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一ノ瀬志希の言う「ギフテッドの苦しみ」とは何なのか?

今年から私は一ノ瀬志希ちゃんの担当プロデューサーになりました。

初めて会った時から一目惚れはしていたものの、担当になるまで至らなかった理由と担当になろうと思った理由をつらつら書いていきます。

※注意事項

本記事は、ギフテッド・発達障害・希死念慮について触れております。ご留意ください。
また、イベント「Fin[e] 〜美しい終焉〜」についても多分にネタバレを含んでおります。

ギフテッドとは

ギフテッドの苦しみ

志希は口癖のように言います。
「あたしはギフテッドだから」「天才は孤独だ」と。凡人の私達には分かり難い苦しみを持った子です。
では、具体的に何が苦しいのか?それを深掘りしていきたいと思います。


ギフテッドとは、平均より著しく高い知的能力を持って生まれた人の事です。
しかし、知能が高い影響で周囲とレベルが合わず、社会的な生活を送りづらいせいで馴染めない、という悩みを持っています。


2Eの可能性

特に、発達障害を併発していたりそれに似たような特性を持っているケースもあるそうです。

デレマスのアイドルには何人か孤独を経験している子もいますが、志希の場合の「孤独」は、生まれ持った特性のせいで周囲に馴染めないことを顕しているのではないでしょうか。

イベント「Fin[e] 〜美しい終焉〜」でその様子が窺えます。


発達障害とは、主にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、LD(学習障害)の3種類があります。

ASD
・他人との気持ちの共有や会話のやりとりが難しい「対人関係や社会的コミュニケーションの困難」
・特定の感覚刺激(匂い)への偏った反応「特定のもの・ことへのこだわり、感覚の過敏さ」

普通の感覚が掴めない志希

ADHD
・興味のない話を集中して聞けない、なくしものが多いなどの「不注意」
・体を絶えず動かしたり離席する「多動性」
・思ったらすぐ行動してしまう「衝動性」
の特性があるように見えます。

好きな物以外には興味を持てない
相手の話を聞かずに切り上げる
周りのことは考えず自分の欲を優先

これを見るに、志希は発達障害+ギフテッドの2E(twice-exceptional=二重に特別)の可能性が高いのではないかと私は推察しています。

私もADHDと、ASDの特性持ちです。(そのため、この辺りは人並み以上に勉強しています)
そのため、志希の「人と根本的に脳の構造が違うから苦しい」という気持ちが本質的に理解できると、自負しています。

志希の苦しみは、周りのヒトと違うこと、何より周りのヒトと上手く話せなくて寂しいことだったのではないでしょうか。

テンサイだから、何を話してるか分からないから、自分と違ってなんか怖いから、と一線を引かれて孤立してしまう経験から
「自分から終わらせて、自分のつけたい形の傷痕を残す」
という世渡りの方法を十数年かけて学んだのでしょう。


アイドルになるまでの志希

幼い頃の志希

小さい頃の志希は、おそらく普通の女の子だったと思います。
趣味嗜好は周りの子より進んでいたかもしれませんが、きっとパパとママの笑顔が大好きな無垢なこどもだったのではないでしょうか?

平和な一ノ瀬家

ですが、神様からの贈り物を授けられた志希の人生は、少しずつ狂っていきます。

志希の思考回路は並外れた速さで、考えていることがぴょんぴょん変わっていくような子だったのではないかと推察しています。

知能が高くても周りの空気を読む力は幼いため、自分の考えている事を話しても周りの子はピンと来ません。
そして「ツマンナイ」「テンサイだから」と言われます。


おそらく幾度となく嫌われる経験を積んだ結果、ケミカルの世界に逃げるようになってしまった…?

自分が言われて傷ついた言葉は消えません。その気はなくとも天才ギフテッド「ツマンナイ」は、志希の心を蝕み続けて傷が残りました。

口癖になるくらいの大きい爪痕です。

染みついた「天才」と「ツマンナイ」


もしかしたら…態度には出さずとも、親からもおそらく煙たがられていたのではないでしょうか?

特に母親は、忙しいパパの代わりに育児をしていたでしょう。

ギフテッドや発達障害も遺伝するというので、パパも志希と同じ特性を持っていたと考えられます。家庭の中では定型発達の母親が孤立していたのではと感じます。(いわゆる、カサンドラ症候群)

こだわりとこだわりのぶつかり合いがあった?


私は小学生あたりから本格的に孤立してしまったであろうと推測しています。
幼稚園とは違い、周りの子供も自己主張をし始めるし先生も四六時中は見ていられません。

──塵も積もれば山となり、周りの子供は志希への不満を募らせるでしょう。

学校も家庭もどんどん険悪になっていき、知能が高い志希は異変の原因は自分にあると理解していたでしょう。
そんな志希に、拠り所や居場所はなかったと思います。

社会的な経験を積まなければ、こころは育ちません。
孤独に生きてきた志希は、十分な情操教育を受けられたのでしょうか?


現在の志希は一人暮らしです。
アメリカから帰ってきたはずなのに、ママとは一緒に暮らせていません。

きっと幼稚園や小学校で孤立する志希のことを一身に受け止めて、疲弊してしまったように感じます。志希の苦情や相談は全て母親に行っていたのではないでしょうか。

…実際、自分の親から聞いた私の幼少期はかなり大変そうでした。(ハブられたりいじめられたり失くし物が多かったり…)
親や周囲にかなりの理解がなければ、社会的な生活は送れないと思います。


どのような経緯かはわかりませんが、家族がバラバラになってしまったことは事実です。
志希が「自分のせいでこうなった」と感じてもおかしくない状況のように思います。

日本にいてもアメリカにいても孤独だった?
話しても離れていく、待ってても離れていく


ママは志希を愛していましたが、今はもう一緒には居ません。
亡くなったのか、別れてしまったのか…どういう経緯かは分かりませんがそれは事実です。

ママはきっと志希が嫌いになってしまった訳ではないのでしょう。
ですが、現状ママのことは誰にも話しておらず。志希のこころの一番繊細な部分にしまわれています。


「つぼみ」の台詞からして、自分に希望を志すという名前をつけたママをずっと追いかけているように思います。


ケミカルの道へ

パパを追いかけて、ニューヨークへと旅立つ志希。
そこには日本の学校とさして変わらない、居場所のない場所でした。

おそらく、嫉妬やプライドもあったと思います。ですが、志希の幼い部分や特性…特に協調性の無いところや、感性の違う部分、こだわりなどについていけなかったのではないかとも考えられます。


チームで働くというのは、周りとのコミュニケーションが一番大事です。
すぐに失踪してしまったり飽きてしまう志希には、全く向いていないのです。

最初はドクター・イチノセの娘である年下の志希に、優しくしていたのではないでしょうか。

それでも一向チームワークを成り立たせない様子に、仲間もストレスが溜まってパパに抗議したのかもしれません。(ものすごく身に覚えが…)

そして、志希から見ればパパに要らないと言われたように感じたのではないかと考えています。

「クレイジークレイジー」イベントコミュの様子を見るに、一目見て進捗と結果を把握できる志希が「トクベツな化学者じゃない」訳がないのです。

おそらくパパも同じくコミュニケーションが苦手なせいで、ものすごくこんがらがっているような印象…

こうして志希は、ラボを離れて日本に戻って一人暮らしを始めました。


アイドルになってからの志希

居場所を得た志希

りあむ曰く「やさしいせかい」の住人になった志希は、ようやく居場所を得ます。

プロデューサーの隣。
自分を受け入れてくれる、ユニットの仲間。
そして、応援してくれるファンのみんな。


──ですが、当然志希は今までそんな経験を積んできていません。
お前は違うって、消えていく」ことをずっと恐れている。こころを許すのが怖い。だから逃げるのです。
みんなが消えていく前に、自分から離れれば怖い気持ちもなくなるし、追いかけてきてくれれば安心できます。

そうやって自分のメンタルをコントロールして、仲間に試し行動をしては愛情を感じて、心の平穏を保っていました。

それでも「死」という逃げ道は、志希のこころの隅っこにずっとあったのでしょう。

「お前は違うって、消えていく」そのいつかが来る前に、ハッピーエンドで終わらせたくなった時だけは、SOS信号を出していたのではないでしょうか。


Fin[e] 〜美しい終焉〜

志希が「ハッピーエンド」を求める理由と、事件のキッカケ

今回起こってしまった大事件のキッカケは、

  1. (パパとその仲間の様子を見て)いつも以上に孤独を感じた

  2. (映画のお仕事により)生死に関することを考える機会が出来た

  3. 日頃から羨ましく感じていたちとせにプロデューサーの関心を持っていかれた(ように錯覚した)

この3つが運悪く重なり、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまって行動に移すまでに至ったのかな…と考察しています。

パパとその仲間の様子を見てしまった
生死に直結した役柄を与えられた
ちとせとプロデューサーに置いていかれた


※ここからは本当に私の想像です。

ずばり志希が「ハッピーエンド」を求める理由は、
一度バッドエンドを経験しているから、そして
死はハッピーエンドだと信じたい出来事が起こったから
ではないでしょうか?

先ほど、家庭崩壊をしたのではないかという話をしました。あれはどう考えても志希にとってバッドエンドです。

ではハッピーエンドと思いたい理由は?
これは身近で死を経験したからではないでしょうか。
これはあくまで仮定ですが、
もしかしたら、母親が自分の命を自分で終わらせたのかもしれません。

その死に意味を探して、志希なりに

「ずっと自分のせいで苦しんでいたママは、きっと自分から逃げられて楽になれたのだ」
「それはとても幸せな終わり方だ」

と、思い込むしかなかったら

普段の志希とは違って理論的な反論ではない

自己防衛のために「死は救済だ」と感じてしまっていたのではないかと考えてしまいます。

何故こう思ってしまうか…
それは、私もずっと自分の特性で悩んでいた頃に考えていたし、実際身近な人間の生死を懸けた時、私も早く死んでしまって楽になりたいと思ったことがあるからです。
(今もたまによぎります)


今回のイベントコミュでは、頭から志希のメンタルを破壊しにきていました。

幼い頃に自分を置いて出て行った父親が、血の繋がった家族の自分ではなく扱いやすい他人を選んだところを目の当たりにした。

自分は何もない部屋にひとりぼっち。

きっとこの光景はこの時だけではなく、幼い頃からずっと続いていて、愛情に飢えていたのではないでしょうか?


そこにタイミング悪く生死というテーマの仕事が振られて、どんどん真っ黒な感情に呑み込まれていく。

役に入ってしまうとその感情に引き摺られてしまうこともあると聞いたことがあります。

死を目の当たりにするという配役を与えられて、日頃から心の隅っこに住んでいた闇がどんどん侵食してしまい、遂には仮死状態まで体験しようとします。

本人は実験だと戯けていましたが、本当に冗談だったのでしょうか?

「このまま誰にも見つからずにどうなるかな」とか考えていたのかもしれないなーと何となく感じてしまいました。


5話の冒頭の志希は、いつも通りの様子でした。

おそらく散歩をしている間に色んなことを考えてしまい、海に着いた頃には「スイッチ」が入ってしまいました。

突然くる「死にたい」に、特に理由などいらないのです。
記憶力が高い発達障害者は、ふとしたキッカケで嫌な思い出を芋づる式に全て思い出したりすると思います。
今回はあまりにもスイッチが入りやすい状態が整ってしまっていただけではないでしょうか?

スイッチ①

辛い記憶を慣れたようにうざったがる様子を見るに、あまり珍しくもない状況なのかもしれませんね。

悲しい過去を思い出して繊細モードだった志希は、みんなが楽しそうにコミュニケーションを取る様子を眺めます。
自分にはできないことを周りが簡単にこなす様は割とメンタルにきますよね…

一緒に寝る人がいない志希
『テンサイの自分』には入れない輪
スイッチ②


ちとせを煽る理由

堕ちる果実 より

ちとせを挑発するような台詞は、ちょくちょく今までも出てきました。
今回やっとどうしてこんなに敵意剥き出しなのか理解しました。

志希から見れば、ちとせはすごく愛されて育ったように見えたのでしょう。
つきっきりで看病してくれる、無条件に自分を見てくれる両親に、幼い頃からずっと一緒にいてくれる友人までいる。

いつもの志希らしくない主観的な主張

自分もちとせちゃんみたいに天才じゃなかったら、可哀想な子だったら、パパとママとお友達と一緒にいられたのに。

そういう妬みがあったのかもしれません。

ちとせはちとせで抱えているものがあるのですが、志希は全然見えていなさそうです。


希死念慮とうつについて

今回のコミュの様子は、私達がこれまで観測していた志希とは明らかに違います。

今まで志希はずっと鬱もしくは躁鬱(双極性障害)で、それを隠し続けていたのかもしれないなと感じました。

メタ的な話もすると、今回表情差分がかなり追加されました。今まで一切オモテで見せてこなかった顔を、ひとりぼっちの部屋で初めて見せたのです。

もしかしたら、ひとりでいる時はずっと無表情だったのかなと感じました。

鬱を隠すのはそれほど難しくありません。むしろ、実体験した身としては曝け出す方が難しいように感じます。

受け入れてもらえなければ、本当に生きていけない気持ちになりますから。

SNSにて『希死念慮を雑に描いている』と結構批判されていた印象がありましたが、私は極めてリアルに描写した結果逆に説得力に欠けてしまったのかなと感じました。

衝動で死にたいなと思ったら、人によっては本当に実行して死んでしまいます。

死にたいに理由なんてありません。ちょっとした弾みでモードに切り替わってしまうので…
死ぬ死ぬ言ってる人間は死なないと言いますが、生存者バイアスがかかっているだけで死ぬ人は死にます。

[クリア・ハッピーロール]これから歩んでいく道

この先は、私の希望や期待です。

志希がこれからどういうアイドルになっていくのか、私がこうなってほしいなという気持ちを書きました。

考えていくうちに、おのずと「志希の担当プロデューサーになりたい」という気持ちに繋がりました。

なぜ志希Pになれなかったのか

まず、私がなぜ志希の担当はできないと感じたかを書こうと思います。

一言で言うと「ゴールが見えなかったから」です。
志希ちゃんがアイドルとしてひとりの人間としてどうやって生きていきたいのかが分からなかったのです。

当たり前です、本人がずっとはぐらかしてきたので分かるはずもないです。
「クレイジークレイジー」でも、本心を隠して誰にも理解されないことを選んだのです。


これまでのコミュを振り返ってみれば、これまでもずっと相手を図るような態度で自分の本心を隠しているように見えます。

というわけで、これらを見た感想が

「本人の気持ちを推し量れない以上、私の手には負えないな」
「どういう風になってほしいと考えれば良いのか、私にはわからない」

と思っていたのです。
(志希は「わからないのがイチバンわかってる」と言ってましたが…)


本人が望まないのですから、勝手に本心を想像して動くこともできないなぁ…と「志希ちゃん好きだなー」と思うたびに毎回感じていました。

なぜ志希Pになろうと思えたのか

今回のイベントやSSRで、やっと
「志希にこうなってほしいという明確な形が自分の中に生まれたから」です!!!!!!!!

ちとせのお陰で志希の本音が垣間見え、ドミナントSSR[クリア・ハッピーロール]の描写を通して

志希にはハッピーエンドを掴んでほしい!!
そのためにアイドルを「生きる理由」にしてほしい!!!
生きるための手助けを私がしてあげたい!!!!!

と強く感じることができました。

私の「大好きで推したい」という気持ちと「担当プロデューサーになりたい」という気持ちには自分の重なる部分があって、その子に深く共感できるかどうかという明確な境目が存在します。

今回、志希ちゃんがその枠を飛び越えてくれたのです。


私の思う一ノ瀬志希の課題は、幸せになりたいと願う心と生きていては幸せになれないと感じてしまう心が同居しているその矛盾を解消することです。

私の心にひっそり潜んでいる「消えてなくなりたい」という気持ちと「救われたい」という気持ち…
また、人と違うことで苦しい思いをしているという生きづらさから来る孤独感…
自分が生きていることに罪悪感を覚える気持ち…

「志希を救いたい」という気持ちを通して、私もまた救われる思いです。

私も頑張るから志希も一緒に
ハッピーエンドを目指そう!
一緒に生きていこう!
これからよろしくね、志希!!!

To be continued.

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