見出し画像

【田代志門】講演|患者の体験から何を学ぶかー医学生・医療者のための社会学入門ー

71 【田代志門】講演|患者の体験から何を学ぶかー医学生・医療者のための社会学入門ー

”生きるということは死につつあること”知に裏打ちされた言葉を考える

田代先生の話を、自分なりの解釈と考えを交えながらまとめる。

1.医療現場と文系の知

医療社会学や医療人類学など医療に関係する「文系」の学問の多くは過去20年で大きく発達してきた領域である。

その背景には3つのことが考えられる。1つ目は、医療費の高騰と高齢化・医療技術の高度化による社会の持続可能性。2つ目は、国の成長政策の中心が健康・医療分野になってきていること。物欲が満たされ、新しい産業として医療分野が参入してきたのだ。3つ目は、生死に関わる価値の多様化。

実は病院で働く倫理の専門家がいる。医療者が直面する難しい判断は、医学的には決着がつかないものがある。そんなときに「倫理コンサルテーションチーム」に存在するという仕組みがある。

2.病いの語り研究の可能性

病いの語り(illness narrative)研究は、1980年代以降に社会学・人類学で発展してきた患者経験の研究である。これには2つの側面がある。1つ目は、本人が自ら病いをどのように捉え、それにどう対処しようとしているのか、である。医療者から見た病気ではなく、本人の視点から見た病気の経験に注目する。2つ目は、病むことを「語り」や「物語」として記述・分析することである。自分の病気の経験を言葉によって意味づけていく側面に注目する。

聴く立場から画期的となった研究としては、アーサー・クラインマン(1941-)の「病いの語り」が代表される。疾患(disease)と病い(illness)の区別をすることを提唱した。疾患は、医療者が分類のために使う視点であり、病いは、患者の視点、家族やその他の社会関係の中で語られるものであるとする。さらに、説明モデル(explanatory model)(注:医学分野では解釈モデルという)という考え方を提示した。医療者と患者がそれぞれ異なる仕方で病むことを把握するという考え方であり、患者の説明モデルの多様化と変化しやすさへ注目するものである。

語る立場からの研究としては、アーサー・W・フランクが挙げられる。彼は、からだの植民地化・語りの譲り渡し(narraive surrender)に注目した。医学的説明に呑みこまれ、自分の体や心を語る言葉を失った患者が自分の声を取り戻す試みに焦点を当てたのだ。支配的な医学的物語としての「必ずよくなる」「元に戻る」という信念による語りである、「回復の語り(restitution narrative)」を批判する。

「寛解者の社会」を生きる難しさもある。寛解者とは、実質的にはほぼよくなっているけれども、決して完治したとはみなされない人々のことをさす。例えば、再発リスクとともに生きるがんサバイバーが挙げられる。また、彼らは回復しているとも回復していないともいえない中途半端な状態への中吊りであり、健康・病気の二分法を前提とする「回復の語り」では自分の経験を理解できない。

このないようをきいて思い出した、私の好きなことばを載せておく。

整「僕はずっと疑問に思っていました。どうして闘病っていうんだろう。闘うというから勝ち負けがつく。例えば有名人が亡くなったとき、報道ではこう言います。『病には勝てず、病気に負けて、闘病の末力尽きて』。どうして亡くなった人を鞭打つ言葉を無神経に使うんだろう。負けたから死ぬんですか? 勝とうとすれば勝てたのに、負けたから死ぬんですか? そんなことはない、僕はそう言われたくない。勝ち負けがあるとしたら医療ですよ。医療が負けるんですよ。患者本人が、あなたが負けるんじゃない。戦いじゃない、治療なんですから」。

田村由美「ミステリと言う勿れ」

「まず治してから」は正しいのかという批判もある。
がんサバイバー・クラブ - 村本 高史の「がんを越え、”働く”を見つめる」第19回 言葉を考える⑤~「治る」 (gsclub.jp)
村本高史さんは、2009年に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解、11年、人事総務部長在任時に再発し、手術で喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得。14年秋より専門職として社内コミュニケーション強化に取組む一方、がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」の立上げ等、治療と仕事の両立支援策を推進。さらに、「Can Stars」とは別に、「いのちを伝える会」という当事者ではない社員にがん経験を伝える場を作った。終業後に会議室に集まってもらい、意見交換をしたり、遠方の事業者や工場に出かけて語り合いの場を設けたりする。

「お仕事どうですか」ときいてほしいという。

フランクは、私たちは「回復の語り」以外にどのように自らの病いの物語を語り直すことができるのかという問いを立てた。特に死を目の前にしたときには回復の語りは機能不全に陥る。例えば、「闘病」という言葉の限界が挙げられる。現在、battle against cancer から cancer journey という言葉が使われるようになっている。フランクは「探求の語り(quest narrative)」の可能性を提示した。典型としての「(元に戻るのではなく)病やいや障害とともに生きる新しい自分になる」物語である。

その一方で、病いの語り研究批判もある。特定のタイプの語りが特権化してしまうという批判だ。自分の経験を医療者や研究者に語れる患者は少数であり、社会にとって受容しやすい語りだけが流通してしまうのではないか、ということである。「回復の語り」はもちろん、「探求の語り」も定型化する可能性がある。さらに、そもそも語れない患者や語りを理解しがたい患者もいるのではないだろうか。そうした患者は、難しい診断や予後を知らされた後に自分の経験を順序だてて語ることが難しい。

フランクは「混沌の語り(chaos narrative)」という3つ目の類型を提案した。深い苦しみのゆえに本人がうまく言葉にできない叫び・うめき・沈黙によるメッセージであるとする。それらは、筋書きを欠いた「反-語り(anti-narrative)」であり、「本当の混沌を現に生きている人々は言葉によって語ることができない」のである。

これには聴く、という態度がさらに重要になってくる。

がん患者を受けていたり寛解期に入った人たちをなんと呼ぶべきかという問いも生まれた。フランクは「証言者(witness)」という呼び名を選択し、生き延びた者には「一般には認知されていないかあるいは抑圧されている真理に証言」を与える役目があるとした。戦争・被爆・公害・薬害といった経験の証言者との連続性が意識されている。

フランクに最も大きな影響を与えた著書として、The Transformation of Silence into Language and Action がある。オードリー・ロード(1934-1992)というアメリカの詩人である。乳がんの体験を語った著書が広く読まれる。もともとは小さな出版社で出版されたが、今では世界中で読まれる。
沈黙をことばとアクションに変えること|いくちゃんの頭の中 (note.com)

私たちは、いつの時代もそれぞれに自分の死を受け入れるための方法を持っている。特定の宗教を信仰する人が少ない日本でも、亡くなった人に対して「あなたは私の中でまだ生きている」と考えるのはよくあることである。

まだまだ理解が追い付いていないところや解像度が低い部分が多い。本を読んで深めていきたい。

2024.08.25 sun, 10.03 thu 講演より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?