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頭がおかしくなってごめんね/幸せになってもいいのかわからない

父親の体が悪くなって、二階に上がれなくなり、リビングのソファで寝起きしている。
深夜に活動が終わった後、薬をとりに行ったりするので、電気をつけて起こしてしまう。普段は気弱な父なので文句を言われることはないのだが、ふつうに私は申し訳ない。

不意に蘇ってくる記憶があった。
統合失調症と診断される数か月前から私は不眠に悩んでいた。精神の調子が明らかにおかしく、仕事中はなんとか人に仕事を振って(振る立場なので)こなしていたのだが、しかし頭の中は興奮しきって始終光がぱちぱち弾けるようだった。仕事が終わった後、スマホをいじるのが病的にやめられなくて、寝ることも風呂に入ることもできずにリビングのストーブの前で丸まってスマホ画面だけを見て何時間も過ごした。朝5時くらいまではそうしていたのを覚えている。そのうち私はそこで丸まったまま寝るようになった。当然家族が起きてくるので、朝9時くらいには起こされて自室に行った。だがそこでも廊下を歩く音や、階下での話し声、階下での掃除機の音などで寝られない。そのころ寝ていた時間は3時間ほどだと思われる。風呂にいつ入っていたのかどうしていたのか記憶が定かではない。でも出勤前にはシャワーを浴びていたはずだ。仕事のために清潔感は欠かせなかったから。

上司に言われてメンクリに行き、睡眠薬を処方されるまで、いや、処方されても、いつもいつもリビングでうとうとしていた。
親は私のことを心配していた。
統失と診断されたそのころには精神は傍目からわかるほどにおかしくなっており、さすがに哀れに思ったのか親が昼寝用の座布団みたいなものをストーブの前に敷いてくれた。その上で結構長く寝た。ストーブにあたって寝ることができて、ぽかぽかした。ニ、三日、そうして、私は自室のベッドに寝るように促されてそうした。今度は寝ることができた。

もう二年前の話だ。

統合失調症になって、迷惑をかけて、ごめんなさい
頭がおかしくなってごめんなさい
自分の子供が不治の精神疾患になったら、どんなに気落ちするだろう
ごめんなさい
――と、今更ながらに思った。

統失にならなければ、婚約者と会うこともなかっただろうし、ネットで若い子に絡む機会もなかっただろう。統失にならなければ私はSNSのアカウントを全削除したまま、小説投稿サイトにだけ生息している人になっていた。そのほうが健全だった。みんなに迷惑をかけて申し訳ない。

生きてることに悲しくなってしまったことはたくさんある。大阪に一か月ほど滞在して、最近はそういう気持ちは遠くなっていたのに、実家に戻ってきた途端、精神が落ちる。現実を見せられる。私の背負うべきものを思い出させられる。私が生活できるのはこの田舎だけ、両親の目の届かないところへは行ってはいけないという呪縛。

大阪で暮らすのは私の幸せを優先する行為だ。
しかしここから出るなという両親の呪縛に負けそうな気持ちもある上に、実際、大阪に行ったら親の死に目に会えない可能性がある。大阪からこの田舎まで来るのに飛行機を使っても、何時間かかるのか。一刻を争う事態になったら、多分間に合わない。親は老いて、介護が必要になるかもしれない。お金があるから介護施設に入れろと言われているが、スムーズに入れるとは限らない。手続き以外に私がしなければならないことだってたくさんあるだろう。

大阪に行くことは、幸福と未来がある話であると同時に、親を捨てるということでもある。

私のnoteをずっと読んでくれている人はわかるかもしれないが、私の親は家庭内暴力や精神的圧迫をしてくる親だった。家庭内と社会のバランスが崩れていたので私は不登校だったし、自傷をしていた。一時は本当に親と離れたかった。両親と一緒にいたら気が狂うと思った。
一人暮らしをしたことはあるが、母親に帰ってきてくれと懇願されて実家に帰った。統失になったのだって、正直、過去の親の行動が関連していると私は思っている。

どうやって生きていっていいのかわからない。
私の幸せだけを考えた選択をしてもいいのか確信が持てない。
誰かに相談してみたい。
コメントも待っています。


追記:
幸せになるのが怖いと感じる。検索したらトラウマがあるとそう感じやすいらしい。小学一年生のころ友達に死にたいと言って引かれたのを覚えている。そのころ母親が私をスルーしていたり押し入れに閉じ込めたり頭を叩いたりしていた。愛していたらそんなことしないと思う。母も父も私を都合よく好きなだけで、愛していないのだと思う。それに中学生の私は気づいていたから自傷したのだろう。
でも私はそんな人たちから離れられないでいる。私は自分が幸福になることを許せないのかもしれない。愛情を信じていないのかもしれない。
幸せな家庭の想像ができない。幸せが継続することも想像できない。
中学生のころ、きっと私は子供を産んだら虐待してしまうから、子供を産みたくないと思った。小学生のころからいじめがあって辛くて命を絶ちたくて、生きているのが嫌で親を恨んでいるのもあった。
書いていて思ったけれど、幼いころのトラウマから強烈に愛情を求める気持ちがあって、男性と交際したがるのかも。トラウマなんか知らないけど。自傷をしていたとき、本当に寂しかったから。泣きながらこれを書いています。私は、どうしたらいいんだろう、わかりません。命を絶ちたいです。楽しい気持ちを保ったまま永遠に時を停めたい。
カウンセリングで他人を思いやる気持ちと同じくらい自分に思いやりを持とうみたいなプログラムを受けて、でもそれが私には「自分に期待している」と同じに見えてしまった。
他人に期待しない練習をしなければ。恋人に期待しない練習をしなければ。
諦めなければ。

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