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脳が多動
今日、気づいたことがある。
自分は、脳が多動なのだ。
今日の昼頃、サッカーの試合の運営スタッフのバイトをしていた。今日は休んでどこかに行こうかと思っていたが、よく考えてみると、もうすぐCMSPが始まるので、お金を貯めるために、急遽単発バイトに入ったのだ。今日のバイトの業務は、お客さんのユニフォームチェックだった。ユニフォームチェックとは、あるチームのユニフォームを着たお客さんが、相手チームのサポーターが座るエリアに入らないように、入り口で見張る役のことだ。もし、サポーターが間違えて相手チームの観戦エリアに入った場合、喧嘩になる事があるらしい。にわかに信じがたいが、どうやらお酒が入っていた場合などにそうなるようだ。
まあ、そんなことはいいのだが、今日の仕事は、要するに、ただただ客の監視をするというものだった。しかも、試合が一切見られない入り口で。苦痛過ぎた。とはいえ、これが余裕だという人もいるだろう。ただ突っ立ってるだけ。相手チームのサポーターが間違えて入っていくことなど、めったにない。特にやることはないのだ。そのため、自分自身、ひたすら突っ立っていた。ただそれだけ、それだけの仕事。だが、これが苦痛で仕方がなかった。
ADHDとはいえ、多動の性質は持っていないのだが、じっとしていられなかった。じっとすることもできたが、落ち着かない。そのため、途中、うろうろうろうろしていた。管理職の人が特に来ることはなく、周りにいたのは、そばのドアから出入りするスタッフと、スタジアムの入り口に座っている若い女性スタッフの2人だけだった。そのため、じっとしている必要はなかった。うろうろし、時計見て、交代で休憩し、戻ってきて、またうろうろする。これを繰り返していた。この時、なぜ自分がじっとできないのか、考えた。多動ではないはずなのに。立っているだけのはずなのに。じっとしていると落ち着かない。これは今に始まったことではないが、今日はとくに酷かった。
この時、ある事実にたどり着いた。それは、自分の「脳」が多動だということだ。自分の脳はずっと働いている。上手く考え事に没頭できた時は楽だが、そうでないときは大変だ。何かしら動き続けているので、しんどい。たとえば、今日、外国人にトイレの場所を尋ねられた。しかし、一瞬「toilet」の発音が聞き取れず、2回目ぐらいでトイレだとわかり、トイレの場所を説明した。そのあと、脳の中では、以下のような動きをした。
うわぁ、トイレの発音聞き取れなかった ⇒ そういえば、英会話の練習しようと思ってたのに、やってない ⇒ アプリに6600円払ったのに ⇒ 日本語勉強してる外国人のねえちゃんに「英語で話そう」と言っていいよと返事もらったけど、ずっと返事返してない ⇒ 海外行って英語勉強するしかないか、どうせ要領悪いし ⇒ そういえば、ケニアは面白かったなぁ ⇒ スマホ取られかけたのとか、刺激的だった ⇒ もう一回ケニア行きたいなぁ ⇒ ちなみに、人生刺激が足りないなぁ ⇒ ああ、冒険したい ⇒ そうか、自分の人生に必要なのは、刺激か ⇒ ああ、世界一周の旅したいなぁ ⇒ っていうか、今年はどんな1年になるのかなぁ ⇒ こんな風にしてていいのだろうか ⇒ ああ、帰りたい ⇒ っていうか、このポジションいらんくないか ⇒ けど、これでお金もらえるから、世の中いいな ⇒ でも、時給1000円ぐらいかぁ ⇒ お金ってすぐなくなるな ⇒ そう言えば、年金の学生納付特例のはがき、今日出したけど、間に合うかな ⇒ っていうか、来年年金納められるかぁ ⇒ そもそも、自分がおじいさんになったとき、年金あんまりもらえんやろなぁ ⇒ じゃあ、納めない方がいいのか? ⇒ けど、そもそも、今のおじいさんおばあさんのために年金納めた方がいいのでは? ⇒ 年金は倫理の問題だったりするなぁ ⇒ っていうか、お金が上手く回れば経済が良くなるのに ⇒ けど、そう考えたら、今日の給料は意味があるのか ⇒ …
こんな感じだったと思う。思考はとまることはない。トイレの発音から、年金を経て、最後は、経済にまで行きついた。これでも、まだ続いたと思う。まるで連想ゲームだ。
この「動きすぎる脳」はやっかいだ。タスクをするときの邪魔になることがしばしばある。たとえば、今、ある勉強をしていた、その課題があったのだが、それをしている最中、集中できなくなった。大学の寒梅館というところで作業していたのだが、そこでコーヒーを飲みながらやっていると、集中できなくなり、外に出た。他の悩みのようなことが脳に湧き上がり、集中できなくなったのだ。
そのため、外に出て、気分転換に、外の空気を吸いに行った。その後、また作業したが、集中できず、もう一回外に出る。それを何回か繰り返した。この時、喫煙者でもないのに、こんなに外に行くのはおかしいと思った。しかも、この時、ぼーっと突っ立って、まるで遠くから張り込んでいる人のように奥の家を眺めていた。自分が不審者のようだと思い、中に戻った。そして、結局作業はほぼ進まない状態で、寒梅館を後にした。
考えてみれば、大学受験の勉強中も、よく集中力がなくなり、「早く受験終わってほしいなぁ」と思いながら、部屋の窓から青空をぼーっと眺めていたことがよくあった。
脳の能率が悪すぎる。脳が動き続けている分、想像力、思考力とかは鍛えられているかもしれないが、作業の面では、使い勝手が悪い。こんな状態では、生産性が低くなる。要領が悪いと感じるのは、この「脳」のせいかもしれない。とはいえ、過集中にアンることもあるが、それは考え事をするときの方が多い。
大学3回生の春、脳の検査に行った。その時、ADHDだと言われ、脳をすっきりさせる治療があると言われた。どうやら、脳のシナプスに問題があるということだった。だが、知識のある人はわかると思うが、ADHDは悪い面だけではない。脳の特性であり、時には才能を発揮させる時もある。それならば、その治療をしない方がいいのではないか。そう思い、聞いてみると、そうではないらしく、その治療をすれば、才能が消えることはなく、かつ、集中力を高めることができるらしい。だが、治療は保険適応外で、かなり高額なため、治療はやめた。今となっては、「治療」という概念に違和感を覚える。
この「多動な脳」のおかげで、いろんな想像が出来たり、いろんなアイデアが生まれたり、いろんな知識を活用できていることは間違いない。だが、もろ刃の剣でもあるかもしれない。
こんな「多動な脳」と一緒に、毎日生きていく…。