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一生寝たきりか?車椅子の宣告を覆しバスの運転手として社会復帰させた『母』


医学を盲信することや医師の診断や言うこが絶対はない!必ずしも正しいとは限らない..と学んだ実話。

私の父は通勤途中、車にはねられ脊髄損傷となりました。医師からは、リハビリをしても機能回復はしません💦
当然社会復帰は出来ずこのまま一生寝たきりか?車イス生活で介護が必要になるので覚悟して下さい...と宣告を受けました。
無理もない、だって全身の機能を奪われた父の身体は首から下が完全に麻痺ダラーンとなった状態、当然自力で起き上がることや、立ち上がることも歩くこと等々、今迄当たり前に出来ていたことが人の介助なしに自分で何にも出来なくなってしまった。

確かに入院中リハビリを行うも現状維持、回復の見込み無くただベッドで天井を見ながら寝ているだけの生活。医師からはリハビリをしても残念ながら機能回復はしません..と言われた母💦
当時兄は中学生私は小学生でこの先教育費だって掛かるし家のローンもある、なのに一生寝たきりか?車イス生活で介護だと?冗談じゃないわ!ふざけるな!誰が治らんて決めた?諦めたらそこで終わる😠

医者やリハビリで治せないなら私が治す!

やって出来んことはなかろうよ、やって出来ないならやり方が悪い❕
不可能はない..が母の口癖今に見ておれが意地でも治してギャフンと言わせてやる!そう言って医学の知識も何もない全くのズブの素人だった母が一念発起し、本気で独自のリハビリをスタート。


まずは起き上がらせる

首から下の機能を失った父は赤ちゃん同然💦それでも寝たきりにさせてたまるかーっ!と毎日毎日父を起こし、クッション等で身体を囲み支え布団の上に座らせることからはじめ体調を見ながら、立てないのがわかっていても、後ろから脇を抱えて立たせるリハビリのくり返し..。こんなリハビリがどれだけ続いただろう? そのうちほんの少しの間だけクッションなどにもたれかかれるようになり少しずつ出来ることが増えていく。
 
時間はかかったが、母の執念が報われ

ついには立ち上がれるまでになりました。ただ、本人の意思とは関係なく足が痙攣し、勝手に動き出し止めれず皆で抑えて止めようとしたり、転倒することもありましたが、自力で立ち上がり歩けるようになりました。
そこで母は次のリハビリを開始。親戚の家の勾配のある裏山を頂上目指して往復する、これは足腰を鍛えるためでした。

そして

自力歩行が出来るようになり、次のリハビリを開始。母は車の免許は持たないのに何を思ったのか?助手席に座り、父の運転の練習を開始。
事故以来ハンドルを握っていない父の運転はセンターラインによって行くため大型のトラックに吸い込まれそうで生きた心地がせん💦と言いつつも続けました。
その結果、一生寝たきりか?車椅子の宣告を受けてから数年後母の執念が実り、足を少し引きずるものの自力歩行出来るようになり、車の運転も可能になった..
そして不可能だと言われたものの社会復帰を果たし、ついにはバスの運転手として定年まで無事に勤め上げました。

母は凄い人

事故にあうまで母は毎日父から地獄のようなDVを受け、生活費ももらえず人間扱いされないような苦しめられる生き地獄のような生活だったにも関わらず、父を助けました。
それでも父の母に対するDVは止まず、生き方も変わらない💦
その後、母は私が高校を卒業するまで耐えて待ち私が二十歳の時にようやく離婚が成立したというオチ付きですが..ここに書いたことは、噓偽りのない事実です。


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