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頑固でかちかちで頭でっかちな私の心。

私は素直じゃない。辛いとき、苦しいとき、助けてって人に言えない。無理をしていつも大丈夫ですって答えちゃう。周りと距離を置いていて、自分の意見を曲げようとしないで押し通そうとする。だから、周りと衝突して険悪なムードになるのはしょっちゅうあった。こうしたい!!と思ったら突き進もうとする私。周りの人は冷ややかにそれを見てた。

物心ついた時から頑固だったのかもしれない。幼稚園の頃、母が運動好きな子に育てたいとの思いで、私は幼稚園にあるスポーツクラブに入会させられた。私は新体操なんて一言もやりたいとは言っていないのに、母が新体操クラブに入会させようとしたので幼い頃の私は混乱した。どうして!?だって私は一言も新体操やりたいなんて言ってないのに!!母が上機嫌で用意したピンクのレオタード。着てみてと言われた私は断固として拒否した。母が何度も似合うから着てみて?それを着て一緒に新体操クラブを見学しよう?と言ってきたのだが、私はそれをやりたいなんて言ってない。興味ないし、それをやるんだったら遊んでいたい。と、徹底的に拒否。最終的にレオタードを無理やり着せようと、母が私を追いかけたが逃げて逃げて逃げ回り、母は結局新体操を習わせるのを諦めた。高かったレオタードは、結局一回も着ることなく、タンスの肥やしとなったのだった。

頑固なエピソードと言えば、もう一つ。小学2年生の国語の授業の時間、自由に作文を書いてみようと先生に言われたので、私は道端で見つけた飛べない雀のエピソードを作文に書いて、先生に提出した。先生はその作文を読んで、とっても良いから、ちょっと先生が手直しして、清書用の作文用紙を渡すから、それを丁寧な字で写して欲しいと言われたので、はいと返事。先生は私に手直しした原稿を渡したのだけれども、作文は赤ペンだらけ。ほとんどの文が先生によって直されている。私はそれを見てがっかりした。私の書いた文、そんなにおかしかったの?先生は気に入らなかったの?

掃除の時間、先生が清書優先でやって欲しいと言われたのでその日は掃除をせず、ひたすらに作文と向き合い清書した。清書した原稿を提出すると、先生はにっこり笑った。「貴方の作文、学校の代表として、市の作文文集に載せるわね。」と言われた。ちっとも嬉しくなかった。後日先生が母に電話をし、私の書いた文が文集に載るとの正式な知らせが。月日が流れ、文集が出来上がり、クラスのみんなに先生からお知らせ。ちせさんの作文が学校代表で市の文集に載りました。皆さん、読んでねと。みんなからの拍手を受けても、母から褒められてもちっとも嬉しくない。全然嬉しくもなんともない。だってあの作文は、先生が赤ペンだらけで直した先生の作文だもの!!母に褒められた時は、決まって、「違う!あれは先生が書いた作文なの!」と腹を立てながら答えていた。直されてより良い文になった、ラッキー。とかじゃなくて、自分が納得する文を文集に載せたかったという気持ちのほうが強かった。ほんと、素直じゃないなーと思う。可愛らしくないよね。

大人になってから、よく周りに流されなくて自分の意見をしっかりと持ってる人って言われるんだけど、私は周りにゆらゆらと流されて生きる感覚のほうが楽しいんじゃないかと思ってる。水みたいにさ、絶えず流れる生き方のほうが美しくて澄んでいて、きらきらしていて、行き詰まりがない。ずうーっと同じ意見だったり、考え方に執着してると空気も水もどんより重たきなり、濁っていくもの。岡本太郎も言ってたしね。流れるような生き方が好きなんだってさ。

かちかちで頑固な私のハート、ふわふわで柔らかくて流れるようなハートにするには時間がまだまだ必要だけれどもちょっとずつ直していけたら良いな。それまでゆるやかに呼吸を続けていこう。


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ちせ
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