく考えていました。足し算より引き算というか。

自分から声をかけて、話を聞いたり。その人の抱えているもの、滞りや、重みをやわらげるように。
あるいはなにもしないで遠くから見守ったり。
それもまた、いつくしむことなんじゃないかなとか。



生活が変わっても好きなものは変わらなくて、あいかわらず空を見て、草木を見て、鳥の声を聞いて、本を読んで、すごしています。
ひとりでいる時間も大事で、ときどき深く潜って、ものを書いています。


今年の一月から書きはじめた小説は、結局掲載には至らなくて、届けることができなくてごめんなさい。でも、読みたい、と言ってもらえたこと、応援してもらえたこと、ほんとうにうれしかったです。ありがとうございます。


相手の求める質を担保することができなかったことに忸怩たる思いはありますが、感情的にはフラットで、私にとっても社会にとっても、テキストにとっても、適切な判断をしてもらえたこと、むしろありがたいなと思いました。

なにもこれがすべての結論である必要もないし、書きたかったこと、また別のかたちで掬いとれるかもしれないから、長い目で見ていればいいかなと。



ことばも人も。関係性ってもっと自由でいいと思っています。満ち干があって。そのときどきの距離があって。

人間だから、つらいときもあるし、今年は心が壊死しそうな時間も、それなりにあったけれど、失うことや、毀れることがもたらしてくれる空白には、かならずなにかが降りそそいでくれる。

ぎゅっとにぎっていたものを手放した手のひらにこぼれてくる花びらは、ほんとうにきれいでした。

たくさん毀れたぶん、痛みのぶん、うまれたものがあって、もたらされる光や色をより感じられるようになって。今年見た風景は、どれもこれも、ほんとうに美しかったです。涙が出るくらい。
泣きはらした目で見た天気雨も。琵琶湖で見た朝焼けも。きっとずっと、忘れないと思う。




苦しい時間も過ぎてみればすべてが糧で、歳月も風景もただただ愛しいです。
あのときうずくまっていた背中も声の出せなかった唇も痛んでいた胸も、いまの手のひらで包みこむことができるし、これから先の私が撫でられる傷もある。壊れたそのままを愛してゆくことも。

癒えなくていいし空白を埋めなくていい。大丈夫。そういうことばをちゃんと放てば、過去の私にもこの先にも、もっと遠くにも、届くんじゃないかと思っています。
いつくしむために、ことばをつかいたい。これからも。
自分も人も、ことばも、もっと深く信じること。祈るように。

 


大切なものがふえて、自分の内側からあふれてこぼれて。淡くなっても、なにかが残って。いつくしむということを体いっぱいで学んだ一年でした。私にとって大切な、大切な一年。


今年もほんとうに、ありがとうございました。
そこにいてくれること、生きていてくれること、そういうことのしあわせを、深く感じる日々でした。
どうかこれからも、あなたと、あなたの日々が、おだやかにすこやかにありますように。変わらずずっと、祈っています。

 

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