禅僧の正法眼蔵講話「摩訶般若波羅蜜」メモ書き5日目
理解できない話、意味がよく分からないやり取りの例えとして「禅問答みたいだ」と一般的に使われる場合があります。
しかし実際の所、禅問答を含めて、仏教の話には、そこに「伝えたい大事な事」があります。仮にここではその大事な事を「般若(智慧)」と呼ぶ事にしましょう。
空気はそこにありますが、それはつかむことも、見ることもできません。指し示すこともできません。般若(智慧)を学ぶ際は、この空気のように学ぶべきなのです。
これが前回の話でした。
般若(智慧)は空気のように学び、そしてまた仏と般若は異なるものではないというのが今回の講話でのテーマでした。
私の中では、以下の3つの話がうまいこと通じた所だったのですが、いざ話の中で表現してみましょうとなると、中々難しいものでした。
仏教を学んでいると、バラバラの事柄と認識していたことが、うまいこと一つの事柄につながることがあります。
例えるなら、パズルのようにバラバラだったいくつかのピースが合わさって、一枚の絵になるようなものでしょうか。いや、アニメのように一枚一枚の静止画がうまく連なることによって、動きが出てくる、動画になっていくといったほうがいいかもしれません。
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