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六花


雪にまつわる言葉をあまり知らなかった。
大人になってから、根雪という言葉を知った。春先まで消えない、光のあたらない深い場所の雪のことを、そっと思い浮かべて人の名前のように大切に読んだ。


私が生まれた場所は、そんなに雪が降らない。
忘れたころに雪が降ると、いつもうれしくて外に出た。手袋をはめた指先におりてくる白い結晶は、すぐにほどける。やわらかい雪だった。


この辺は、春雪だからね。と昔父が言っていた。
桃の花が咲くような春先になって、ふいに降る。かすかなあわゆき。あまり積もることもなくて、春の光にとけてゆく。


雪深い町で生まれ育った友達にとって、雪は暴力でもあった。
北越雪譜を読んでいると、なだれに命をうばわれた人の話もたくさん出てくる。きれいなだけではない雪のすがたも一方ではある。
でもそういう雪を知っている人と話すとき、ことばの奥にある雪を感じることがある。声のむこうの、しんしんとふる雪の重みと翳りに、とても惹かれる。
きんとした雪の六角形をたもつ、しずかな花がことばのむこうに咲いている。


私のことばのむこうに何かがあるとしたら、あわゆきなんだと思う。空から風に舞いながらおりてきて、降るそばからとけてゆく淡雪。花びらがすぐにほどけて水になる。
そういう雪にふれて育って、胸に抱くのも、そんな白い景色だった。



ときどき夢を見る。音のない夜、空から雪が降ってくる。ふれるとほどけてしまうから手をのばさない。大切なものがすこしでもそのままであるように。その今を損なわないように。そういう愛し方だった。


でも私が雪のひとひらなら、花であるよりその手にふれてしずくに変わってゆきたい。かたちを変えても、すがたを失っても、ふれたいと願う気がする。


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