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【ケンカ十段】芦原英幸の生涯
みなさんは、大山倍達の弟子として空手の才能を開花させ、空手団体「芦原会館」を創設した天才空手家・芦原英幸をご存知でしょうか。
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芦原は大山道場(後の極真会館)に入門して支部長にまで出世し、週刊少年マガジンで連載された漫画『空手バカ一代』では主人公の大山に匹敵する人気を誇りました。
しかし、後に師匠・大山と対立して極真会館を破門され、自らの技術体系を体現した空手団体「芦原会館」を創始して多くの空手家を輩出しました。
今回は、独自の技術体系「サバキ(捌き)」を作り上げ、「ケンカ十段」と呼ばれた稀代の空手家・芦原英幸の生涯を解説します。
【生い立ち】
芦原は、1944年(昭和19年)12月、現在の広島県江田島市に生まれました。
小学5年生で剣道を習った芦原は、相手との間合いを計ることに長け、「そのまま剣道の道に進んでも好成績を残した」と言われています。
中学校へ進学後も剣道に打ち込んだ芦原は、学業でも成績優秀な少年でした。
そして、中学校卒業後に就職のため上京します。
1962年(昭和37年)、芦原は自動車修理工場で働きながら大山倍達が主宰する空手道場「大山道場(後の極真会館)」に入門しました。
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武道に天賦の才があった芦原は、入門から8か月で緑帯(4級)に昇級し、その3か月後に茶帯(2級)に昇級します。
並外れた才能でストイックに空手を学んだ芦原は、入門からわずか1年ちょっとで茶帯を巻いたのでした。
もともとケンカが強くなるために空手を始めた芦原は、闇夜に紛れて数々のストリートファイトを行いました。
ケンカの強そうな相手を標的にストリートファイトを行い、自ら研究した技を実戦の場で試していきました。
こうして、芦原はいつからか「ケンカ十段」と呼ばれるようになります。
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【極真会館】
1964年(昭和39年)3月、芦原はついに大山から黒帯(初段)を允許されました。この時、19歳でした。
そしてこの年、大山によって極真会館が設立されました。
芦原は初段を允許された後も繁華街に出てストリートファイトを行っていました。
ある時、職場でも暴力事件を起こしてしまい、芦原は6年勤めた自動車修理工場を退職します。
こうして無職となった芦原は、極真会館の先輩・中村忠の誘いもあり、1966年(昭和41年)に極真の本部指導員となりました。
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芦原が総本部の職員になることを知った大山は、「芦原ならどんな道場破りがきても大丈夫だよ」と語りました。
しかし、そんな芦原が大山の逆鱗に触れる事件を起こします。
酒に酔っていたある夜、芦原は暴走族5人組に煽られ、ケンカとなりました。
空手黒帯、かつストリートファイトの経験も豊富な芦原にとって暴走族は相手ではなく、5人全員をノックアウトしました。
ただ、この事件が警察沙汰となってしまい、大山は激怒しました。
大山は芦原を破門するつもりでしたが、黒崎健時(「たけとき」とも)の取りなしにより、無期禁足処分となりました。
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その後、頭を丸め、約2か月に渡って廃品回収の仕事を行った芦原は、ついに許されて極真会館へ復帰します。
指導員として愛媛県に派遣された芦原は四国支部長となり、極真空手の普及に尽力しました。
1970年(昭和35年)には八幡浜市に道場を構え、「極真会館芦原道場」として勢力を拡大していきます。
【『空手バカ一代』】
1971年(昭和46年)、『巨人の星』や『あしたのジョー』などの名作で知られる漫画原作者・梶原一騎により、「週刊少年マガジン」で『空手バカ一代』の連載が始まりました。
この漫画は、大山倍達の半生を描いた伝記的作品です。
大反響となったこの作品はテレビアニメや映画にもなり、『空手バカ一代』を通して空手を始める若者が急増しました。
全国各地の道場に入門者が殺到し、通信教育にも年間4万人が入会したと言われています。
これにより、大山倍達や極真会館の知名度は飛躍的に向上し、空手界での求心力は増していきました。
『空手バカ一代』で準主役級の扱いとなった芦原の人気もうなぎ登りとなり、瞬く間に名が知れ渡りました。
大山に匹敵するほどの人気を博した芦原に対して大山は快く思わず、次第に両者の間に軋轢が生じていきます。
1979年(昭和54年)には、松山市に「芦原道場本部」が開設します。
当時、他に類を見ないほど立派な道場でした。
しかし、『空手バカ一代』で芦原が絶大な人気を博したこと、芦原が四国を超えて道場を開設し勢力を拡大していったこと、本部に申告する道場生の数を少なく申告したこと、など様々な要因が絡み合い、1980年(昭和55年)に芦原は極真会館を永久除名されました。
そしてこの年、芦原は新しい空手団体「新国際空手道連盟 芦原会館」を設立します。
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【芦原会館】
芦原は、相手の攻撃を受け流して側面や背後から反撃を加える「サバキ」の技術を体系化し、「誰にでもできる空手」の構築に心血を注ぎました。
国内のみならず海外へも積極的に指導に赴き、芦原会館を国際的な空手組織に成長させました。
芦原の教えを受けた武道家で作家の松宮康生は、芦原についてこう述べています。
「どんな場所でも芦原先生が姿を現すと一瞬で場の空気が変わり、“カリスマとは、こういう人物のことを言うのだ”と私は、肌身で感じた」
また、芦原と対談した経験のある芸術家でタレントの篠原勝之は、こう述べています。
「芦原さんは、眼が鋭いというか怖い眼をしてるよね。あの眼は一度見たら忘れないよね。…(略)…身体全体から来るオーラというのかな、それが凄かった。並みの人じゃないなと、修羅場をたくさん潜ってきた人っていうのが感じでわかった」
芦原の門下には、「第10回 オープントーナメント全日本空手道選手権大会」を制し、「国際空手道円心会館」館長を務める二宮城光や、「新日本空手道連盟 正道会館」を設立し、打撃系格闘技イベント「K―1」を創設する石井和義らがいます。
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また、第2代K-1 WORLD GPスーパーフェザー級王者の卜部弘嵩とK-1 WORLD GP二階級制覇王者の卜部功也は、ともに芦原会館出身です。
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【早すぎる死】
芦原空手は順調に普及していきましたが、1992年(平成4年)、芦原に悲劇が訪れます。
芦原は、徐々に筋肉が動かせなくなっていく難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を発症しました。
徐々に身体の自由を奪われていった芦原は、2年以上の闘病を経た1995年(平成7年)4月、静かに息を引き取りました。
50歳の若さでした。
病気が進行し、目で文字盤を合図する方法で意思の伝達を行っていた芦原の最後の言葉は、「後を頼む」でした。
芦原会館は、芦原に後を託された長男によってその意志が引き継がれ、現在も全世界に支部を持つ一大勢力として空手界に君臨しています。
以上、独自の技術体系「サバキ(捌き)」を作り上げ、「ケンカ十段」の異名で絶大な人気を誇った天才空手家・芦原英幸の生涯を解説しました。
YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇
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【参考文献】 『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』松宮康生,日貿出版社,2017年
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