#カワイクイキタイ2「もしくは限りなく愛に近いなにか」
ここに、10人の幼稚園児が居ることとする。
それぞれ口を開けていたり鼻水を垂らしていたり、中には利発そうな子も居るが、それぞれがそれぞれの個性豊かなアホ面でこちらを見上げているものとする。
地方によって「体育座り」とも「三角座り」とも呼ばれるあの体勢で、この場における名前は重要ではないため「なに座り」でもよいが、とにかく、膝を抱いて臀部を地面に着けているあの体勢を取っている事とする。
その通り、名前は特に重要ではない。園児達にはそれぞれ願いがこめられた名前があるがここでは必要ない。左から順番に、たろー、じろー、さぶろー、しろー、ごろー、ろくろー、ななろー、はちろー、くろー、じゅうろーと呼ぶことにする。ちなみに性別も重要ではない。はちろーちゃんは見た目には愛らしい少女だが、こちらが決めていいものではない。
じろーちゃんのお父さんとごろーちゃんのお母さんは不倫している。じろーちゃんのお母さんは気付いていて、じろーちゃんに「ごろーちゃんには優しくしないでいい」と教育している。じろーちゃんは今も見えないようにごろーちゃんのふとももをつねっている。じろーちゃんと仲良しのくろーちゃんも面白がってごろーちゃんをいじめている。この場にいるその他全員が見て見ぬふりをしている。
たろーちゃんとさぶろーちゃんとろくろーちゃんは家が近所の幼馴染で、たろーちゃんとさぶろーちゃんは先月ろくろーちゃんの家で飼っている金魚をいたずらに死なせてしまった。水を吸ってぶよぶよに腐った金魚を3人で泣きながら埋めた。ろくろーちゃんだけが金魚を思って泣いていた。ろくろーちゃんはそのことを知らない。
ななろーちゃんとじゅうろーちゃんはいつも手を繋いで登園する。しかし、ななろーちゃんがすきなのはしろーちゃんなので、ななろーちゃんはじゅうろーちゃんの手を繋ぎながら「しろーちゃんの手はどんな手かしら」と思っている。
しろーちゃんがすきなのはじゅうろーちゃんで、しろーちゃんはななろーちゃんが嫌い。いつも睨んでくるから気に入らない。よく見ると全然ブスだし、着ている服だってダサい。このななろーちゃんへの気持ちが「嫉妬」とよばれるものであることを知るのはもう少し大きくなってから。じゅうろーちゃんだけがすきな相手と手を繋いでいる。そのことをじゅうろーちゃんは知らない。
じろーちゃんのお父さんとお母さんは、じろーちゃんが小学校にあがる年に離婚する。じろーちゃんはお母さんに連れられて遠い街へ引っ越すことになる。その土地の子供達からすると「変な」喋り方のじろーちゃんは、いじめられて学校に行けなくなる。
シングルマザーだったごろーちゃんのお母さんはじろーちゃんのお父さんと再婚する。しかし、平和だったのは一瞬で、じろーちゃんのお父さんが些細な事でごろーちゃんをしたたかにぶつことをこの時はまだ知らない。
「こんなはずじゃなかった」ごろーちゃんのお母さんは、救いを求めてカルト宗教に入信する。中に居る悪魔を追い出すため、ごろーちゃんをしたたかにぶつようになる。本人はいたって真剣で救いようがない。ごろーちゃんは高校2年生の夏に自宅マンションから飛び降りる。
そんな事をまだ誰も知らない。
こちらも仕事でなければさして興味もないので聞こうとも思わない。が、仕事なので聞くことにする。あなたたちが今日食べたいものはなぁに?「オムライス!」「ハンバーグ!」「お寿司!」「からあげ!」「ハーゲンダッツのバニラ!」
この子たちはまだ知らない。特別は、世界で一番しあわせな日と世界でいちばん不幸な日の間にある事を。じろーちゃんのお父さんが昨晩ひっくり返し、ごろーちゃんのお母さんが泣きながら片づけたそれは、生活そのものであることを。大人も子供も知らない。
「またカレー?」のカレー、ぱっとしない煮物、丸々とした大根一本、冷蔵庫の残り物、スーパーカップのバニラ、それこそが愛、もしくは限りなく愛に近いものだということをこの子たちはまだ知らない。ディズニーランドに行った日の数か月後の昼さがり、あの日は楽しかったね、ところで今日は何食べる? それこそが愛、もしくは限りなく愛に近いものだということをまだ知らない。
高円寺と東高円寺がそれなりに離れていることも、酒そのものが美味しいわけではないということも、どんどん近づいてくる地面も、誰かを愛することも、まだなんにも知らない。
今はなにも知らずにおやすみ。ねんねこねんねこ。よい夢を。