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小さい頃「夢」を持たないのは変だと言われたのを思い出した日の話。
ある昼下がり。
南向きの狭いバルコニーにアウトドアチェアとミニテーブルを起き、りんごほうじ茶を飲みながらくつろいでいた。ブランケットを膝上にかけて、日向ぼっこをするのが1日の中で好きな時間であり、フリーランスになってからの楽しみのひとつになっている。
お隣はこの1〜2年の間に赤ちゃんが生まれたのか、時折「おぎゃーおぎゃー」と大きな声をあげているのが聞こえてくる。
「元気だな」と思いつつ、会ったこともないこの赤ちゃんに対して「どんな将来を描くのかな」なんて想像をしてみる。
花屋?デザイナー?消防士?それとも起業して、日本の社会を牽引するのだろうか?
その時にふと自分の幼少期を思い出す。「そういえば、自分には夢がなかったな」と。
周りはケーキ屋だの看護師だの保育士だの、よく聞く職業を並べ、それを「ふーん」と何の感情もなく聞いていた幼少期。
当時の私は冷めた子どもで、夢もなければこれといった目標もなかった。
「夢?そんなの成長とともに考え方が変わるのに、今聞いてどうすんだ」くらいに現実主義な子どもだった。
だからこそ、「将来何になりたいですか?」のアンケートの意味が分からず、その都度「とくにありません」と答えては、「ちさとちゃんは変わってるね、夢持った方がいいよ」と言われていた。
(なんだよ、持ってないことがそんなに変なのか)
そもそも、なぜみんなで夢や目標を持とうねという同調意識が生まれるのか、不思議でならない。あるのに越したことはないのかもしれないが(実際にパイロットにになりたいと言って叶えた友人もいる)、持たなくても小さい頃は困ったことはほぼない。
先述したアンケートのときと、卒業文集で書いた将来の夢くらい。
卒業文集を書く際もこれというなりたい職業がなくて、「先生、夢がなくて書くことがないです。過去の振り返りなら書けそうです」と言うと、「何でもいいから何か夢を書け」と答える。
(ちゃうやん。ないから困っていて、何でもいい夢を書いたもんなら「適当に書くな」と突き返すのそっちやないかい)
案の定、書き直しさせられたのを覚えている。
さらに先生に「本当に書けなくて、職業の特徴とスキルを教えてください」と聞くと、「お前、夢がひとつもないとか変わってんな。他の人はちゃんと書けてるのに。ちゃんと持て。なんかあるやろ」と。
うんざりだ。
強いて言うなら「こういう押し付ける大人になりたくない」が、今思えば将来の夢だったのかもしれない。
大人になり、転職を3回した。4社経験して今はフリーランスだ。
会社員時代は、飲食業やMR、広告代理店、デザイン会社などさまざまなフィールドに身を置いた。そのたびに自分と向き合い、人生を考えてきた。
「変な子」と思われていた子が、今では心が赴くままに挑戦をして人生を楽しみ、自分らしく生きている。子どもの頃見つからなかった像が、大人になってから見えてくることに気づく。
変でもいいではないか。むしろ変は楽しい。
そう思い、用意したりんごほうじ茶を飲み干し、日向ぼっこを終えた。