noteの自論!自分を貫くために必要な事
初投稿から3年と5カ月を迎えた今、久々にnoteに関しての自論をぶちまけたいと思います。
note歴の長い方も、始めて間のない方もそれなりに参考にしていただけたら幸いです。
私はアカウントを作成してから2021年7月に初投稿するまで、準備と様子見に約1年半ほどをかけました。
その間、自分の実績みたいなものとしてサークル活動による「歴史紀行」をkindle出版したり、私なりの様々な傾向と方向を定めるために他のnoterさんの記事を読み専で巡ったりしました。
それは何よりこのnoteは、過去に経験した複数の他ブログとは違うものにしたかったからです。
それまではいわゆる王道の「日記」そのものであり、日々の出来事を綴ったもので、それは人に伝えるものというより、ただ単にプライベートを発信していたに過ぎず、一般的に必要とされる情報とは程遠いものでした。
そろそろ、その類の情報発信はやめて、専門分野でも自分自身の「好き」を発信してゆこうという思いでnoteを始めました。
私が信条としている事
何といっても複数のジャンルや傾向があろうと、記事内容の一貫した骨子はブレてはいけないと思います。
それは、大まかに、
ただ自分だけの自己満足のものなのか、
人に伝えるためのものなのか、
という2種の基本姿勢があり、これらにより大きく方向は変わってきます。
もちろんどちらでも全然自由であり、自分なりの個性を出すことが第一なのですが、少なくとも私はブログやSNSを始めるにあたり、【信条】にしている事があります。
1)アイコンは自分のものではない
アイコンは自分のものだと思っていますか?
私は周りの人たちに自分を一目で認識してもらうための象徴であり、言い換えれば他人のものだと思っています。
ですから、一度決めたアイコンは絶対に変えないという思いで、自ら描いたオリジナルのものを使用しています。
過去ブログや普段使いのLINEに至るまで、それぞれ別々のオリジナルアイコンを使い、一度も変えた事はありません。
何も似顔絵だけにこだわらなくても、自分に所縁のある物でもよく、写真でもイラストでもどちらでも、要するにオリジナリティ溢れるものが望ましいと思っています。
時々、複数人が全く同じアイコンを使われているのを見かけますが、ネットでDLをするとそういう事もあるあるですね💦
SNSやブログを始めるには、アイコンこそよく吟味すべきもので、決して適当に決めるものではないのです。
2)プライベート話も視野を広げる
私は圧倒的に家族についてや自分の過去話についての記事は少ないです。
それでもたまに書くときは、単に「報告」だけではなく、さらに深掘りすることで読み手の興味を広げるように意識しています。
子供がこうしたああした、夫がこうだのああだの、ランチに行った、お出かけしたという淡々とした報告だけでなく、そこから自分がどう思うか、どうしたいか、こうなるのが良いという意見や問題提起などへ展開させるよう心がけています。
行動報告は単なる起因であって、あとに続く承・転・結へと構成し、最終的には何が言いたいかを明確にしたいのです。
基本的に小説でもなく、日記でもなく、あくまでも「記事」を書いているつもりですので、伝えるための基本構成は忘れてはいけないと思うのです。
3)心配りのある文章を目指す
これは過去にも何度か書かせていただきましたが、幾通りも読み方のある漢字にはルビをふるのは必須です。
日本語はとにかく難しい。
同じ字でも読み方は何通りもあります。
特に人名や地名など、まったく関係なく知らない人には読めない事が多いです。というかまず読めません。
そこを調べてちゃんと表記するのは最低限必要なことだと思います。
そして特に歴史上の人名は、読み手のすべての人がその人物の実績を知っているわけではなく、知らないとすれば氏名だけではチンプンカンプンで、その前後の話の筋すら通らなくなります。
誰もが知る有名人ならいざ知らず、マニアックな人物ともなればなおのこと、一言だけでも軽くその人が何者かわかる言葉を添える努力はしています。
そうでないと、読み手側の歴史への苦手意識は克服できない。
せめてどのような方にも意味が伝わるようにするのは最低限度必要な努力だと思うのです。
これは私が読書やネット記事など他人の記事を読んで痛感したことであり、読み手の事を考える重要な心配りのひとつだと思います。
4)お返しは是か否か
スキには「スキ」を、コメントには「コメント」をお返しするというのを基本にしています。
その時々によってスキが「コメント」に、あるいはコメントを貰ったのに「スキ」になったりする場合はありますが、必ず私の記事に対してのリアクションはお返ししています。
忙しい時や、見逃した時はごめんなさい🙇
「スキ」や「コメント」は交流のための数少ない手段であり、大袈裟にいえば、将来的に大切なお付き合いが始まるかもしれないのです。
というのも、私はブログで知り合った方と12年ほども経った現在もまだ細々と他ブログでやり取りは続いています。
今やSNSでの出会いは危険ではあるのですが、良好なお付き合いに発展する可能性も秘めているのを身を持って体験してきたので、どこに素晴らしいご縁が転がっているかわからないと実感しています。
だからこそ、私は記事投稿した翌日はなるべく半日でも時間を空けるように心がけ、コメントに返信し、リアクションいただいた方々の記事を訪問するようにしています。
SNSは交流あってのもの。
交流があって、初めて自分の見識も広がるのです。
結論を言うと、お返しは是であり、
必要なことだと私は思います。
5)万人に受ける記事なんてない
note内を散策していると、たまにビューやスキが伸びず、どうして自分のnoteは読まれないのかと悩んでおられるのを見かけます。
当たり前ですが、どなたもこの世のすべての事に精通しているわけではありません。
より多くのリアクションが欲しいがために、万人向けのnoteを目指してしまうと、落としどころのない内容になってしまいがちです。
一部の理解してくれる人だけに読んでもらえれば良いという意識に変えると、自然と文章もまとまり、かえって数字も伸びると思います。
もっとも数字を気にすること自体が自分で自分の首を絞めているようなものなのですが…
自分の得意なジャンルを書きたい時に書きたいだけ書くと、文章は生き生きとしたものになり、読み手にもそれが伝わるものです。
その内容がたとえ専門的でマニアックなものであったとしても、必ず共感してくれる方は現れます。
noteを仕事で使っている方は別として、”万人受け記事”はせっかくの個性を殺してしまう最悪な記事になります。
6)フォローする意味
noterさんをフォローする基準は人それぞれで違います。
私がフォローするための条件は、
・一定にリアクションが続く
・興味・立場・環境が似ている。
・共感できる
・コメントが適切
・記事内容に興味がある
といった感じでしょうか。
リアクションするのもお互いの生活パターンの違いや、noteに対する意気込みの違いもあるので、毎回必ずするのは難しいでしょう。
特に私は毎日投稿はしないので、毎回のリアクションはできないし、フォロワーさんたちにもそれを求めているわけではありません。
毎記事ではなくても、久しぶりにでもリアクションがあれば十分だと思っています。
ただし、それにも限度があって、フォローする時にわざわざコメント欄で「フォローしますのでよろしく!」と書き、相互フォローになってしばらくの間はリアクションはあるのに、急にプッツリ来なくなる人もおられます。
自分の方からフォローを願い出たにもかかわらずです。
これは、熱しやすくて冷めやすい性格なのか?
それともフォロー返し目的のフォロー詐欺か?
自分からフォローさせていただく場合、わざわざコメント欄で告知するのは、フォロー返しを強要している事にもなります。
そんな事をしなくても黙ってポチれば良いことで、フォローバックするかどうかはその方の意思に委ねるべきだと思うのです。
そういう方もおられるので、たまには自分がフォローさせていただいている方を確認して、ご自分の投稿はあるのに、リアクションが1年以上ない方はフォローを外させていただいています。
noteを辞められても、たまにリアクションいただける方もおられるのに、活動しているのに、私の存在を忘れてしまったかのような方との相互フォローは、まったく意味がないと感じています。
私もフォローを外されるでしょうが、それは想定内です。
そもそも。
フォロワー数は自分の意思で変えることできませんが、
フォロー数は意識して変えることができます。
フォロワー数はnoteを続けてさえいれば必ず増えます
4桁も5桁もフォローされている方々は、いったい何目的なのか、私は理解に苦しみますし、少なくともまともな交流はできていないはずです。
ぜひ参考にしてほしい!
著作権協会さんのnote
ご存じの方も多いと思いますが、私が尊敬してやまない著作権協会さんが、noteを続けるための役立つ記事をシリーズにして書かれています。
どれも大いに共感できる内容なので、ぜひご一読ください。
どれも良い記事なので迷いましたが、その中の「コメント論」に関して採り上げさせていただきます。
私もこの3年半ほどの間には、何度かとても嫌な事も経験してきました。
だからこそ、自分がコメントする時、知らずに誹謗中傷になってはいないかと思う時があります。
上記記事から引用すると、トラブルになる発端はコメントのようだからです。
私はそんな事はしていないという方も、今一度、ご注意下さい。
意識なく、マウントを取っていたり、自分を売り込んでいたり、あるいは誤った読解力で意味不明になっていたりしているかもしれません。
お互いに気持ちの良いnoteを目指して、留意していけたらと思います。
人それぞれの生活パターン、考え方や感覚は違います。
お互いに尊重し合う事を基盤とし、気持ちの良いnoteを維持できたらいいなと思っています。
※すべて私の個人的な見解です。