#カワイクイキタイ33「西の魔女が死んだ」
「それ」
え?と私は顔を上げた。
「いえ、懐かしいなぁと思って」
と、隣に乗り合わせただけの他人が言った。
「ああ、古い本ですからね」
「子供のころ好きでよく読んだな、と思いまして。急に話しかけてすみません」
外に雪の降り頻る鈍行列車の中であったらそれなりに絵になったのかも知れないが、ここはスーツ姿のサラリーマンだらけの新幹線の中で、まぁでも、これはこれで絵になるのかもしれないな、と思った。
「急に話しかけられついでに、二度と会わないでしょうから、少しお話してもよいですか?」
「私の西の魔女が、死んだんです」
「初めて読んだ子どものころ『オバアチャン ノ タマシイ ダッシュツ ダイセイコウ』は、本当に死後のおばあちゃんが書いたのだと思いませんでしたか?」
「大人になって、あれは死期を悟った生前の祖母が、孫を悲しませないために遺した愛とユーモアだと、分かったのです」
「おばあちゃん側に、少しずつ近づいているからかも知れないですね」
「それでも、御伽話を信じられなくなった悲しみより、祖母の愛を理解できるようになった喜びの方が、大きかったのを覚えています」
おばあちゃんに愛されて育ちました。
物語に出てくるマイのように、親兄妹には恥ずかしくて言えなくても、おばあちゃんには「おばあちゃんだいすき」と何度も何度も言いました。
私の西の魔女も「おばあちゃんだいすき」と言うと「おおきに」と毎回言ってました。
「分かってるよ」も「私もだいすきよ」も、全部詰まった「おおきに」が好きでした。
夏休みは祖母の家で過ごしました。
いとこがたくさん集まって、合宿みたいに一ヶ月ほど過ごすのが恒例になっていました。
おじいちゃんといとことぎゅうぎゅうでお風呂に入り、おばあちゃんと毎日お散歩して、いとこと蝉を取る、特別じゃない夏休みが好きでした。
末のいとこが甘えん坊で、日中はその子がおばあちゃんをほぼ独り占め。
よく、夜にこっそり「寝れない」とだだをこねました。そうするとおばあちゃんが外に連れ出して、おんぶしてくれるのを知っていたからです。
団地の周りの道をぐるぐる。
おばあちゃんを独り占めする夏の夜が静かで好きでした。
その頃にはすっかり大きかったのに、末のいとこに負けない甘えただったのです。お恥ずかしい。
度を越したじじばばっ子をこじらせて、大人になってから祖父母の家に住みつきました。
一緒に暮らしたかったから。
もう8月31日に親が迎えに来ることもない。
夏休みの続きであり、終わりを自分で決められる夏休みでもありました。
他のいとこに取られることもない思う存分の独り占め。一緒にコーヒーを飲んで、寝て起きて過ごした時間があってよかった。
祖父母の家を出るときは、それでもさみしかったですが。
よく褒めてくれる人でした。
会うたびに綺麗になったと褒め、歌えば上手いと褒め、一人都会で暮らし仕事をしているだけで、立派だと褒めてくれました。
生きているだけで精一杯の生活を、さみしい日々を、うまくゆかない人生を、無責任に褒めてくれる人でした。
最も豊かで、最も弱点。
おばあちゃんが居ない人生はちょっと耐えられないから、一生死なないでくれと何度か言いました。
そんなん無理やわ、と笑っておりましたが。
そう考えると、いつか必ずくる一番怖いことが、ひとつ片付いたとも言えます。
もう怯えなくて済むとも言える。
もっとどうしようもないかと思っておりましたが、報せを受けた時、私はひどく穏やかで、家中を掃除し、干していた洗濯物を畳んで、この本のことを思い出し一冊手に取って、飼い猫を連れて家を出ました。
そして今ここにいるということです。
ものを書くことがありまして。
ちょうど、大きな仕事を終えて、一息ついた時でした。おかげでこうやって帰ることができ、書くものがくだらなくならずに済んだ。
最後まで私にやさしい祖母です。
大丈夫な時を待って居なくなってくれたのだと思います。
「どうしてそんなに一切を、私に話してしまうんですか」
「二度と会わないからこそ話せることもあります」
せっかくのご縁ですからね。
これも好きな本のせりふです。
にしても、悲しむことを分かっていて、そこに向かっていくのは、勇気のいることですね。
そう言い残して、その人は電車を降りました。
もう一度見ると人混みに紛れて居なくなっていました。
帰ったら本を読もう。
そう思いました。