#カワイクイキタイ19「後片付けは誰かがやってよ」
クワズイモがぐったりしてる。どうしてほしいのか分からない。どうしてほしいか言ってくれればそうするのに。私になにができますか。私にできることならなんだって。なのに、どうしていつもどうしたらいいのか分からないんだろう。
引っ越し屋と葬儀屋がどうしてあるのか。なんの思い入れもない赤の他人がいきおいでやってくれないと出来ないことってたくさんある。
愛する人を自分の手で燃やすなんてできない。この部屋から出ていく準備なんてできない。悲しくて手が止まる。いつまでも終わらない。誰かがやってくれないと。
終わりはある日突然なんの前触れもなくやってくる。いつ、どんなふうに終わりますよって教えてくれていれば、そのつもりで生きるのに。今ある時間を大切にするのに。でもきっと、信じないだろうし、受け入れないから、覚悟なんかできない。だから、唐突に一気にいきおいで終わってくれるのが一番やさしい。ピアスを開けるようなもの。タトゥーを入れるようなもの。きっと。頭では分かってるんだけどね。
私の代わりに誰かやってくれないか。終わらせる準備。後片付け。私の代わりに、少しも悲しくない、なにも知らない誰か。
できれば私だって、幸せを祈りたい。明るく楽しく見送りたい。楽しかったよね、ありがとね、お互い頑張ろうねなんて言いながら、あなたが元気で幸せでありますようにと思いたい。思ってはいるのに。
ならいっそ、徹底的に敵でいろよ。中途半端にいい人でいようとすんなよ。勝手にいい思い出にすんなよ。まだ終わってない。逃げんな。ああ、こういうのがよくないんだっけ。
私はどこでなにを間違えたんだろうな。また、自分の都合のいい時に水をやってしまったのかもしれない。大きくなあれ大きくなあれと慈しんで、それがいいことだと思ってるのは私だけで、ほんとは、大きくなんてなりたくなかったのかもしれない。
クワズイモはなにも言いません。ただ、申し訳なさそうにしていました。私べつに、こうなったことを責めてるんじゃないよ。どうやったら元気になるかを話したかったんだよ。
でも、伝わらないんだ。いつも「枯れてごめんなさい」か「枯れたのはお前のせいだ」だけを言うんだ、みんな。
もうなにも話せないね。全部なかったことにできればいいのにね。だったら引っ越しも葬式もじぶんでできる。なにも悲しくないから。なにも悲しくなかったらよかったのに。
どうしてこんなに悲しいんだろう。
終わるのがこんなに悲しいならはじめなきゃよかった。
はじめなかったら出会えなかったよ。
それは極論だよ。
人生は極論でできてるんだよ。
妄想のくせに人生語ってんじゃねーよ。
語る系の妄想ですみません!
なんではじめたんだっけ。
そんなことばかり考えてしまう。考えるまでもなく答えは出ている。はじめることなんて簡単。終わることの方が何倍も難しい。
PS:カメラマン水央は、私が何か食べてるところが好きなようです。