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【ブロックトンの高性能爆弾】ロッキー・マルシアノの生涯

みなさんはボクシング戦績49戦49勝無敗で引退し、「史上最高のヘビー級ボクサーの1人」に数えられる名チャンピオン、ロッキー・マルシアノをご存知でしょうか?

ロッキー・マルシアノ

マルシアノは破壊力抜群の強打でKOを量産し、世界ヘビー級王者として史上初めて全勝無敗のまま引退しました。

しかし、46歳の誕生日を迎える前日に、不慮の事故により若くしてこの世を去りました。

今回は、持ち前のパンチ力から“ブロックトンの高性能爆弾”と呼ばれた伝説のボクサー、ロッキー・マルシアノの生涯を解説します。

【生い立ち】

マルシアノは1923年、アメリカ・マサチューセッツ州ブロックトンにイタリア移民2世の子として生まれました。

高校時代は野球に打ち込んだマルシアノでしたが、その後中退し、トラック運転手や靴屋などの職を転々としました。

そんな中、転機が訪れます。

1943年にアメリカ陸軍に入ったマルシアノはそこでボクシングと出会いました。

しかし、アマチュア戦績は8勝4敗と平凡な内容でした。

マルシアノは兵役中に一般人を暴行して軍の刑務所に入れられるなど、かなりの荒くれ者だったとされています。

軍隊を除隊後の1947年3月、プロボクサーとしてデビューを果たします。

しかし、高校時代に打ち込んだ野球の道も諦めきれず、シカゴ・カブスの二軍チームの入団テストを受けました。

守備が下手で足も遅かったマルシアノは3週間でクビとなり、プロ野球選手になる夢は儚く散ってしまいました。

【快進撃】

プロ野球選手の夢が断たれたマルシアノは辣腕マネージャーとして名を成したアル・ワイルのジムを訪れました。

ただ、マルシアノのシャドーボクシングを見たトレーナーのチャーリー・ゴールドマンはその下手くそぶりに呆れ、「こいつより下手くそな奴はいない」と言い放ったとされます。

それに加え、マルシアノは身長179cm、体重80kgとヘビー級としては小柄で、年齢も24歳と決して若くはありませんでした。

マルシアノを将来性のあるボクサーと見ることができなかったゴールドマンですが、パンチ力には一目置いていました。

ボクサーとして期待されていなかったマルシアノですが、どうにかワイルのジムと契約を交わし、1948年7月にプロボクサーとして再デビューを果たしました。

マルシアノはここから予想外の快進撃を起こします。

憑き物が落ちたかのように持ち前の強打が花開いたマルシアノは、なんとデビューから16戦全勝全KOを飾ります。

しかも、16KOのうち9KOが1R決着という驚異的な記録を叩き出しました。

その後も快進撃は続き、1951年秋の時点で戦績は37戦37勝32KOとなりました。

快進撃を続け、世界王座挑戦も視野に入ってきたマルシアノに対し、あるオファーが届きました。

【“褐色の爆撃機”】

37戦全勝と波に乗るマルシアノに対して、元世界ヘビー級王者との対戦が打診されました。

その相手とは、世界王座25回連続防衛という驚異の記録を作った名チャンピオン、ジョー・ルイスです。

ジョー・ルイス

ルイスは黒人としてジャック・ジョンソン以来史上2人目となる世界ヘビー級王座に輝き、抜群の強打で「褐色の爆撃機」と恐れられました。

ただ、この時のルイスは前年の1950年に引退から復帰したばかりで、年齢も37歳ととっくにピークを過ぎた状態でした。

1951年10月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでロッキー・マルシアノ vs ジョー・ルイスのノンタイトル戦が行われました。

当日の体重はマルシアノが83.5kg、ルイスが97.0kgで、2人の体重差は13kg以上もありました。

試合開始のゴングが鳴ると、序盤はテクニックで勝るルイスのペースとなります。

しかし、後半にはマルシアノがペースを握っていき、迎えた第8R、マルシアノの左フックでルイスがダウンを喫しました。

なんとか立ち上がったルイスにマルシアノの猛打が襲い掛かり、8RKOによりマルシアノがルイスを下しました。

ルイスがリング外にたたき出されるという壮絶なKO劇となりました。

ルイスをKOするマルシアノ

試合後、マルシアノはルイスの控え室に行き、お互いに健闘を称え合ったといいます。

【王座戴冠】

往年の名チャンピオン、ジョー・ルイスを壮絶なKOで破ったマルシアノは、その後も白星を重ね、戦績は42戦全勝(37KO)となっていました。

あまりのパンチ力の強さに、いつからか「ブロックトンの高性能爆弾」と呼ばれるようになっていました。

そして、マルシアノはついに念願の世界ヘビー級タイトルマッチにたどり着きます。

相手は遅咲きのチャンピオン、ジャーシー・ジョー・ウォルコットです。

ジャーシー・ジョー・ウォルコット(出典:The Ring/ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jersey_Joe_Walcott_1937.jpg)

この一戦はペンシルベニア州フィラデルフィアで行われ、当日の体重は王者ウォルコットが89.1kg、挑戦者マルシアノが83.7kgでした。

試合が始まると技巧派のウォルコットは的確にマルシアノにパンチを浴びせ、挑戦者を翻弄します。

そして1Rの1分が過ぎたころ、左フックのカウンターでマルシアノからダウンを奪いました。

マルシアノは43戦目にしてこれがキャリア初のダウンとなりました。

キャリア初のダウンを喫するマルシアノ

マルシアノも持ち前の強打で前進を試みますが、ウォルコットの的確なパンチと老獪なテクニックに大苦戦します。

両者、顔面がボロボロになりながら試合が進んでいきました。

ベテランボクサーのウォルコットを攻略できずにいたマルシアノはポイントで大幅にリードされ、後がない状態となっていきました。

迎えた第13R、ついにマルシアノの強打が炸裂しました。

意を決してウォルコットをロープに追い詰めたマルシアノは、渾身の右フックをチャンピオンの顎に叩き込みました。

マルシアノの強打をモロに喰らったウォルコットはマットに崩れ落ち、戦慄の大逆転KOでマルシアノが勝利しました。

マルシアノのパンチで失神するウォルコット

この試合は年間最高試合に選ばれ、1996年には『リング誌』によって「全階級を通じた史上最高の試合」第16位に選出されています。

【マルシアノ vs 元チャンピオン】

逆転されるまで試合の主導権を握っていたウォルコットはマルシアノとの再戦を望み、激闘から8か月後の1953年5月、両者のダイレクトリマッチが実現しました。

NBCテレビによって全米に中継されたこの一戦はあっけない結末を迎えます。

1R2分25秒、マルシアノの強烈な左フックがウォルコットを捉えました。

わずか1Rの鮮烈なKO劇によってマルシアノは王座の初防衛に成功し、ウォルコットを返り討ちにしました。

ウォルコットを返り討ちにしたマルシアノ

1954年6月、マルシアノは3度目の防衛戦で元世界ヘビー級王者イザード・チャールズと対戦します。

イザード・チャールズ

パワーとテクニックを兼ね備えたチャールズにマルシアノは大苦戦し、決着は判定までもつれ込みました。

結果は15R判定3―0により、王者マルシアノに軍配が上がりました。

試合後、チャールズは「マルシアノを何度もKO寸前に追い込んだ」と不満を語り、一方のマルシアノも「ウォルコットとの第一戦よりも苦しかった」と打ち明けました。

こうして3か月後に両者のダイレクトリマッチが実現します。

このリマッチでは、マルシアノが終始チャールズを圧倒し、8RKOによりマルシアノが勝利しました。

チャールズをKOしたマルシアノ

マルシアノはまたしても元世界王者との再戦に勝利しました。

元世界王者2人を難なく返り討ちにしたマルシアノは敵なし状態となり、5度目の防衛戦も難なくKO勝ちを収めます。

この時、マルシアノの戦績は48戦48勝42KOとなっていました。

【引退と突然の死】

1955年9月、マルシアノは6度目の防衛戦としてアーチー・ムーアと対戦します。

アーチー・ムーア

ムーアは1階級下のライトヘビー級で世界王座に就いており、この時点で4度の防衛に成功、目下21連勝中の強敵でした。

ヘビー級で敵なし状態のマルシアノとライトヘビー級で敵なし状態のムーアという珠玉の激突に全米が注目し、会場のヤンキー・スタジアムは6万人を超える大観衆で埋め尽くされました。

当日の体重はマルシアノが85.4kg、ムーアが85.3kgでほぼ同格です。

トップボクサー同士の頂上対決は一進一退の攻防が続きますが、徐々にマルシアノがペースを握っていきます。

マルシアノ vs ムーア

そして、第9R、マルシアノの強打にさらされたムーアはついに力尽き、KOによってマルシアノが6度目の王座防衛に成功しました。

マルシアノにKOされたムーア

しかし、翌1956年4月、マルシアノは記者会見を開いて突如現役引退を表明しました。

デビュー以来、休むことなく戦い続け、強敵を次々撃破していったマルシアノは清々しい表情に満ちていました。

こうして、マルシアノは世界ヘビー級王者として史上初めて全勝無敗のまま引退しました。

引退後は、テレビドラマに出演したりボクシング番組のコメンテーターをしたり、悠々自適な生活を送りました。

しかし、そんな彼を突然の悲劇が襲います。

マルシアノが搭乗していたセスナ機が墜落し、マルシアノを含め搭乗していた3名全員が亡くなりました。

46歳の誕生日を翌日に控えた中での悲劇でした。

マルシアノは翌日に家族で誕生日会を開く予定だったとされています。

マルシアノと2度対戦した元世界王者イザード・チャールズは、マルシアノとの対戦から5年後に難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)が原因で引退しました。

その後、ALSによりチャールズは53歳の若さで亡くなりますが、マルシアノは闘病中のチャールズを援助していたと言われています。

イザード・チャールズのお墓( 出典:Wikimedia Commons/ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Grave_of_Ezzard_Mack_Charles_(1921%E2%80%931975)_at_Burr_Oak_Cemetery.jpg )

殺人的なパンチ力で強敵を次々マットに沈めたマルシアノですが、リングを下りれば心優しいチャンピオンでした。

以上、破壊力抜群の強打でKOを量産し、世界ヘビー級王者として史上初めて全勝無敗のまま引退した伝説のボクサー、ロッキー・マルシアノの生涯を解説しました。

YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇

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【参考文献】 『地上最強の男 世界ヘビー級チャンピオン列伝』百田尚樹,新潮社,2020年

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