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「私は一生恋愛をしないんだな」と自覚した日


皆さん、突然ですが、

"恋愛"って絶対しなきゃいけないものだと思いますか?

私は今まで、一人の女性として生きていく中で、「恋愛は絶対にするもの」だと思って生きてきました。

クラスの8割が女子だったような高校の頃とは違い、男子も女子も割合は半々で、サークル、飲み会、アルバイト、、

色々な出会いの場が一層増える大学生になって、より自分にとって”恋愛”というものが近くに存在するようになりました。

私は毎日趣味に明け暮れ、お友達も多くて、今の人生に”不十分”と感じたことがほぼほぼなかったせいか、「彼氏が欲しい」「恋愛がしたい」という感情が沸くことはなかったんです。

お友達の恋バナを聞くのは楽しいし、みんなの理想の男性像とか聞いてても面白くて、そういう”他人事”としての恋愛話はすごくすごく楽しいのに、

「何かないの?」「気になってる人いないの?」「彼氏ほしくないの?」

と聞かれると、「何もない」「いない」「別にいらない」となってしまうのが私で、

「あれ?もしかして私普通の人とは違うのか?」

と感じ始めたのが事の始まりでした。

男の人が嫌いな訳ではなく、苦手な訳でもなく、別に何かトラウマがある訳でもない。

でも、私はなぜか”自分事”として恋愛を考えると、すごく気分が悪くなるんです。

誰かの人を愛して、恋愛として「好き」という感情を抱き、手を繋ぎ、毎日一緒の時間を過ごす、、、

そんな風に過ごす自分の姿を思い浮かべてみようと必死になってみましたが、全く思い浮かべられない。むしろ、思い浮かべるとすごく”気持ち悪い”という感情が湧き上がってくる。

今まで私自身でも「恋愛をできないのは趣味のせい」とか、理由をつけてきたし、友達にも「出会いがないだけだよ!」って言われたり、家族からも「そう言ってる人ほど早く結婚するんだよ」と言われていましたが、

そういう理由付けとは何か別に、私が恋愛をしない、というよりはしたくない理由が、どこかにあるんじゃないか、と大学生になってから特に、モヤモヤとした感情が私の心を一気に支配し始めたんです。

男の人を好きにならないなら女性を好きになるのか?と考えた時期もありましたが、決してそんなことはなく、

自分には普通の人には存在するはずの『恋愛』という感情が欠如しているのか?そこだけ感情が欠落してしまっているのか?

という謎の不安に駆り立てられ、友達と話しているときも無理矢理「彼氏ほしいよね~」とか話を合わせて、自分に「恋愛しなきゃ」という感情を強制していた時期もありました。

悩んで、悩んで、「私は恋愛感情としてどんな人を好きになるんだろう?」と考え抜いた結果、一つの答えに行きつきました。

それは、「誰のことも好きにならない」ということです。

この答えに行きつくまでには、2020年になって少ししてから出会った「アセクシュアル」という言葉の存在がありました。

他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かない人、であり、世界の人口に対して1%しか存在しない、「LGBTQIA」の『A』の部分にあたるものです。

この定義を見て、「アセクシュアル」に関するnoteやインタビュー記事を沢山読みました。(いくつか掲載しておきます、、!)

本人たちの体験談のようなものを読んで、「ああ、これだ!」と私の中ですっと腑に落ちるものがあったんです。

「なんで恋愛しなきゃいけないのか分からない」「恋愛がしたい!という気持ちに共感できない」「『恋愛感情』があるのも『恋愛は普通するものだ』という価値観があるのも理解できるけど、自分の中にはその感情が一切ない」

見事に全部自分に当てはまることで。

「ああ、自分はアセクシュアルなのかもしれないな」なんて少しずつ思い始めてきた時に、一つの転機が訪れました。

それは、「幼馴染くんからの二人きりでの遊びのお誘い」

今まで幼馴染4人で遊んでいたはずなのに、いきなり二人きり。

最初は「ただの進路相談」だったので、私も相談なら聞こうかな、と思い気軽に引き受けたんですが、何故か二回目も会う約束を取り付けられ、しかもなぜかデートのお決まりスポットである「水族館」に行くことになってしまったのです。

今まで、自分の中に「恋愛感情」がなく、自分から「恋愛感情」を相手に向けない、ということは当たり前だったのですが、相手から「恋愛感情」を向けられる可能性を考えていなかったことが私の考え不足でした。

中学生の頃から8年間も一緒にいたはずなのに、今まで言われたことのないような「おしゃれ」と言った女の子を褒めるような言葉を投げかけてくる。足元がふらつきそうになったら手を差し伸べてくる。お金を多めに出してくれる。

友達が彼氏とした『デート』の話を聞いていたときに、話してくれたような内容のことが自分にも次々と降りかかってくるんです。

極めつけは『恋バナ』でした。

「彼氏結局今までいたんだっけ?」という話を根掘り葉掘り聞かれ、私は一点張りで「彼氏欲しいって思ったことないんだ」と返しましたが、、

話している最中に何気なく聞かれた「好きなタイプはどんな人?」「どんなことにキュンてくるの?」という二つの質問。

私はこの質問に「答えられなかった」のです。

誰だって恋愛をする上で、理想の相手像はあるでしょう。優しい、背が高い、かっこいい、頭がいい、お金持ち、面白い人。

キュンとするタイミングだってありますよね、さりげなく車道側を歩いてくれる、とか、ふとした時に見せる笑顔、とか、、

でも、冷静になって考えてみたら、私には「理想の相手像」が全くもってなかったんです。

なぜなら私にとってそうあってほしいと思う最高の状態である「理想」が「恋愛」に適用されることがないから。

そして、私は思い返せば人生においてドラマとか映画を見てるとき以外に、「キュン」としたことがなかったんです。

だから、私の答えは「よくわかんないや」という曖昧な答えで終わってしまいました。

「彼女できたら教えてね」なんて皮肉を言ってあげれればよかったんですが、そんなこと言っちゃったら嫌われちゃいそうで、言えませんでした(笑)

ちゃんと私はその幼馴染くんと一緒に一日出掛けて、すごく楽しかったんです。

でも、それはあくまでも”友達として”楽しいであって、”恋愛として”ではなかった。

優しくて、背も高くて、普通に一般的に見ればかっこよくて、面白くて、気も遣ってくれるし、とても良い子なんです。

でも、私は鏡に映った彼と二人で並んで歩いている姿を見て、

「私が普通の女の子なら、きっと彼を好きになっていたんだろうな」

と思ってしまったのです。

あくまでも「自分事」ではなく「客観視」した視点で。

本当は彼に「私は普通の女の子じゃないんだよ、自分には恋愛感情がないんだよ。」と言ってあげられたらよかったのですが。

そんな勇気は私にはなくて、別れ際「次はいつ遊びに行けるかね」と言われた時、「9月に4人でディズニー行くし、その時また遊べるじゃん」と返すことしかできませんでした。

なんだかすごく申し訳なかったんですね、罪悪感。

「恋愛的な意味での好意を寄せられている」と考えたら、寒気がしてきて、すごく嫌な気持ちになって、幼馴染くんのことも、「恋愛をできない自分」のことも、全部全部嫌いになっちゃいそうになったんです。

そういう感情全部ひっくるめて、私は「やっぱり恋愛ができないんだ」という結論に落ち着くことが出来たのです。

少女漫画は家にたくさんあるし、恋愛ものの映画やドラマも大好きだし、感情移入して泣いちゃうときもあるし、お友達の恋バナを聞くのももちろん大好き。

でもそれはあくまでも「客観的」に恋愛を見ていて、「他人の恋愛」のことだから。

「自分事」として恋愛を考えると、すごく気持ち悪くて、違和感で、自分の中に「恋愛感情」が芽生えることは一生ないんだな、と。

幼馴染くんと二人で出掛けたことによって、私はその答えにたどり着いたのです。

今までは「恋愛に興味ない」と自分が発言すると、その場がしらけたり、気まずい空間になるのが嫌で、なんとなーくお友達に話を合わせていたりしましたが、自分が「アセクシュアル」であることを自覚できた途端、「私は一生涯好きな人ができないんだ!」と思えた瞬間、なんだか気持ちが軽くなったんです。

私は恋愛できないことが残念だ、なんて全く思わないし、恋愛することが普通だ、とも、もう思わないことにしました。

だって、私にはすでに大好きなお友達が周りにいてくれて、充実した趣味がたくさんあって、毎日が楽しくて仕方ないんですもん。

何だかそう考えていると今まで悩んでいたのとは打って変わって自信がわいてきて、

昨日の夜、インスタのサブ垢の親しい友達(というと本当に10人行くか行かないかくらいの人数です)だけ見れるストーリーで、「私は恋愛をしないタイプの人間でした」ということをこっそり公言してみたんです。

私は友達からどう思われてもいい、変な人だって、気持ち悪い、って思われてもいいや、と思っていたんですが、

お友達から「自分を持ってるちさとすきだよ!」「人それぞれだからね!」という言葉をもらって、なんだか悲しくて、嬉しくて、辛くて、深夜一人お布団の中で泣いてしまいました。

今まで、自分は普通じゃない、と思っていたけど、そもそも普通なんて存在しなくて。

自分は自分でいいんだよ、て認めてもらえたような気がしたんです。

だから、私は昨日、自分に自信を持って「私は一生恋愛をしないんだな」と自覚しました。

ジェンダーの講義を受けたり、クィアアイを見たり、様々な媒体を通して性的マイノリティーの知識はつけてきて、寛容な考え方を学んできたような気がしましたが、

いざ、自分が性的マイノリティーの立場なんだな、ということを自覚するのは、実は勇気がかなりいることでした。

でも、いざ自覚してみると本当に気持ちが楽になるんです。抱え込んでいたことが全部なくなるような、、まさに肩から荷が下りる、というか。

自分がアセクシュアルなのかわかんなくて不安だったり、恋愛は絶対しなきゃいけない!という価値観を押し付けられて悩んでいる人たちにも、

ちっぽけですが私の言葉が届きますように。

そんな思いを込めて、久しぶりにnoteを更新します。


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