『母の日』プレゼント問題
5月8日(日)は母の日ですね。
日本は[母性社会]といわれ、「物事はみんなで解決しましょう」という気風があります。そして特に母子の関わりはとても深いです。
切り離されるとはいえ“臍の緒”の時代から繋がっていると言われれば納得です。
それに対して欧米は[父性社会]です。
寝室に子どもと川の字に並んで寝るなんて考えられません。
何事も「個」を大切にする国々という印象です。
余談ですが、日本では子どもが誕生すると、生まれた子の“臍の緒”を恭しく桐の箱に保管しますが、欧米では“ファーストシューズ”といって初めて歩いた靴を大切にするそうです。
私はその話を聞いて「まさに[自立]を象徴するお国柄だなぁ」と感じました。
◆母の日プレゼント問題
母の日のプレゼントに迷うのは我が家だけでしょうか…?
「そんなに服をもらっても困るわ… 墓場に持っていくわけにいかないし…」
と私の母から愚痴が聞こえそうなので、毎年我が家では母の日に“家族の記念写真”をプレゼントしています。
昭和な写真館へゾロゾロと出向き、まるでお見合い写真のような作りのものを撮影してもらいます。
孫たちの成長と共に「あら、みんなで並ぶと背が伸びたのがよくわかるわねぇ」と目を細めて喜ぶ母の様子を見て、私もホッと安堵。
この贈り物にして以来、毎年気を揉み悩んでいたプレゼント問題がだいぶ楽になりました。
◆母は娘に現実性を求めるのか、精神性を求めるのか
じつはこの“母の日に家族の記念写真”を贈り物にしたことには理由があります。
母は私との関わりを「現実的なものを私に求めているのか」それとも 「精神的なものを私に求めているのか」… 私自身の命式を算命学理論で読み解いていくと、母との関係のなかで私に与えられた役目役割を知ることができたからです。
算命学でみると、彼女は決して私に現実的なものを求めていませんので、プレゼントとして流行の洋服やバッグ・家電など「カタチあるもの」を欲しがりません。
なので、私の母の場合は一緒に過ごす時間や思い出話をしたりする時間など「カタチにならないもの」に喜びを感じます。(もちろん写真もカタチではありますが…それを生むためのきっかけづくりという立ち位置ですね)
もちろん、どのお母さまも私の母のように当てはまるわけでありません。
例えば、遠く離れて暮らしているのだから家電のような日常生活をより快適に過ごしたいといった現実的なものを欲する方もいらっしゃいます。
いずれにしても、お母さんに対する感謝の心が伝わるよう子どもたち(娘・息子たち)は願っていることに変わりありませんね。
◆ 何ごとも親の生きているうちに親孝行。
実際に私が子どもを持ち母親になって思うことは、「自分たちが元気で幸せでいること」が一番の親孝行のような気がします。
今年の母の日はみなさんどのように過ごされるのでしょうか?
いつも照れくさくてなかな言えない感謝の気持ちを届けてみましょう。
一緒に考えましょう。
ご相談お待ちしてます。
智泉堂/清徳泉里
いつも智泉堂noteに「いいね!」をくださり本当にありがとうございます。
とても励みになっております!次回も楽しみにお待ちくださいね。