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「黒人」として生きるということ、私たちができること

アメリカでは今、警察に暴行され死亡したジョージ・フロイドさんの事件をはじめ、最近立て続けに起きたアフリカ系アメリカ人に対する差別に対しての抗議デモが起きています。抗議の声が大きくなったこともあってか、ジョージ・フロイドさんを実際に暴行し逮捕されていた警察官の量刑を一段階重いものに、関与した他3人の警察官も新たに逮捕されました(今まで逮捕されていなかったことに驚くのだけど)。みんなの想いが届いているのかなと少しだけ救われる気持ちでニュースを読みました。

そんな中、今、私ができることの一つは、アフリカ系アメリカ人の差別の歴史や彼らの想いを知ることだと思っています。彼らが発信している記事や動画などを読んだり、観たりして学んでいます。

「あなたが何を成し遂げたとしても、肌の色が黒いだけであなたを嫌う人が必ずいる」
「黒人だから目立たないように、おとなしくしてなさい」
「黒人だから怖がられる、避けられる」
「黒人なら殺されてもしょうがないと世間に思われている」
「住む場所や就ける仕事が限られている」

なんてことを、彼らは子どもの頃から言い聞かされてきた。どんなに勉強しても、どんなにお金を稼いでも、どんなに努力しても肌の色で人格や行動を判断されてしまう。それが人間としてどれだけ絶望的なことか。アメリカでアフリカ系アメリカ人が受けている差別は、社会のシステムの中に組み込まれているもので、どんなに一人ひとりが差別をやめようとしても、社会が変わらないとなくならないものなのです。(ここに関しては次の記事で詳しく触れたいと思います)。

NY在住、21歳のアフリカ系アメリカ人と日本人のハーフ女性による動画での発信です。日本語でとても分かりやすい表現で、ブラックコミュニティーの想いを話しています。


日本人だからとか、アメリカに住んでないから関係ないと思わないで、勇気を持って発言している人たちの想いを聞いて欲しい。何もできないし、何と言ったらいいかわからないなら、「noteでこんなこと書いてる人いた」とだけ書いてシェアするのでもいいから、周りの人と今アメリカで起きていることを共有してほしい。

コロナが流行して人の価値観が大きく変わったように、この差別をなくすには、社会が180度変わる必要があります。今まで無関心だった人も黒人差別問題に目を向ける、次の世代にそれを伝えることがどれだけ今後の世界にパワフルに働くか、それぞれが考えなければいけない時だと思う。

子を持つ親として思うのは、子どもに人種や差別の話をするのに、早すぎるということはないということ。子どもは生後6ヶ月から人種の違いを識別できると言われているそうです。親が教えなければ、社会からバイアスのかかった状態で教わることになるかもしれないし、家で人種の話をタブーにしてしまったら、それは口に出してはいけないトピックだと子どもに教育しているのと同じだと思います。

もちろん伝え方は、年齢に応じたやり方があって、幼児であれば、「人間は一人一人違っていて良い。人と違う部分は拒絶すべきことじゃなくて、受け入れて愛すること」だと伝える。それでいいと思います。そして、自分が子どもの手本になるような行動をとること。

うちの5歳の娘には、アフリカ系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんを持つお友達がいます。娘は数ヶ月前に突然「○○ちゃんのお父さんってかっこいいよね!」と言いました。よくよく聞くと、お父さんのお顔と長いドレッドロックスがかっこいいと思ったようです。私は「そうなんだ、そういうところが素敵だと思ったんだね。いろんな髪の毛、肌の色の人がいるよね」といったようなことを言っただけでその時は人種や人種差別の話はしませんでした。

でも、娘が友達の両親についてコメントするのはこれが初めてのことだったので、これはどういうことだろうと考えるようになりました。娘は1歳半〜4歳まで人口の約90%が白人というオレゴン州の田舎町で育ち、その後ロサンゼルスに引っ越してきました。なので、彼女にとってはこのファミリーとの出会いが初めて「白人、日本人以外の人」との密な関わりでした。ここからは私の解釈でしかありませんが、彼女なりに「これまで自分の周りにはいなかった感じの人」に何か感じるものがあり、それが「かっこいい」という言葉で私に伝えるアクションにつながったのかなと思いました。この素直な感情をぶつけられたときに、私にはそれを人種や人種差別の話に近づける知識がありませんでした。

今、私たち夫婦は、娘に人種や差別についてどうやって伝えていくか勉強中です。準備ができたら、人種や差別問題について娘と話す機会を作りたいと思っています。ここでもその様子をシェアしていきますね。

コロナウィルスによる隔離生活や、黒人差別の撤廃を求めるデモ。今アメリカで起きていることは、子どもたちが大きくなったら歴史のひとつとして学校で勉強するだろうこと。「あのときどんなだった?ママは何をしたの?」と言われた時に、「ママはただただ悲しくて何も行動できなかった」なんて言いたくないし、彼女たちに説明できる行動をとりたいと思っています。

6/5加筆。

写真:Photo courtesy of Alyssa Schukar for The New York Times

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