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【永遠のチャンプ】大場政夫の生涯
みなさんは、WBA世界フライ級王座を5度防衛するも、交通事故によって現役チャンピオンのままこの世を去ったボクサー、大場政夫をご存知でしょうか?
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大場はギャンブル好きの父の影響で極貧の家庭に育つも、「世界チャンピオンになって両親のために家を建てる」ことを決意し、ボクシングで快進撃を続けます。
しかし、念願の世界チャンピオンにまで昇り詰めた大場は、不慮の事故によりわずか23歳でこの世を去りました。
今回は、闘志あふれるファイトスタイルで数々のファンを魅了し、「永遠のチャンプ」と呼ばれる天才ボクサー、大場政夫の生涯を解説します。
【生い立ち】
大場は、日本の敗戦から間もない1949年(昭和24年)10月、東京都足立区に生まれました。
父がギャンブル好きだったため、大場家は常に金欠で、1個の生卵を5人の子どもたちで分け合うほどの極貧生活を送ります。
銭湯代を浮かせるために、近くにある荒川を銭湯代わりに使用することもありました。
そんな中、ボクシング好きの父の影響で何度か試合会場に足を運んだ大場は、ボクシングの魅力に取り憑かれます。
大場は手製のバーベルで筋力トレーニングを行い、枕をサンドバッグ代わりにして殴り続けました。
また、気性の荒い大場は喧嘩にも明け暮れました。
この頃の大場は、拳ひとつで成り上がれるボクシングの道を目指すようになり、やがて「世界チャンピオンになって両親のために家を建てる」ことを決意します。
【帝拳ジム】
高校に進学する経済的余裕がなかった大場は、中学校卒業後の1965年(昭和40年)6月、ボクシングの名門・帝拳ジムに入門しました。
この頃の帝拳は有望なボクサーに限り、合宿所システムを採用していました。
運動神経抜群で野心に満ちていた大場は、見事合宿所入りを果たします。
中学校を卒業したばかりで弱冠15歳の大場の一日は、このようなものでした。
朝6時30分に起床し、12kmのロードワークを行います。
その後、合宿所の掃除をし、朝食をとって勤務先であるアメヤ横丁の菓子問屋に出向きます。
17時に仕事を終えると、そこからジムで20時まで練習を行います。
練習後は銭湯に行き、夕食をとって22時に就寝します。
大場はこのような単調な生活を毎日繰り返しましたが、一度も弱音を吐かなかったといいます。
ジムと職場を往復するだけの毎日を耐え忍んだ大場はメキメキと成長し、プロライセンスが取得可能な17歳になった途端、プロボクサーとなりました。
そして、ライセンス取得から1か月も経たない1966年(昭和41年)11月、早々にプロデビュー戦を行います。
大場は、この試合を1Rわずか48秒でKO勝利し、衝撃的なデビューを果たしました。
【花形進】
絶好調の大場は、デビュー以来6戦全勝と快進撃を続けました。
そして迎えた7戦目、大場は谷正和と対戦します。
谷は、天性のボクシングセンスを武器にデビュー以来4戦全勝を誇る新進気鋭のボクサーです。
この試合で大場は3度にわたるダウンを奪われ、後半に追い上げるも及ばず、判定負けを喫しました。
全勝対決は谷に軍配が上がりました。
初めての敗北を味わった大場は猛練習に励み、ここから10連勝を飾ります(1引き分け含む)。
1968年(昭和43年)8月、ある男がスパーリングパートナーを求めて帝拳ジムにやってきました。
その男とは、後に日本フライ級およびWBA世界フライ級でベルトを巻くボクサー、花形進です。
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スパーリングパートナーを求めてやってきた花形の相手には、大場が選ばれました。
この時の花形は、戦績は平凡でしたが日本フライ級5位にランクされ、35戦のキャリアを誇っていました。
一方、大場はプロデビューからわずか2年弱、通算戦績18戦であり、大場にとって花形は間違いなく格上の相手でした。
しかし、このスパーリングで大場は終始花形を圧倒し、形勢が有利のままスパーリングを終えます。
このスパーリングで帝拳側は自信を深め、1968年9月、大場と花形の試合が後楽園ホールで実現しました。
序盤は一進一退の攻防が続きますが、7Rに大場の右ストレートが花形にクリーンヒットします。
大場は猛打で花形を追い詰めますが、なんとか逃げ切った花形は徐々に試合を支配していきます。
そして、10R判定により、花形は辛くも大場に勝利しました。
試合を終えた花形は、兄の運転する車で帰途につきました。
花形の兄は、車の中で花形にこう語りかけました。
「あいつとは、またやることになるだろうな」
【快進撃】
花形に敗北した後の大場は、ここからさらに快進撃を続けます。
再起戦を勝利で飾った大場は1969年(昭和44年)3月、現役の日本フライ級王者・スピーディ早瀬とノンタイトル戦で対戦します。
現役の日本チャンピオンである早瀬を相手に、大場は得意の猛打で襲い掛かり、ダウン寸前にまで追い込んで判定勝利を収めました。
ノンタイトル戦のため、大場がベルトを巻くことはありませんでしたが、この試合で大場は日本チャンプ以上の実力であることを証明しました。
ちなみに、この試合の1か月後、早瀬は花形を相手に日本フライ級タイトルマッチを行って王座陥落し、その4か月後のリマッチでも花形に敗れ、ボクサー人生にピリオドを打っています。
ノンタイトル戦とはいえ、チャンピオンの早瀬を破ったことで大場は日本ランク1位となり、2か月後に元日本王者の松本芳明と対戦します。
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大場は3Rに相打ちによって松本からダウンを喫するも、そこからは大場の一方的な展開となり、10R判定で松本を破ります。
その後、大場はタイのフライ級王者であるサクディノイを判定で破り、現役の東洋フライ級王者・中村剛とノンタイトル戦で対戦します。
勢いに乗る大場は、現役東洋チャンピオンまでも飲み込み、中村をグロッキー状態に追い込んで判定で勝利しました。
わずか19歳の大場は、現役日本チャンピオン、元日本チャンピオン、現役タイチャンピオン、現役東洋チャンピオンを相手に一方的な内容で4連勝を飾りました。
そしてついに、大場は現役世界チャンピオンと対戦する機会を得ます。
その相手とは、WBA世界フライ級王者バーナベ・ビラカンポです。
ビラカンポは、「カミソリ・パンチ」の異名を持つ海老原博幸を破って世界王座に就いたフィリピンの技巧派ボクサーです。
この試合はノンタイトル戦で行われましたが、フィリピンの英雄ビラカンポを相手に大場が的確に有効打を当て、見事判定勝ちを収めます。
こうして大場は世界ランク4位となり、いよいよ世界戦が射程圏内に入ってきました。
【世界王者】
現役世界王者バーナベ・ビラカンポをノンタイトル戦で破った大場は、そこから2試合挟み、世界ランクは1位に上昇しました。
そして、1970年(昭和45年)10月、ついに世界タイトルに挑戦することとなりました。
この間、ビラカンポは防衛戦に失敗し、タイのベルクレック・チャルバンチャイが新チャンピオンになっていました。
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ゴングが打ち鳴らされ、王者・ベルクレックと挑戦者・大場によるWBA世界フライ級タイトルマッチが始まりました。
試合は徐々に大場のペースとなっていき、ベルクレックは追い詰められます。
しかし、ベルクレックもチャンピオンの意地を見せ、要所要所で攻撃を当てていきます。
13Rの1分が過ぎたころ、大場の左フックでベルクレックがダウンしました。
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立ち上がってファイティングポーズを取ったベルクレックですが、そのまま2度目のダウンを喫します。
ところが、ベルクレックは執念で再び立ち上がります。
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ただ、大場の勢いを止めることができず、13R2分16秒、3度目のダウンで試合がストップし、大場の壮絶なKO勝利となりました。
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弱冠21歳の大場は、夢に見続けた世界チャンピオンのベルトをついに自分のものにしました。
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極貧の家庭から拳ひとつで世界チャンピオンにまで昇り詰めた大場は時代の寵児となり、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などの媒体で取り上げられていきます。
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この頃、大場の唯一の娯楽は車でした。
大場は18歳の時に免許を取得しましたが、ジムから運転を禁止されていたため、自分の車を持っていませんでした。
しかし、欲求を抑えることができず、休日に知人の車を借りて道路を走らせ、有り余るエネルギーを発散していました。
【因縁の相手】
悲願の世界王者となった大場は、そこから1年の間にノンタイトル戦3試合を含む計5試合を行い、2度の王座防衛に成功します。
この間、大場は埼玉県に一軒家を建て、大場家は足立区のボロアパートからここに移り住みました。
子どもの頃に決意した「世界チャンピオンになって両親のために家を建てる」ことを、大場は見事に実現しました。
また、この頃、ジムに直談判を行った大場はついにマイカーの所有が認められ、大金を叩いて高級スポーツカーを購入しました。
そして、1972年(昭和47年)3月、大場は因縁の相手と3度目の防衛戦を行います。
その相手とは、かつて3年半前に土をつけられた花形進です。
こうして、「大場政夫 vs 花形進」のWBA世界フライ級タイトルマッチが実現しました。
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日本人同士による世界タイトルマッチは、1967年(昭和42年)12月に行われた「沼田義明 vs 小林弘」以来4年3か月ぶり、史上2度目のことでした。
大場が「何としても『借り』を返したい。いつまでも向こうが強いと思われては我慢ならない」と言えば、花形が「キャリアの違いを見せつける」「大場君にたっぷりボクシングを教えてあげますよ」と応じるなど、双方は試合前から舌戦を繰り広げました。
こうして異様な盛り上がりの中、日本人同士による世界戦のゴングが打ち鳴らされます。
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試合は、軽快なフットワークを駆使する花形と、得意の猛打で襲い掛かる大場という構図となります。
ラウンドが進むにつれ、両者のパンチが激しく交わり、お互いに顔を腫らす一進一退の攻防が続きます。
大場の右ストレートが花形の顔面を捉えれば、花形の左フックが大場の顎を上げるなど、両者一歩も引かぬ激闘となりました。
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そして、15Rを戦い抜き、判定の結果、チャンピオン・大場に軍配が上がりました。
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大場は、かつて土をつけられた因縁の相手・花形に世界戦の舞台で借りを返しました。
試合後、両者は控え室で健闘を称え合いました。
【永遠のチャンプ】
花形との激闘から3か月後の1972年(昭和47年)6月、大場は4度目の防衛戦を行います。
相手は、「黒い戦慄」の異名を持ち、27勝1敗の戦績で世界ランク1位に君臨する強豪オーランド・アモレスです。
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1R、アモレスの左フックを喰らった大場は腰から崩れ落ちます。
その後、アモレスの猛攻を凌いだ大場はなんとか1Rを乗り切り、迎えた2R、今度は大場の右ストレートがアモレスの顎を打ち抜き、ダウンを奪い返します。
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こうして激しい乱打戦となった試合は、5Rまでもつれ込みます。
そして迎えた5R、大場は機を見てラッシュを仕掛け、最後は左フックからの右ストレートで劇的なKO勝利を飾りました。
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「黒い戦慄」がマットに崩れ落ちると、場内は大歓声に包まれました。
強豪ひしめくフライ級において、大場は4度の王座防衛を果たしました。
この頃の大場は国民的スターとなっており、『NHK紅白歌合戦』でゲスト審査員を務めるなど多くのテレビ番組に出演しました。
また、莫大なファイトマネーが入っていた大場は姉の借金を肩代わりしたり、弟の学費を支払ったりするなど、家族の家計を支えました。
そして、ノンタイトル戦を挟んだ後の1973年(昭和48年)1月、大場は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級王者チャチャイ・チオノイを相手に5度目の防衛戦を行います。
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1R、チャチャイの強烈な右フックを喰らった大場は仰向けに倒れ込みました。
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なんとか立ち上がった大場はファイティングポーズを取り、試合を続行します。
その後、チャチャイの猛攻に防戦一方となった大場ですが、1Rを逃げ切ります。
そこから両者一歩も譲らぬ死闘となり、一進一退の攻防が繰り広げられます。
8Rには、大場の右ストレートがチャチャイのテンプルを捉え、KO寸前まで追い込みますが、今度はチャチャイがゴングに救われます。
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その後も死闘が続き、迎えた12R、両者が足を止めて打ち合ったところに大場の右ストレートがチャチャイの顎を打ち抜きました。
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ふらつくチャチャイに対して大場は追い打ちをかけ、渾身の連打でチャチャイをマットに沈めました。
しかし、試合を諦めないチャチャイは立ち上がり、ファイティングポーズを取ります。
大場はここぞとばかりにチャチャイに連打を浴びせ、計3度のダウンを奪い、見事な逆転KOで5度目の王座防衛に成功しました。
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ただ、残念なことに、鮮烈な逆転KOで国民を熱狂させてから23日後、ボクシング界に悲劇が起こります。
愛車のシボレー・コルベットに乗って首都高を走っていた大場は、カーブを曲がり切れず反対車線に飛び出し、大型トラックと正面衝突しました。
即死でした。
大場政夫、享年23。
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戦績38戦35勝2敗1分。
つい先日、大逆転KO劇で国民を熱狂の渦に巻き込んだスターは、現役世界チャンピオンのまま空の向こうに飛び立ちました。
この悲劇はすぐにマスコミに報じられ、不世出のボクサーの早すぎる死に日本中が悲しみに暮れました。
悲劇から49年が経った2022年(令和5年)1月、かつて大場と2度拳を交えた因縁の相手・花形進は、大場の「50回忌」を前に東京新聞にこのように語りました。
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「あんなに負けん気の強いヤツはいない」「もし生きていたら、一番いい相談相手になっただろうな」
ちなみに、花形は大場が亡くなった翌年の1974年10月に、大場が最後に戦った相手チャチャイ・チオノイと対戦して勝利し、悲願の世界チャンピオンになっています。
2015年(平成27年)、大場は「国際ボクシング名誉の殿堂」の故人部門に選出されました。
大場政夫の名は、記憶にも記録にも残る名選手としてボクシング界に生き続けています。
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以上、闘志あふれるファイトスタイルで数々のファンを魅了し、23歳の若さで旅立った「永遠のチャンプ」、大場政夫の生涯を解説しました。
YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇
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【参考文献】 『首都高に散った世界チャンプ大場政夫』織田淳太郎,小学館,1999年
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