#カワイクイキタイ31「水中の涙は見えない」
このかなしさやさみしさにおわりはあるのか。
死ぬまで続くならちょっと絶望ではないか。言葉にするよりただ涙を流したい日もある。
涙が出そうになったら水に潜る。そんな泣き方をずっとしている気がする。木は森の中、涙は水の中へ。するとほら、確かにあるのになかったことに。
水に潜るとからだは濡れるけど、心もずっと濡れている。
はやくおわんないかな。いつかおわんのかな。
このかなしさ。このさみしさ。
居なくなったりしない人。
答えを求めず、時間を気にせず、話していい人。同じ言語を持ちながら、無言の時間が心地いい人。流れる涙の理由を聞かずただ隣に居てくれる人。どんなときも、どんな姿も、嫌いでも許してくれる人。
そんな人が、あなたなら。あなたが、探してた人かも。そう思った日もあったなぁ。
喜びは、喜びでしかなく。
悲しみは、ただの悲しみでしょ。
同じであってほしかった。私の喜びがあなたの悲しみに、私の悲しみがあなたの喜びになっては、とても一緒に居られないもの。
そんな風に見てたんだ。そんな風に考えたこともなかったよ。そっか、それは悲しい。水中で泣くことより、もっと悲しい。
信じてたのになぁ。信じてたのに。
たったひとりでよかったのに。
例えば、世界がいやになって眠った夜があって。望まない朝がきて、まだ夢の中にいたい時。「起きたらいいことがあるよ」と声がした。
目を開けたらあなたがいて、パンケーキが湯気を立てていた。
ほんとにあった、いいこと。
こんなに素敵なことが待ってるなら、もっと早く起きればよかった。目を覚ましてよかった。生きててよかった。大袈裟だけど、嘘じゃない、そう思った。
きっとこういうことなんだ。
ちょっとしたことの積み重ね。一度や二度ではなにも決まらなくて、染み込むような喜びも、千切れるほどのかなしみも、大きな出来事ひとつが起こすものじゃない。
小さなことがいっぱいあって、気付いたり気付かなかったり、傷付いたり傷付かなかったり、それが、ある日溢れるだけのこと。
だからなのか。話したいのは。
よしと改まってする会話は、何月何日の何時から何時と決めてする会話は、会話じゃなくて会議と呼ぶんだ。それじゃ伝わらない。話せることなんてひとつもない。
ひとりごとのように。駅から家までの道を歩くように。花に水をやるように。歯を磨くように。
私はあなたと話がしたい。